病気と霊 六、カリヱス

カリヱスには脊髄カリヱスと肋骨カリヱスの二種あって、前者は、脊髄に毒素固結し、それが為、脊柱が彎曲するのであって、即ち傴僂(セムシ)となるのである。医療に於ては発病の場合、脊柱の彎曲を防ぐ為、胴体にギプスを嵌め、仰臥させ動く事を禁ずるのである。此方法は幾分の効果はあるが、患者の苦悩は名状すべからざるものがある。そうして多くは、腰骨の左右孰れかの部分又は大腿部等に一ケ所乃至数個所に腫脹を生じ、穿孔されて膿が排泄されるのである。其場合、自然穿孔と人為的穿孔とあり、その排膿は頗る多量にして最も甚だしいのは、数個所の孔から毎日相当の排膿があり、数年に及ぶものさへある。斯ういふ患者の膿量は余りに多量なるに不可解に思ふ事さへある。勿論多少の痛みもあるが激痛もある。人により起床する能はず、何年も呻吟し続けるのであるから、洵に悲惨な病気である。医療では不治とされてゐるが、本療法によれば必ず全治するのである。但だ然し、全治しても脊柱の彎曲は、或程度匡正(キョウセイ)されるが、常態になる事は困難である。そうして此病気の原因は霊的に因るので、それを説いてみよう。

霊界に於て、多数の祖霊が、地獄の苦しみによって罪穢の浄化作用が行はれつつあるに就て、その罪穢--即ち汚濁の悉くを消滅する事は不可能である。それは汚濁の何分の一かは残滓(ザンシ)として子孫が分担しなければならないので、そうする事によって完全に消滅するのである。丁度物を燃しても灰が残るやうなものである。故に、右の残滓消滅に対し、その子孫の一人をして分担をなさしめるので、其場合子孫の誰かが選ばれて、その担任者となるのである。仏教信者が罪障消滅といって苦しむ事があるが、そういふ意味である。そうして其場合先づその者の頭脳に向って、残滓が霊的に流れてくるので、それが又脊柱を伝はり流下するのである。然るに霊的残渣と雖も肉体に流入する場合、肉体は物質であるから残滓は直ちに物質化し膿となるのである。従而不可解と思ふ程、多量の膿汁が排泄せらるるのは、何十人何百人の祖霊の罪穢の浄化であるからである。斯様な説を聞けば、現代人には如何にも不可思議と思ふであらうが、厳然たる宇宙の法則であって、寔にやむを得ないのである。

次に、後者である肋骨カリヱスは、普通の毒素結溜が骨膜の裏面に集溜し、それが浄化作用によって外部へ排泄されようと為し、肋骨を穿孔するので、その為の激痛であるが、医療に於ては、手術によって肋骨の何寸かを切り取り、骨の代用として硬質物を繋ぐ事もあり、又はそのままにする事もあるが、本療法によれば容易に治癒し、一週間とはかからないのである。

(明日の医術 第三篇 昭和十八年十月二十三日)