数百万の費用と、数万人の人々が、数十日間に渉って、凡ゆる手段方法を案出し、官民共に大童になって活躍した、選挙粛正なるものは、一体何が故に、斯くせなければならなかったかといふ事を究明し、以て今後の選挙なるものに対しての省察材料として、記いてをく必要があらふと思ふのである。
然らば、選挙粛正の主眼とする所は何であるか。言ふ迄もなく投票売買行為、及び其類似行為の防遏(ボウアツ)である。故に候補者及び選挙民の、投票売買行為の根本である、彼等の心理状態から、検討してみなければ、根本の方策は立たない訳である。成程、此度の大仕掛の選挙粛正運動は、無いには優れると雖も、実はそれの根本的芟除(サンジョ)ではなくて、言はば、外部からの膏薬張りである。
あらゆる種類の、ある限りの膏薬を張ったまでである。糞尿の臭を、蓋をして、匂はせないのと同じであって、糞尿を除去するのではないから、何れは彼等は一層巧妙なる手段を案出しないと、断言は出来ないのである。
而して選挙なるものは、立憲政治の続く限りあるのであるから、常に根本的方策を、講じてをかなくてはならない。能く人は言ふが、英国などは、今日の理想に近い選挙になるまで、二百年もかかったのであるから、吾国と雖も、相当の年数はかかる見込で、回を重ねる毎に、一歩々々理想に到るであらうとの、至極呑気な見解であるが、何も英国の真似をしなくともいゝ。否今日の国家の状勢から言って、能ふ丈速かなるのが良いではないか。此意味に於て、私は斯文を書くのである。
私は選挙粛正に限らず、今日の凡ゆる政策が、すべて此膏薬張的の外部から防遏的方法のみを、唯一の方策として執らふとする、当事者の意向が、洵に不可解でならないのである。何故もっと、総ての根本に向っての、解決の途を講じないかといふ事である。然らば、選挙粛正に就ての根本解決は何であるか、何処にその過因が潜んでゐるかを究明し、それに由って実効的方策を立てなくてはならないのである。
投票買収者も、被買収者の心理に於ても、重大なる二つの誤謬を有してゐる。その一つは不正行為をしても、巧妙に人の眼さへ誤魔化せば、知れないで済むといふ観念、そのものである。此心理は、何から出発してゐるかといふ事を考えなければならない。人の眼さへ巧妙に誤魔化し終せば、不正をしても、暗から暗へ葬られて済んで了ふといふ、其想念こそ、紛れもない真の唯物思想である。
元来唯物思想は、眼に見えないものは全然信ずべからずといふので、其帰結として終に無神論にまで徹底するのである。之と反対に、神の実在を信ずる思想、即ち有神論である処の唯心主義者は、仮令人の眼を誤魔化し終せても、神の眼を蔽ひ隠す事は到底出来ない事を、固く信ずる思想の持主であるから、此意味に於てどうしても不正は出来ないのである。
かかるが故に、此唯心主義に対しては、取締りの必要がないので、取締りの必要があるのは、唯物主義者のみであるといふ訳である。随而、此唯物主義者なる者は如何に国家国民へ対して、煩雑なる手数と、莫大なる損失を与へてゐる処の非国民的行動をなしつつあるかは、実に測り知れないものがある。
今一つは、あれ程大仕掛な選挙粛正をしなければならないといふ事は、国家愛が、今日の同胞に如何に欠除してゐるかといふ、実に悲しむべき一事である。何となれば、選挙の公正不公正は、我等の国家の進運に、如何に重大なる関係があるかといふ事は、誰もが知り抜いてゐる筈である。
然るにも係らず、僅か数円の金銭によって買収されるといふ、其心理を解剖してみれば、仮令、国家に対しては不利益であらふとも、一時己の懐さへ暖ければそれでいいといふ、怪しからぬ思想であって実に赦す可からざる、非国家思想である。然し、斯の如き不良思想者が、稀にあるならば我慢が出来るとしても、選挙粛正の大仕掛が示す程の大多数であるに至っては、国家の前途に対し、実に寒心せざるを得ないのである。
此事と同一の意味に於て、序でだから最近の忌はしい二三の出来事を批判してみたい。それは校長殺しの鵜野洲某と、日大生殺しの徳田某、若妻殺しの中野某等の事件である。之等犯罪者の心理の底を解剖してみれば、矢張り極端なる唯物思想に因る事は瞭らかである。
彼等孰れもが、巧妙にさへ偽装すれば、官憲の眼さへ誤魔化し終せると確信して行った事である。然し、天網疎にして漏さずと言はふか、神霊の厳存し座す為と言はふか、警視庁の当事者諸士が鎌倉八幡宮を祈念した為であるか、兎に角、短時日に、手際よく発見されたのである。
之を要するに、凡ゆる現代の犯罪の原因は唯物思想が根本原因であるといふ事は、一点疑無いのである。故に、あらゆる是等犯罪防止の根本対策としては、どうしても国民一般に、神霊の実在を知らしむるより外に、途はないと断言し得るのである。然し乍ら、迷信的でなく真に神霊の実在を知らしむる方法はありやといふ事であるが、日本は特に数多い宗教があるが、真に神霊の実在を把握せしむる力ある宗教は、寔に寥々たるものであるが、決して絶無ではない事は断言出来得るのである。
故に、望むらくは、当局者に於て、凡ゆる宗教を調査検討し、真に神霊の実在を知らしむる、正しくして力ある宗教、端的に言へば、神霊の実在せる宗教を発見し、その宗教の活動を促さす可く、援助するより途はないであらふ。之以外根本的犯罪防止の方策はあり得ないであらう。此事の実現に依って、国運のより隆盛も期待し得らるる事は、火を睹るより瞭らかである。今日の如く樹木の根の腐蝕を其儘にして、如何に、枝葉の改善に腐心するとも、それは労して効なく百年河清を俟(マ)つに等しいものであらふ。
(昭和十一年一月二十七日)