近頃、仏教復興の声が旺んになって、毎朝の新聞紙を見ても、仏書の新刊が一つや二つ、広告欄に見ない日は無い位である、然らば、何が故に斯る傾向を生じたかを検討してみる時、どうしても、満洲事変を想ひ起さない訳にはゆかない。彼の満洲事変と同時に日本の国策は、方向転換をなし、次には彼の、聯盟脱退といふ我国外交史上、空前の英断的事実が、夫迄の追随外交を、見事に打棄てて了った。
彼の松岡氏が思ひ切って、言ひ度い丈けの事を言ひ退(ノ)けたあの態度は、痛快であった。併も、彼は、碧眼紅毛人の真直中に於て、日本精神を充分高揚した事である。それは、長い間、日本人一般に深くも刻まれてをった、洋崇思想を揺り動かしたからであった。糧てて加へて、次々起った、五、一五、及び血盟団等の事件は、さしも、青年に喰ひ入ってをった、マルクス主義の牙城に、大亀裂を生じさせてしまった。併も、時は恐ろしいもので我国産業の海外躍進といふ空前の事実が、日本人上下の洋崇者を覚醒さした事は何としても愉快であった。
メイド・イン・ジャパンのマークが、欧米人の日常必需品にも、アフリカの土人の使用品にも貼られてあるではないか、此事実は白人の驚歎よりも、日本人自身の方が、より大きい驚歎であった、それ迄、日本は戦争には強いが、他の文化は白人を凌げないと思ってをった、それが見事破られたから、茲に洋崇の衣を脱いで、躍進の輝かしい新衣を着、世界を横行闊歩せん気配を示すやうになって来た。是こに於て日本は、日本の卓越せる民族性に、飜然自覚せざるを得なくなった。僅六十余年に、欧米の文化を吸収し今度は逆に、彼等へ対しての、指導的立場に変って来た。
仍(ソコ)で之は慥かに何物かが無くてはならないと言ふ見地から、日本自身の探究に取掛ったのである。その由って来たる日本人の、思想の根元であるそれは何処から来たんだ。といふ結論が、仏教研究熱になってそれが、仏典の刊行となり、新聞紙の宗教欄となり、ラジオの放送となったんである。
蓋し、日本人の病癖たる、一時的流行に終りはしまいかと思ふ。例へば、古葛篭(フルツヅラ)を掻き廻して、祖先の遺品を検(シラ)べてみるのと同じで彼の空海、親鸞、日蓮等が、血の出る様な苦難に依って、得たる珠玉は、已に発表し尽されてゐる、今日の仏教学者や流行僧等が、牛肉を食ひ乍ら、暖い着物を着て、畳の上で研究した処で、古への聖者以上の何物が得らるるであらふ。
故に今日の仏教復興とは、機(キ)を視るに敏(ビン)な出版屋が際物的(キワモノテキ)の利益を夢み、学者流行僧等は、傑僧の伝記遺文等を蒐集して編み、原稿を稼ぐ位な処で、そんな事をしたり、講演をやったりしてる裡に、段々民衆に飽かれて火が消えるやうになるのではないかと思ふ。
(東方の光五号 昭和十年四月八日)