学問至上主義の破綻

時亊論壇

最近天下の大問題となった機関説問題は、随分久しい間、各方面に論議されたので、最早余す所は無いかの様に見ゑるが、実は未(マ)だ、その根本に向っての検討は試みられない様である、記者は後学のために、一言の箴言を費してをく必要があると思って、此文を草したのである。

抑々此問題の起りは、全く学問至上主義の思想から出発してゐる。本来、我国今日の文化は殆んどが欧米の唯物主義的学問から成ったのであるから、此学問第一主義が我国人の頭脳に洵に根強く染み着いてゐるのは、無理からぬ事で、その力は、到底、簡単に、打破る事が出来ないであらう。

その證拠には、美濃部博士が、あれ丈世間を騒がせ、又自己の名誉さへ犠牲にしてまでも「学説は飽迄曲げない、千年の後を見て呉れ」と叫んだに見ても、如何に学問至上主義に災されてゐるかが能く判るのである。

然し乍ら此思想は独り美濃部博士のみではなく、我国民中のインテリ層たる学者、学生、操觚(ソウコ)者等の大多数にも結核の如く巣喰って了ってゐて、之を打破是正するには、赤化思想に劣らない程の大努力を要するのであるから、今後は此思想撲滅の為の官民協力に依る一大運動を起す必要があらふ。

是等思想の真因は全く唯物主義偏重の西洋学を、絶対のものとして、長い間崇拝し、幻惑されて来た為であると、今一つは皇国日本の、国体の根本が判らないが為、西洋流に解釈した結果に外ならないのである。

そうして機関説は、表面の登場者は、美濃部博士一人であって排撃派は軍部を初め、右翼団体等多数の様であるが、実際は反対であらう事が、想像され得るのである、只此美濃部党は、世論の風潮に恐れて沈黙し偽装してゐるに過ぎないまでである、その最も顕著な現れは、内閣諸相中、独り陸海相のみが強硬であって首相を初め法相、其他の各相の、熱の無い事夥しいではないか。

実に、軍部の刺戟に止むを得ず、動いてゐるといふに過ぎない状態である、又各新聞紙の論評を覧ても、表面、如何にも、排撃派に左袒(サタン)するが如くにして、実は、機関説擁護の意志が閃めいてゐるのは、誰の目にも映らない筈がない。

そうして、恐るべき赤化思想は機関説の帰結とも言へるのであるから思想上、寔に重大問題である。故に此盲説を撲滅するには、如何にしたらよいであらふ乎を、今茲に説くのである。

抑々皇国日本の国体が外国とは其根本に於て、如何に天と地程の相違があるかを知らなければならない、それは人民中に英雄が野望によって登った帝王と其淵源の遠き事、人文創成以前に源を発せられたる皇系で被在らるゝ事との異ひさで、而も明確に天祖天照大御神の御遺訓が、三千年よりも遙に古い、神代とさへ言はるゝ時代から伝へられてゐるといふ、此事だけにみても、其尊厳なるは外邦とは比較すべくもないのである。玉体を尊称するに、現人神と申上げ奉るのは斯故である。

唯物思想中毒者は、此真髄が会得出来ないのである、故に、どうしても此日本国体の尊厳を正しく認識するには、唯心思想でなくては不可能である事を知るであらう。吾々の主張は、人間は霊と体から成立ってゐるといふ事である、体ばかりなら、単なる物質でしかない、精霊があって初めて生物としての活動をするのである、精霊がある以上、その支配者としての神を認めない訳にはゆかない。

学問至上主義者は此精霊を認めない、それは未(イマ)だ不完全なる分析試験に載らないまでなのである、その結果として機関説を生み、その機関説が国民の忠誠を弱め、且又赤化へ趨るのである。即ち国家弱体の因をなすものは之等の思想である。

唯心主義は機関説を排撃し、その帰納として神を認めるから国体の尊厳を信奉する忠の精神が発する、どうしても国家が強力になる。

此理に由って、之を解決する、唯一の条件は、学問至上主義をして、国体至上主義に換ゑればいい。学問を第二義的の存在にすればいい、国体が安固としてゐなければ学問の研究さへ出来ないではないか、又、森羅万象は、人間が、学問によって造ったのではない、森羅万象も人間も、美濃部博士も、神に造られたので、神に支配されてゐるのである。

我観音信仰は、神の実在を、余りにもはっきりと、認識され得るのである。

(東方の光八号 昭和十年十月二十一日)