今日、世界の動向を観る時、世界は今、平和に向ひつつありや、戦争に向ひつつありやと言へば、些かの躊躇も無く、それは、戦争に向ひつつあると、何人も言ふであらふ程に世界各国、特に重だった国は、国防の名に隠れて、戦争の準備に汲々たる有様である。然し乍ら、それに二つの種類があって、それは積極的準備と消極的準備とである。伊太利、ソビヱット、独逸等は前者であり、日本、英国、仏国等は後者であらふ。亜米利加と支那は、その孰れにもなるといふ、両頭の蛇であらふ。
而して、東亜の制覇を目標として、大軍備を進めつつあるソ聯は、何国を目標としてゐるのであらふ乎。それは判りすぎた話で、最近、満蒙国境に於ての小衝突は、来るべき、容易ならぬシーンを示唆してゐる事は、誰しも否めないであらふ。
最近ソ聯が、大爆撃機に、タンクやトラックを搭載して、敵の後方陣地に着陸するといふ驚くべき演習に成功したといふ報道や、毒瓦斯試験の為に、三百人の死刑囚を殺戮したなどといふ報道は、彼が如何に大仕掛な戦争の準備に、焦慮してゐるかを物語ってゐる。彼の五ケ年計画をはじめ、或目標を立てて、驀進的に成功させる、スターリンの独裁的手腕は、実に軽視出来ないものがある。
飜って、太平洋を見る時、表面波穏かにしても何時狂瀾怒涛の捲起るやも測られない、無気味な未来を看取されるのである。亜米利加が、最近十万頓の大戦艦建造の計画や、空海軍の、日も維足らざる建造等の報道等によって考える時、それは何国を目標とし、如何なる企図を有するや、之も論議の必要は無いであらふ。
次に欧洲の形勢を見る時、何時点火されるやも知れない、爆弾が転ってゐるやうな危ぶなさがある。独仏英伊間の平和は、何時迄保有の可能性があるか、否明日にも破綻するか、予測出来ない状勢に在るのである。
之を要するに、世界は今孜々(シシ)として、戦争の準備に、忙殺されてゐるといふのが、実際である。此切迫しつつある情勢を、平和へと引戻す力が現はれる可能性があるであらふ乎。
之は痴人の夢よりも、儚ない期待であるであらふ。寧ろ問題は、東亜が先か、欧洲が先か、或は両方同時かを考える丈が、残された答案であらふ。
此緊迫せる戦争準備時代に在って、我日本は、そうして我等日本人は、今如何なる準備と覚悟をなしつつあるであらふ乎。陸海軍の主脳者の確信ある言葉は、大いに意を強ふするものがあるが、吾等は、万全の上にも万全を期せなくてはならない。而も、将来戦は、全国民を挙げての耐久力如何が、最後の勝敗を決するのであるから、此点深い認識と覚悟の必要がなければならない。
寧ろ、非常時なる言葉は、今日迄は国内的な小さい意味であったやうだが、今後に於るそれは、頗る大きい意味の非常時、即ち大非常時時代に入ったと言はなければならない。斯く考えて、現在の我社会を見た時、黙視出来得ない弛緩がある。非常時は、已に解消された如く思ふ者もある。
インフレ景気に酔ふ者もある。自由主義的な太平逸民もある。現状維持に汲々たる者もある。吾人は、之等状勢不認識群に対って、一日も速く、大々的覚醒を促すべき国民的、一大運動を起さなくてはならない事を、痛切に感ずるのである。
(昭和十一年二月四日)