憑霊現象

私は三十歳位の男子で、典型的霊媒ともいふべき良霊媒を扱ひ実験した事がある。そうしてその男は平常は頗る大人しいが飲酒の癖があって酒を飲むと人格一転し、常軌を逸するので、最も困る事は何軒もの酒屋を次々歩いて酒を飲み、懐中無一物になると今度は酒代を借りて飲み廻るので、その男の父が後へ廻って借金払をするといふ訳である。

右の酒乱の原因を、私は霊的と思ったので或日霊査法を行ったのである。果して憑霊の為である事が判った。それはその男の父の父即ち祖父にあたる埼玉県の百姓で、六十歳位で歿したといふ--その霊の憑依である事が判った。そうして或日の昼間であった。その霊が憑依したと見るや、不思議相にあたりを見廻し「此処は何処だんべ--」といふ。私は『ここは私の家で、所は東京の大森である』と言った。彼「フフーンそうか、然し俺は莨(タバコ)が喫みてへ」--といふから、巻煙草をやると「煙管(キセル)で喫む莨が欲しい」といふので、刻み煙草を与へた。彼はうまそうに二三服喫み終るや、起上(タチアガ)って腰を屈げながら縁側の方に行き胡坐を掻いて、荐(シキ)りに庭を見乍ら、不思議そうな顔をしてゐる。私は『ここは娑婆だが判ったか』といふに、彼は「どうも判らねへ」といふ
私『あなたは地獄は知ってゐるか』と訊くと
彼「知ってゐるとも、苦しい所だ。だが俺は此頃大分楽な所へ出て来たよ。だが酒も煙草もねへので困っちまふ。」
『何故か』と訊くと
「金が無へから買へねへ」--と云ふので、私は霊界では、金銭によって物を買ふといふ事はない事を知ったのである。彼曰く
「アゝ酒が呑みてえ」--といって繰返し頼むのである。私は
『酒を飲めば、此肉体から出て行くか』といふと
「茶碗に一杯飲ませれば必ず出て行く」といふので、早速酒を与へると舌鼓を打って喜ぶのである。
私は『貴方の云ふ通りにしたからもう帰りなさい』といふと「今一杯」といって離れようともしないので、その通りにしてやった所が、漸く離脱したのである。此男に又時々憑る霊に、前年の秋死んだといふ筋向ふの酒屋の親爺があった。之は四十歳位で、力自慢で、憑依するや必ず足を踏張り、手を拡げ
「サー来い。誰でも掛って来い。」といって威張るのである。ある時私の家の書生が打(ブ)つかった処、忽ち投げ飛ばされ、腕の骨を折った事がある。その霊が暴れる時は三人位で漸く取押へるといふ程力があったのである。

次に、若い娘の霊が憑った事がある。それはその霊媒(名前は竹ちゃん)の近所の煙草屋の娘であった。之は二十幾歳で、二月ばかり前に死んだのだそうである。何故憑ったかを訊くと「妾は竹ちゃんは好きであった」と言ひ、又「咽喉(ノド)が涸(カワ)いて仕方がないから水を一杯戴きたい」といふので、直に飲ませると、都合三杯飲み終って、厚く礼を述べ帰ったのである。そうしてその挙動は若い娘そのままで、いとも慎ましやかであった。又
『水は、貴女の家で時々上げるではないか』といふと--
「そうですけれども飲めないのです。」と言ふ。これは如何なる訳か、解するに苦しむのである。或は上げる方の想念の関係かとも思ふ。茲で注意すべきは、酒乱の如き性(ショウ)の悪い飲酒家は、右の男の如く憑霊による事が多いのである。その場合、祖父が孫に憑るといふのがその殆んどで、之等も一代おきの原則に外れない訳である。

(明日の医術 第三篇 昭和十八年十月二十三日)