非常時と宗教

今日誰しも言葉を吐けば非常時と言ふ。此非常時にも国際的と国内的との区別がある。今茲では国内的非常時に就て宗教との関係を少しく説いてみたいと思ふ。

国内的非常時にも経済問題即ち農村及び中商工失業問題等多くあるがその根幹を成してゐるのは何と言っても政治問題であらう。彼の血盟団及び五、一五事件等に因って醸し出された事は何人も否めない所であらう。その目的とする所は政党政治の弊害即ち特権階級擁護政治、多数決政治の誤謬をして改革するにあるのであるが仮りにその改革なるものが成功した所で果して完全なる政治が行はれるであらうか。之は大いなる疑問であらねばならない。

何故なれば立憲政治の根元は投票者と被投票者の両者から成立ってゐるもので被投票者の集団が政党なのであるから政党のみを責め、改革した所で片一方の投票者たる民衆の方も併せて改善されなければ真の効果は無い筈である。腐敗の原因が投票買収にありとすれば買収される民衆も罪は同罪でなければならない。

故に政治形体は第二義的であって要は運用する者の正義の分量にあるんで、此意味に於て吾々は此民衆をして投票買収に断然応じない丈の正義感を植ゑ付けなければならないと思ふ。それは教育の力では効果のない事は現在事実が示してゐる通りで、どうしても此点に向って宗教の力を以てするより致し方がないと思ふ。

故に今後の宗教家は宜く此民衆の政治的正義心を喚起すべく大いに働きかけなければならない。宗教家が社会から重要視せられない原因は此辺にあるのではあるまいか。余りに実生活に遠ざかり時代意識に目醒めない点にあるのであると思ふ。

(東方の光一号 昭和十年一月二十三日)