宗教プラグマチズム

アメリカの有名な哲学者パースが、最初唱え出したプラグマチズムは、ウィリアム・ジェームスに至って世界的哲学思想となったので、今日はジェームスが本家のようになって了ったという事である。此プラグマチズムの言葉を訳すと、実利主義とか、実行主義とかいうのだそうだが、私は行為主義と言った方が、どうもピッタリするように思う。之は哲学に関心を持つ程の人は、誰もが知っているから多くをいう必要はないが、今私が言いたいのは、宗教プラグマチズムである。之は以前も一度かいた事があるが、今一度徹底したいと思うので、再びかくのである。

単に、宗教行為主義というと、既成宗教の何れもは実行しているように見えるが、成程文書による宣伝や、言葉の説教、祷り、宗教的行事、禁欲、難行苦行といったような事は、誰も知っているが肝腎な実生活に迄及んでいないのが遺憾である。だから忌憚なく言えば、実生活と離れた一種の精神的修養でしかないと言えよう。処が哲学プラグマチズムは、実生活に哲学を採り入れ、役立つものにしようとするもので此点実にアメリカ式である。それと同様私は宗教を実生活に取入れるというよりも、宗教と実生活と密接不離な関係に迄、溶け込ませようとするのである。だから今迄の既成信仰者のように、独善的、孤立的、観念的ではなく、超世間的な点を最も嫌い、飽迄一般人と同様であるのは勿論、極力信仰の臭味を無くするようにし、万事常識的で信仰があるのかないのか人の目には映らない位にする処迄、信仰が身に着いて了わなければならないと思う。つまり応身の働きである。

宗教行為主義とは、以上によって略々納得されたであろう。

(栄光百六号 昭和二十六年五月三十日)