大東亜戦争戦略論 三、印度以西に進軍せよ

前述の如き意味によって、今後の大方針としては、印度より以西即ちイラン、イラク、アフガニスタン、ベルヂスタン、シリヤ、アラビヤ、小アジヤ迄を境として、順次進撃の態勢をとり、大亜細亜共栄圏を完遂する事である。

言ふまでもなく此戦略の目的とする所は、大東亜共栄圏の拡充であり、虐げられたる民族開放である以上、天意に叶ひ極めて順調に大なる犠牲を払ふ事なく、その目的を達成し得らるべし。何となれば大東亜戦争の緒戦に於ける、類例なき程の迅速にして大いなる戦果を挙げ得たると同様の意味であるからである。

元来、米英が今日までアジヤを侵略し続けて来たといふ事は、全く天意に反する罪悪を累ね来たのであるから、清算の時到らば、撤退の止むなきに立到るべき事は、当然の帰結である。

此事に就て予め知らねばならない事は、今次の世界戦は、今日迄の凡ゆる戦争とは全然本質を異にする事である。それは如何なる意味かといふに、従来の凡ゆる戦争は一国又は数国の利害によって起ったのであるが、此大戦は、実は戦争は第二義的の意味であって、第一義としては世界の大清算であり、文化の総決算である。即ち猶太的旧文化の崩壊と共に、新しく創造される処の日本文化の出現である。全く現在の世界苦は新文化生誕への陣痛の苦悩でなくて何であらう。

人類の福祉を増進するといふ名の下に発達し来った猶太文化は、実はその反対である処の苦悩の増大でしかないといふ事が明かにされた。ただ極少数の猶太人と猶太勢力下の国家のみが、文化の恩恵に浴し得る事となり、大多数の個人も国家も寧ろそれ等少数者の犠牲となって、生存苦に喘ぎつつあるといふ、それが文明の行詰りといふ事の原因である。

右は全く唯物的世界観の誤りに基くものである事はいふまでもない。是に於て唯心的世界観に基く新文化が生れなければならない時が来たのである。そうしてこの唯心的新文化の生誕地こそ日本であらねばならない。斯くてこそ、人類は初めて真に文化の恩恵に浴し幸福を平等に享有し得る事となるのである。何よりも共栄圏の諸国が、日本の庇護の下に相次で独立し、欣喜し、満足してゐるその姿こそ、如実にそれを物語ってゐる。

以上によって、敵濠州に当嵌めてみる時、その反対の結果とならう。即ち白人濠州に対し、仮に日本が占有の場合、住民は決して満足はしない。寧ろ怨嗟と不満は免れないであらう。それはアジヤの如く虐げられてはゐないのみならず、英国とは骨肉の関係であるからである。故に濠州攻略の意義は、只一時的作戦上の便宜と膺懲(ヨウチョウ)以上のものではあるまい。

然し乍ら、膺懲戦の必要を生ずる場合もあるが、それは順序がある。即ちアジヤ全土の共栄圏完遂以後には為すべき必要も起らうが、今日は未だ時期尚早である。従而、今日順序を乱すに於ては、犠牲のみ多くして成果は期待し得難いであらう。此意味に於て、濠州攻略の目的の為に現在戦ひつつあるとすれば、その戦略は一日も早く放棄すべきであらう。

これを一言にしていへば、今世界は猶太的唯物文化の崩壊と、日本的唯心文化の建設といふ一大転換が起りつつあるのであるから、正義の旗の下に、日本は敢然として進むべきである。それによって見えざる力、即ち大御稜威と天佑神助によって、予測し得ざる好結果に恵まるる事は一点の疑ない処である。

(昭和十六年)