既成宗教を論ず

近頃喧しく謂はれるものに既成宗教の問題がある。人も知る如く終戦後国民全般に亘って其帰趨を失ひ、世を挙げて混沌たる裡に低迷してゐる事実で、特に青年層に於て然りである。彼等がそれまで絶対信念として、貴重なる生命をまで犠牲に供した処の忠君愛国思想が、終戦によって他愛もなく崩壊してしまった事である。それによって兇悪なる強窃盗、詐欺等の犯罪が激増した今日の実情であって一刻も猶予の出来ない大問題である。

然し乍らそういふ犯罪者にならないまでも、目標を失い怪疑に陥ったる者も少くはあるまい。近来哲学書の売行が激増したといふ事も其間の消息を物語ってゐる。勿論哲学に慊らず、宗教によって煩悶の解決を要望する者も増へつつあるのである。処がキリスト教は批判の限りではないが、其他の数ある既成宗教の中、果してどの宗教が求道者をして満足を与え得るかは大いに疑問の余地があらう。

成程何れの既成宗教にあってもそれぞれ大本山があり、大伽藍や大堂宇が建ち、宣布に従事する処の布教師、宣教師、僧侶等々があり、それが一宗教でさえ幾千幾万の数に上るか知れない程である。又その各種宗教の行事に於ても、衣裳器具其他に於ても善美を尽し、外観だけでも洵に目を奪ふものがある。中には専有地数万町歩に及ぶものさえあるのである。

そうして其教典教義が数百年又は数十年に渉ってのものが多く、実に間然(カンゼン)する処なきまでに研鑚錬磨されてをり、宗教宣布によって人心の不安を除き、物心両様の満足を得せしめなければならないに拘はらず、現代人の幾人を救ひ得るであらうか、洵に疑問であらう。此様な訳であるから兎もすれば、人心悪化は宗教に仗(ヨ)らねばならないと口では言ひ乍ら、実はさっぱり関心を持ち得ないといふのが今の世相である。

従而、世人と宗教とのズレが段々大きくなるばかりなので宗教者側にあっても、此趨勢を喰止めるべく腐心してをり、最近関西方面に於ては各宗派の幹部が会合し、其対策を練りつつあるとの事を耳にしたが、之も無理はない話で同情すべきではあるが、恐らく予期の成果は得られない事と想ふ。然らば此問題のよって来る処は如何なる点にあるであらうか。以下記者の観る処を述べてみよう。

先づ最も主要原因である事は、人間を救ふ力の欠けてゐる事である。即ち見えざる力の余りに無い事である。成程各宗開祖の立教当時は、確かに相当の力は発揮し得たであらう事は勿論で、それによって今日まで隆盛と命脈を保ち得たのである。彼の種々の奇蹟や御利益の伝説、宗門に関する文献は今も猶残ってをるが、実情は年移り月易るにつれて漸次権威を失ひ、漸く惰力によって維持されてゐるに過ぎない状態は世人の知る処である。

それに対し仏滅の世が来たのではないかといふ者もあり、偉大なるものが生れんとする前夜の状態ではないかといふ者もある。処が記者の客観はあまり世人の気のつかない所に重大なる欠陥があるとする。それは何かといふと、既成宗教全般が時代とかけ放れすぎた点であるが、それも無理はない。何しろ仏教にしても今から二千六百年以前印度に於て発祥したので、当時同国に於ては彼のバラモン教が盛んな時代で、其当時としては素晴しい教義で大衆を魅了した事は勿論であるが、其時代の印度人の社会生活と今日の日本人の社会生活とは、余りに甚だしい懸隔のある事で、それを先づ考えなければならない。

又日本仏教の各派としても、印度ほどではないまでも、数百年以前の日本の社会生活と今日とは亦相当の違ひさのある事は否定出来得ない。仏教が此世を厭離穢土といひ、火宅と称し、空の説を唱え、煩悩を断ち、厭世観的消極思想を建前としてゐる以上、日本の現代社会に適合しないのは当然であるばかりか、今日国際競争激甚の時代にあっては、大衆から忘れられ勝ちなのは止むを得ない事である。

一方又娑婆即寂光の浄土といひ、即心即仏といふ如き楽観説もあるが、之等も今日の実際社会に於ては不可能である事は勿論であらう。其他神仏共冠婚葬祭等の儀礼の場合、其行事の複雑にして時間を要し、多額の費用を要する事なども、現在に即しない大きな理由である。此点キリスト教の簡易なる方法は大いに学ぶべき処があらう。

斯様に観てくると、既成宗教の無力を云々する世評は寧ろ当然と言ふべきである。故に彼のマルチン・ルーテルの如き一大改革者が出現しない限り、日本の既成宗教没落は時の問題でしかあるまい。見よ、仏教の本籍地であるインドの民衆三億五千万中、現在仏徒は三十数万人に過ぎない事実である。

又中国に於ても今勢力を保ちつつあるのは道教、儒教、回々教等を重なるものとし、キリスト教、観音信仰等で、真の仏教徒は数ふるに足らないそうであるから、兎も角仏教が相当勢力を保ってゐるのは、日本だけといふ事であるから、仏教徒たるもの此際緊褌一番、大自覚の下に不惜身命の活動に入らない限り、前途の帰趨は測り知れないものがあらう。

(昭和二十三年)