精神病は全然霊的病気である。然し乍ら、発病の動機は、肉体的病気の誘引による事が多いのである。それは、精神病の最初の発生は、例外なく不眠が持続するにあるといふ事である。
不眠の原因は、曩に説いた如く、右側延髄附近に溜結せる毒素が第一原因であって、第二原因としては、精神的苦悩即ち心配事である。元来精神病に罹る位のものは、常に小心翼々として常識では考へられない程、些かの事にも心配をするといふ類の人であって、所謂消極的善人が多いのである。その結果として脳の霊素言ひ換へれば肉体的細胞の如き、いはば霊的細胞である。それが脳の疲労によって稀薄になるので、それに乗じて動物霊が憑依するのであるが、その殆んどは狐霊であって、稀には狸霊もある。昔から狐憑きといふのは、今日の精神病を指して言ったのであらう。
精神病者は、医学でも唱ふる幻聴、幻覚なる症状があって、前者は人の居らぬのに話が聴えるので、精神病者が常に何者かと問答するが如き状態は、狐霊と問答をしてゐるのである。又後者は空間を見詰め、喜怒哀楽の表情をするが、之は霊が見えるからである。又狐霊が人語を操る場合、種々の人の声を真似る事もあって、実に巧妙なものである。そうして多くは脅迫的な事が多く、例へていへば今此所に居ると誰かが殺しに来るとか、或は地震火事等が起るから急いで逃げろといふ具合で、患者は驚いて飛出すのである。精神病者が突如として外出したり又は人を撲ったり、殺人罪を犯す如きは、狐霊に脅迫され、翻弄されるからである。勿論幻覚に於ても、異様なものを見せられたり、又は知人が招いたりするのが見えるので、驚愕したり、逃げたり、飛出したりするのである。其場合、狐霊は大抵数匹が交代で憑依したり、一匹が憑依し、他の数匹が外部から呼応し翻弄したり実に人間を自由自在に操る事は巧妙で、それ等を狐霊は最大の愉悦とし、誇りとするのである。
そうして、何故人間に狐霊が憑依するやといふに、それは不眠と心配によって脳の霊細胞が稀薄になる為である。例へていへば、脳の霊細胞が充実してゐて十の場合、絶対に憑依は出来ないものであるが、九となれば一だけ憑依出来得るのであって、一乃至五までは精神病とはならない。ただ時々一寸変な所がある位である。然し、稀薄の度を増し、狐霊が六だけ占有するやうになれば、最早完全な精神病である。何となれば、四が原細胞--即ち人間細胞であり、六が狐霊であるから、狐霊が勝って人間が負けるからである。故に精神病治癒の場合、狐霊が五以下になれば人間の意識が回復し始めるのである。それが四となり三となり、二となり一となって初めて全治するのである。そうしてその治癒経路は、最初狐霊が脳から撤退するので、次で、胸部、腹部と漸次下降し、終に臀部から肛門部に到って離脱するのである。之等の話は読者は不可思議に思ふであらうが、実験上洵に明かな事実である。そうして狐霊の特異性としては、常に喋舌り続けてゐるもので、一刻の沈黙時とてもないのである。私が以前、私の家に起居させ扱った若い婦人の患者であったが、意識を取戻した時、狐霊の喋舌り続ける状を、時々私は聞くのである。『今何を云ってゐるか』--と質くと“斯々の事を言ってゐます”--というやうにであるが、狐霊の言ふ事は実に馬鹿々々しい事ばかりである。一例を挙げれば斯ういふ事があった。その患者が快方に向ひ、狐霊が腹部に居る頃である。或日映画を見せるべく映画館に入ったのである。其時、今何を言ってゐるかを質(キ)くと“映画なんか詰らねへや、音楽は聴えるけれども、何にも見へやしねへ”--といふので、私は噴出したのである。成程、彼は腹部に居ては見へない筈である。右の如く、凡て狐霊のいふ口調は野卑である。此患者は、全快後五六年間は幾分異ふ事が時々あったが、其後は何等の異常もなく二十数年を経た今日、普通人と少しも変らないのである。そうして狐霊が喋舌る場合、身体の一局部にゐても、患者自身にはよく判るのである。
今一つの例を挙げてみよう。之は石川某といふ彫刻師であったが、之は精神病になりかけの症状であって、此男が飯を食はふとすると、耳元で『その飯には毒が入ってゐるから食ふと死ぬぞ』といはれるので、驚いて家を飛出し、蕎麦屋へ入って蕎麦を食はふとすると又耳許で同様の事をいふ。又愕いて寿司屋へ入ると又言はれるといふ。そういふやうな事の外に、夜寝ようとすると、往来を二三人の人が通り、それ等が『石川は怪しからん奴だから、今夜殺して了ふ』--といふ声が聞えるので恐ろしくて眠れない--と言ふのである。之に対し私は『それはみんな狐霊がからかって面白がるのであるから、人の居ないのに話声が聞えた時は、狐霊がいふのだと思ひ、決してそれを信じないやうにせよ』と懇々言ったので、それによって彼は翻然と目覚め全快したのである。
又、斯ういふのがあった。それは二十五六歳の自動車の運転手であったが、此男の発病時の特異症状としては、屋根へ上り、駈け廻っては瓦をめくり往来の人に打っつけるのである。それが治療によって意識が恢復した頃右の屋根へ昇っての瓦投げの事を訊ねた処、彼が曰ふには、屋根へ昇る時も、屋根を駈ける時も足の裏が吸着して、少しも危険を感ぜず、如何なる人間の昇れないやうな所も不思議に吸着作用によって昇れるとの事であった。之によってみれば、人間の足ではなく、狐霊の蹠(アシウラ)の作用となるのであらう。故に動物が如何なる所も昇り得るのは、蹠(アシ)の裏が吸着するのであって、それは物体に足を触れる瞬間に空気を吸収し足の裏が真空になるから密着する事が知らるるのである。
