日本は文化の組立工場

日本人であり乍ら、日本の国柄とその使命を知っている人は殆どないようである。併し終戦前までは或派の人は、一人よがりの国粋的理論を説いたのはいいが、その説を利用して、戦争当時軍部方面などは頻りにそれを唱え、国民を煽り立てる道具にしたのは衆知の通りであるが、これが相当マイナスとなった事は敗戦によってよく分ったのである。処が今茲に私の言わんとする処は、それ等とは根本的に異うので、その心算(ツモリ)で読んで貰いたいのである。

これに就いては、私は以前アメリカのフォードの自動車会社の行り方を何かの本で見て感心させられた事がある。それは同会社は部分品専門の小会社を多く作り其処からその会社の製品を運ばせ、本社へ集中させるのである。すると本社では夫々の部分品を組立て、完全な自動車として売出すという方法である。

恰度それと同じような仕事をする国が、日本であると思うのである。つまり各国々の特長を採入れ組立て、綜合的完全な文化として、世界へ売出すようなものである。それが日本という国の使命であるから、日本には著しい独自の文化はないのである。譬えてみればアメリカの機械文化、民主政治、進歩主義は固より、英国の保守的堅実な政治や穏健なる社会主義、天皇と人民との美わしい関係等もそうだが、その他としては仏蘭西の絵画、文学、音楽等の特殊な自由主義的芸術や、独逸の逞しい進取的力の文化、伊太利(イタリー)の宗教や古典芸術、中国の古代文化、特に漢字、漢文、儒学、印度の仏教等、各国文化の特長は悉く日本に採入れられている。

それ等を見た短見者流の日本人は、昔から日本は真似の好きな国、模倣の天才などといっているのは、深い意味を知らないからである。その為外国の卓越した文化を見ては忽ち崇拝すると共に、日本を劣等視するという悪い癖がある。この表われは終戦後何も彼もアメリカのものならいいと思った事によっても明かである。私はこのことを譬えるに今一つの好い資料がある。それは日本は日の本であり、太陽の国である。太陽が七色の光線を回転すると白一色となる。この意味を考えても成程と思うであろう。これを当嵌めてみると、現在の日本は各国の色を採入れてはあるが、それを回転するまでに至っていないのである。では何故回転出来ないかというと、これは車と同様であって、軸がまだ出来ていないからである。軸とは無論(ス)である。

では(ス)は何時何処に現われるかというと、これこそいつもいう通り我救世(メシヤ)教であって、私がいつも曰う(ス)の文化というのは、この事も一つの重要な主目である。尤も(ス)の文化が生まれたばかりの今日、段々時が熟して完全な心棒になった時廻転し始めるので、初めてそこで白色の太陽世界となり、日本から輝き始まるのである。これも私の曰う昼間の世界の始まりであり、東方の光の顕現でもあるので、これから追々分るであろう。次に今一つ言いたい事がある。それは右の意味が分らない為、自分の国の色に世界を染めようとしている国のある事で、これは何程やっても結局は骨折損の草疲儲けとなるから考えてみて貰いたいのである。

(栄光百九十五号 昭和二十八年二月十一日)