観音運動は一切に渉る粛正運動なり

最近選挙粛正に就て官民共に大童となってゐるが、之れも結構には違ひないが、独り選挙のみに限らず、凡ゆる方面の粛正が緊要事であらふ事は誰もが知ってゐる筈である。

社会各般の粛正が行はれてゐないで独り選挙のみ粛正され得る道理がない、然らば如何にして全般の粛正を成し得る乎といふ-その根本的成案であるが、それに就いて今直ちに実行し得て併も我が神国日本に最も適切なる方法の有ることを識者に向って戒告をし度いのである。

近来漸く、欧米の唯物思想の謬ってゐる事、我日本の特異なる国状に適しない事に目覚めて、日本精神を、宗教精神を、植ゑ付けなければならないといふ事に、気が付いて来たのは、喜ぶべき現象である。

その一歩として、学校教育に、宗教を採り入れるのが、最良の方法であるとの見解の下に、それを行はふとしたいが、困難な支障に打つかるのであって、実際問題として、実行し得ない点があるといふのである。それは何かといふと、欧米は、宗教といへば、大体基督教丈と言ふても可いのであるから、頗(スコブ)る実行し易いのである。

然るに我国に於ては、神仏耶の三教があり、その三教の内に、何宗何派も在って、互に融和してをらないのであるから、是等信徒の子女をして、一つの宗教に帰依(キエ)させる事は、絶対不可能である。故に実現の可能性は、今の処、先づ無いのであると、此種の論者は曰ふのである。

然るに、是等の論は枝葉のみに捉はれて根元に眼を蔽ふてゐるやうである。何となれば、我皇国日本には、畏れ多くも天祖天照皇大御神の御神霊が厳然と、暉きゐますのであるから、何等遅疑するの要はない。速かに此天祖の御神霊を奉斎し拝み奉ればいいのである。斯事に就ては、日本国民中一人の反対者ある筈はない。万一反対する者在らば、それは、日本人ではないからである。

内閣に神床を造り、閣議の前、先づ恭々しく祝詞を奏上拝み奉り、然る後、重要審議に中らば神霊の加護を受けて、必ずや、公正妥当なる議決をなし得るであらう。而して、之が祭政一致の具体化なのである。尚進んで、各官庁、役所、学校工場などに及ぼせば、その国民教化の上に及ぼす効果や、蓋し予想外に、甚大なるものがあると思ふのである。今日に於て是等の方策は、寧ろ遅かりしと言ふべきであるがその遅かった原因として如何に長い間欧米の唯物思想に、幻惑されてゐたかを知らるのであ。

此事以上に根本的効果ある粛正も、教化も無いであらふことを断言して憚らないのである、而も費用も多額を要せず、今直ちに実行し得る良法として社会に向って私は茲に提唱する次第なのである。

(東方の光八号 昭和十年十月二十一日)