次に、当時十七歳の女学生の精神病を扱った事があるが、之は非常に暴れる性(ショウ)で、或時は裸体(ハダカ)となって乱暴する事もある。其際三人位の男子でなくては制へつけ得ない程力があり、又非常に威張りたがり、常に母親などを叱りつけるのである。然るに此原因は、左の如きものである事が判ったのである。
右の娘の父は数年前歿し、現在は母親によって養育されてゐた。然るに、その母親が数ヶ月前、其当時盛んであった或宗教の熱烈な信者となって、その宗教に祖霊を祀り替へたのである。従而、仏壇も位牌も処分してしまったのであった。それが為右の父の死霊が立腹したのが動機となったのである。そればかりならいいが、その家は、元仙台市に祖先以来住んでゐて、その邸内に旧い稲荷があった。それが東京へ引移るに就て、その邸宅を売却し、稲荷はそのままにしたので、買主は稲荷の祠(ホコラ)を処分してしまった為、その狐霊は立腹して、出京した父である主人公に憑依したので、父親は精神病に罹り死亡したのであった。従而、父親の霊と稲荷の霊とが娘に憑依した訳であったが、それは私の治療によって全快し、数年を経た今日結婚して母となり何等普通人と異ならないのである。
右によってみても知らるる如く、古くからある稲荷を処分した原因による精神病は非常に多いのである。故に、精神病者のある家の既往を査べるに於て、右の原因が少なからずある事を知るであらう。
今一つ面白い例をかいてみよう。之は二十幾歳の青年であったが、大方快癒したので、私の家で使用する事になった。いつも庭の仕事をやらしてゐたが、私が命令する事を狐霊が邪魔するのである。例へていへば、或場所の草を全部苅れ--と命令し、暫くして行ってみると、一部だけが残ってゐるのである。私は『何故全部苅らないか』といふと“先生がそこだけ残せと言はれました。”といふ。私は『そんな筈はない。お前は其時、私の姿が見えたのか』--と訊くと“見へないで、声だけ聞えました”--と言ふのである。私は『それは狐が、私の声色を使ってからかふのだから注意せよ』-- と言ふのであるが、直ちに忘れては右のやうな事が屡々あったのである。
そうして、本療法によれば、精神病は悉く治癒するのである。その方法は、延髄附近の毒素溜結を溶解すれば、頭脳に血液が充実するのである。霊細胞とは血液の霊化であるから血液が充実すれば、それだけ霊細胞が濃度になるのである。従而、狐霊は畏縮し、移動する事になり、根本的に治癒するのである。勿論右の毒素溜結の根源は、腎臓萎縮によるのであるから、腎臓も充分施術しなければならないのである。又狐霊の憑依する局所は、前頭部の中央深部であるが、稀には後頭部の左右孰れかの場合もある。
爰に注意すべき事がある。それは普通人にして幾分頭脳の変な人がある。此種の人は、日本人中恐らく八九十パーセントはあるであらう。而も、社会の指導階級例へば政治家、宗教家、教育家、事業家、芸術家、名士等にも多数あるのであるから驚くべきである。それは如何なる訳かといふと、前述の如き脳の霊細胞が稀薄になった場合、四以下を憑依霊に専有されるからである。故に、その憑依霊の意志の発動により異状を呈するのである。
そうして霊は曩にも説いた如く伸縮自在であり、又脳の方の霊細胞も、絶えず濃淡があるので、その濃淡に伴って憑依霊が伸縮するのであるから、如何なる人と雖も、真面目にして立派な行動の時もあるかと思へば、此人がと思ふやうな行為のある事もあるといふのは右の理によるのである。
之等に就て、例を挙げて説いてみよう。先づ政治家などが、近頃あまり聞かないが、以前はよく財閥と結託したり、黄白(コウハク)によって政策を枉げ賄賂によって動く等の行為は、勿論憑依霊がそういふ不正をさせるのである。又、宗教家、教育家等の如き、社会の規範となるべき身であるに拘はらず、金銭や婦人の為に過を犯したり、又事業家等が買収や贈賄や投機的行為をしたり、又名士といはるる人にして、表裏反覆のある事や、芸術家等が我儘奇嬌なる行動をなす等、何れも憑依霊の作用に外ならないのである。又青少年等の不良の原因も、学校を嫌ったり、性質劣弱児童等の原因も、悉く憑依霊の作用である。
一時華かなりし共産党なるものも、実は、猶太の鬼の霊が一人々々に憑依したのが原因である。故にその頃、共産主義者には肺病が多いといはれたが、それ等は病気によって貧血し、脳の霊細胞が稀薄になった為、憑依した事は勿論である。
右の如くに鑑(ミ)て、人間が過ちを犯し、不正不義の行為のある事はすべて憑依霊に因る事を知るべきである。従而、完全頭脳の人間に於ては、その思想も行動も破綻がなく、所謂心身共に健全なる人といふ訳である。然し、斯様の人は、現代社会に於ては、暁の星の如きものであらう。此意味に於て、右の如き健全人が増加するに従ひ、健全国家となる事は勿論である。
そうして、人間の頭脳に血液を充実させ、憑依霊を完全に防止する方法としては、本療法以外にはないであらう。
(明医三 昭和十八年十月二十三日)