狐霊と老婆

私が実験した多くの狐霊の憑依者の中で、最も傑作ともいふべきものを一つ書いてみよう。之は五十幾歳位の老婆で、狐霊が二三十匹憑依してゐるのである。狐霊は常に種々の方法を以て老婆を悩まし続けてをり、その中顕著で今でも記憶に残ってゐる事どもを書いてみよう。そうして此老婆は私の家に逗留さして霊的治療を施したのである。私の家に滞在したのは五六ケ月間位だったと思ふ。此老婆は狐の喋舌る事がよく判ると共に、又狐の喋舌る事そのままが、老婆の言葉で表はれるといふ点が面白いのである。

或日、老婆曰く「先生、狐の奴が「今日は此婆を殺してやるからそう思へ、これから心臓を止めてしまふから」といって、妾の心臓の下へ入り掻き廻してゐるので、痛くて呼吸が止まりそうで死にそうです。」といひ「死ぬ前に是非家族一同に遇ひたいからすぐ招んで貰ひたい。」と云ふので、私も驚いて、急ぎ電話で呼び集めたのである。老婆の夫君を初め子供四五人で、一同老婆を取巻きながら、死の直前の如き悲歎な場面が展開されたのである。然し、私は何だか狐に騙されるやうな気がしたので一種の疑を持ちつつ静かに様子を見てゐたが時間の経つに従ひ、漸次苦痛は和らぎ、二三時間後には平常の如くなったのである。従而家族も安心して引上げたといふ訳で、マンマと狐霊に騙されたのである。其後数日を経て復々同様の状態で、家族を呼んで呉れといったが、今度は私は拒絶した所、間もなく平常通りになって了った。

或日の夕方、老婆曰く「先生、今朝狐の奴が「今日は此婆の小便を止めてしまふ」といった所、それから今以て小便が出ない」といふので、早速私は膀胱の辺りへ向って霊の放射をした所、間もなく排尿し、常の如くなったのである。

或日、老婆曰く「此頃時々食事中狐が「もう飯を食はせない」といふと、胸のあたりで閊(ツカ)えて、少しも食事が通らなくなる」といふのである。私は、『それでは私と一緒に食べよう』--と言って一緒に膳に向って共に食事をした所、果して「今狐が「食はせない」といひます。と言ふかと思ふともう飯が通りません」といふ。早速私は飯に霊の放射をなし、又食道のあたりへ向って霊射をすると、すぐに食べられるやうになったが、其後狐は懲りたと見へ、そういふやうな事は無かった。

私がいつも霊的治療を行ふ時、首の付根、腋窩等を指頭にて探ると、豆粒位の塊が幾つもあるので、それ等を一々指頭を宛て霊射をすると、その一つ一つが狐霊であって、其度毎に狐霊は悲鳴を上げ乍ら、老婆の口を借りて曰く「アッ、トウトウ、メッカッチャッタ、そうされると苦しい、痛い、勘弁してくれ、今出る今出る」--といふやうな具合で、その数は凡そ二三十匹はあったであらう。

或朝早く、私が寝てゐる部屋へ向って、廊下伝ひに血相変へて老婆が来るので、家人は私を起し注意を与へたので、私は飛起きてみると、今しも老婆は異様の眼付をして私に迫ってくる、且つ片手を後へ廻して何か持ってゐるらしい。私は飛付いて隠してゐる手を持つと、煙草のセットを持ってゐるので、私は『何をするか』と詰問すると--「先生を殴りに来たんだ」と云ふ。私は老婆を抱へるやうにして老婆の部屋へ連れてゆきそこへ座らせ、前頭部へ向って霊射をすると前頭部には多くの狐霊が居たとみへ、狐霊一同声を揃へて曰く「サアー大変だたいへんだ、みんな逃げろ遁げろ、アッ堪らねへ、苦しい、クルシイ」といふのである。私は可笑しさを耐えて数十分治療すると、平常の如くなったのである。

又、老婆は或日私に向って、「先生、私は頭がありますか」といふ。私は頭へ触り乍ら『此通り、チャンとあるじゃないか』と言ふと、老婆曰く「実は狐の奴が「婆の頭を今日は溶かしてしまふ」といふので、私は心配でならないのでお伺ひしたのです。」といふ。此事があってから、夜となく昼となく手鏡を持って、写る自分の顔を見詰めてゐるのである。質ねると「狐が溶かしてしまふといふので心配で鏡が離せない。」--といふ。『そんな馬鹿な事はない。』と私が何程言っても信じないので、之には私も困ったのである。

右の如き種々の症状はあっても、其他の事に就ては、普通人と少しも変らないのであるから、勿論精神病者ではない。故に私はよく正気の気違といったのである。この原因は何であるかといふと、私の考へでは次の如きものであらうと想ったのである。 此老婆は、前世か又はそれ以前に現世に於ての職業は、女郎屋の主婦の如きものであって、多くの若い女に稼がしたのである。そうしてそれ等若い女の職業が客を騙すといふ狐の如き事をさせたに違ひない。それ故、それ等狐女が霊界に往って畜生道に堕ち、狐霊となったもので、畜生道へ堕ちた原因は、右の老婆であるから、その老婆を怨んだ末、遂に老婆に憑依し、悩ましつつ復讐を行ってゐる訳である。

右の如くに、現世に於ける職業の性質によって、相応の理により畜生道に堕つるのである。そうして其場合女郎は狐霊に堕ち、芸妓は猫になり、スパイや間諜は犬になるという如くにそれぞれの種類がある。之は私が多数の実験によって、疑ふ事の出来ないものである。故に、之等の事を深く知るに於て、人間は飽迄人間として愧(ハズ)かしからぬ生活を為すべきものである。

(明日の医術 第三篇 昭和十八年十月二十三日)