顕幽の関係

抑々人間が死と共に霊界に往くや、天国、極楽、中有界、地獄の何れかに帰属する事は既に説いた通りである。それに就て何れに往くべきやは、死の直前の状態そのままが持続するのであるから、それによって自ら行先の見当はつく訳である。それは死に際会し何等の苦痛がなく大往生を遂ぐるに於て、無論天国へ往くのであるが、軽苦は中有界、重苦は地獄に堕つるのは勿論である。此意味に於て現界に居る間、徳望高く、多人数から敬ひ慕はれた人は、其まま霊界に於ても有徳の長者となり、之に引換え現界に於て、他人との交際が薄く、淋しき生活や孤独の状態であったものは、霊界に往くもそのまま淋しき薄倖者となるのである。従而死に際会して病苦又は精神的苦悩のあるものは、その儘霊界に往くも持続するのであるから、勿論地獄に落つるのである。

右に就ての一の実例を挙げてみよう。以前私の部下に山田某といふ青年がゐた。或日彼は私に向って「急に大阪へ行かなければならない事が出来たので、暇を呉れ」と云ふのである。然るに、其時の彼の顔色、挙動等普通でないので、私は彼にその理由を質したが、その言葉に不透明な点があるので、私は霊的に査べてみようと思った。勿論其当時私は霊的研究に没頭してゐたからでもあった。

先づ彼を端座瞑目さして、霊査法を施すや彼は非常に苦悶の形相を表はしノタ打つのである。私の訊問に応じて霊の答へた所は、次の如きものである。
「自分は、山田の友人の某といふもので、大阪の某会社に勤務中、その社の専務が良からぬ者の奸言を信じ、自分を馘にしたので、無念遣方(ヤルカタ)なく世を悲観の結果、毒薬を仰いで自殺したのである。然るに自分は、自殺をすれば無に帰すると思ってゐた処、無になる処か死の刹那の苦悩が何時迄も持続してゐるのであまりの予想外に悔いてゐるのである。どうかこの苦悩を幾分なりとも軽くして戴きたい」とあへぎ喘ぎ漸くにして語るのである。

又山田の大阪行の件に関しては斯ういふのである。
「右の専務へ対しての復讐の念止み難く、山田をして殺害させようと、自分が憑依して想はしたのである。」と言ふのである。私はその不心得を懇々と誡め、苦悩の軽減法を行ってやったので、霊は楽になったと非常に喜び、厚く謝して去ったのである。右終って山田に話をした処、彼は愕くと共に、全く大阪行は霊の云ふ通りといふ事が分った。之等によってみるも死の刹那の苦悩が飽迄持続すべきものであるといふ事が判るのである。右によってみるも、人間は如何なる苦悩に遇ふも、自殺はなすべからざるものである事を知るべきである。

次に、霊界に於ては、神界、仏界の外、天狗界、龍神界、兇党界なるものがあり、先づ天狗界から書いてみよう。

(明日の医術 第三篇 昭和十八年十月二十三日)