愚昧なる医学

西洋医学の蒙昧は、実に驚くべきものがある。全世界の医学者と称するものの頭脳は、一種の変質者ではないかとさへ思ふのである。といって私は、聊かも悪口を言ふつもりは無いのである。啻(タダ)厳粛なる事実は如何共する事が出来ないからである。

故に今日の医学なるものが根本的革正をしない限り、恐らく全世界の人類は、千年を出でずして滅亡するかも知れないとさへ危惧するのである。何となれば、現代医療は病気を治癒するのでなくて、実に悪化さす方法であり、病気を作る事である。

此様な事を言へば、狂人の言葉としか思はれないかもしれない。然し、私は理論でも仮説でもない。全く生きた事実を根拠として言ふのであるから、恐らく何人と雖も飜然と目覚めない訳にはゆかない事を信ずるのである。先づ二三の実證を挙げてみよふ。

先づ第一は扁桃腺肥大症である。此病気は実に医家が作るのであって、そうしてをいて手術で抜除しやうとするのであるから、全く困った事である。それは斯うである。元来扁桃腺なるものは、人体不断の浄化作用によって作出さるる、其不純物即ち膿が淋巴腺に集注し、それが又外部へ排除されるその排け口が扁桃腺である。それが為一旦膿が扁桃腺に集溜されるのである。

然し、其際の膿は濃度であるから、排泄を容易ならしむるには稀薄にする必要がある。それが為の発熱である。故に、発熱のまま放任してをけば、極めて順調に膿は排泄され治癒するのであるのに、医療はそれに不明である為、其熱を薬剤を以て解熱させ、或は氷冷法を行ふのである。

元来、一切の物質は熱に因れば溶解し、冷によれば固結するのが法則であるから、此誤れる医療に由って膿は扁桃腺に固結して了ふのである。之が扁桃腺肥大である。故に、解熱療法を行はなかった明治以前は、扁桃腺肥大なる病気は一人も無かった筈である。

そればかりではない、もっと怖ろしい事がある。扁桃腺肥大によって、膿の唯一の排除口が閉止される結果、淋巴腺へ集溜した膿は、止むを得ず反対の方向へ排泄口を求めるのである。夫は中耳であって即ち中耳炎である。扁桃腺炎より中耳炎の方が如何に重症であるかは、誰もが知ってゐる通りである。近来中耳炎患者が激増した原因はこれである。そうして中耳炎の治療としては、鼓膜を破るか、耳後部を穿孔するかであるから、其結果は一種の不具者となるのである。

次に盲腸炎であるが、之も手術の必要が無いのである。此病気は浄化作用の結果としての膿が盲腸部に集溜し、発熱に依って溶解し、大腸を通じて下痢として排泄されるだけのものであるから、放任してをけば完全に、遅くも五六日で治癒するのである。全く人体の健康を保つ上に於る浄化作用の工程であると言っても可いので、病気とは言えない位のものである。

それを知らない医学は、又しても氷冷をする。それに因って、扁桃腺炎の場合と同じく膿が固結し、浄化作用が停止される結果、危険にさへ瀕するといふ事になる。こうなれば手術をしない訳にはゆかなくなるのであるから、謂はば医療が手術の原因を作るといふ事になるのである。

それのみではない、膿が充分盲腸部に集溜した時手術をすればいいが、多くの場合、医家は周章して早期に切開する。それが為に手術後、膿の後続があるので、それが再手術となり、又手術に因る疵が容易に治癒しないのもそれである。中には二三年にも及んで尚指頭の先位の傷口から絶えず排膿されてゐるといふ症状も少なくないので、之は医家も屡々経験される所であらふ。

そればかりではない、膿の排泄機関として、最も適切に作られてある盲腸機能が欠除せる結果、自然浄化に因る膿は他の方面即ち各、腸、腎、肝、胃、腹膜等に滞溜する事となるから、種々の疾患が起り易くなるのが実際である。

次に最も滑稽であるのは、制帯バンドといふ珍妙な器械を作って胃の下垂を防ぐ事である。之の原因は消化の良い食物を摂らせ、消化薬を用ひるからである。

本来、胃は普通食を摂り、普通の運動をしてをれば、何等異常なく健康であるのに、前述の如き誤れる養生法を行ふ結果、胃は活動の必要がないから、漸次衰退する結果緊張の力が無くなるので下垂するのは当然である。それをバンドで窮屈な思ひをして防止しよふとするのであるから、一方で原因を作りながら、一方で防止するといふ其愚さは、実に及ぶべからずである。

次に今日の病人に与へる食物であるが、医家は味噌汁、香の物、餡等を不可としてゐる事である。之は何故かといへば、現代医学は西洋所産のものであるから、西洋にない食物は医学書には書いてないに決ってゐる。それが為直訳医学が奨めないのであると思ふのである。実は日本人には右の食物は非常に効果があるので、それは誰しも実験すれば、必ず確実である事が判るであらふ。

其他、数限りない程の誤謬は一々挙ぐるの遑(イトマ)はないが、右の点丈にみても、現代医学が如何に誤ってゐるか、否如何に恐るべき蒙昧であるかは何等疑ふ余地はないであらふ。之が為に、幾千幾万の人は日々病苦に悩みつつあるであらふし、又貴重なる生命を短縮されつつある人は、幾何に上るか量り知れないであらふ。それを憶ふ時、私は慄然としない訳にはゆかないのである。而も斯の如き蒙昧医学を、大いに進歩せりと崇信してゐる現代人こそ全く不幸の極みである。

噫-、之が啓蒙運動こそ、実に観世音菩薩の救世本願の第一歩である、と吾等は思ふのである。

(昭和十一年二月二十五日)