畏多くも、我建国の初め、神武天皇の大神勅(オオミコトノリ)に『八紘を掩(オオ)ひて宇(イエ)と為(セ)むこと亦可からずや』との御事に対し、縮めて八紘為宇と申し奉る事は皆知る所であるが、私は此雄渾にして洪大なる御経綸を表はし給ふ御言霊に対し奉り、不肖を顧みず謹しみ畏みて霊的解釈を申上げたいのである。之によって聊かなりとも国体明徴(メイチョウ)に貢献する所あれば、甚大なる幸ひと惟ふのである。
先づ私は、大御稜威といふ意味から言霊的に御解釈申上げなくてはならないのである。
私は、大御稜威とは、畏くも天皇陛下の御霊衣の御拡がりと拝察申上げるのである。我日本が支那事変及び大東亜戦争を経て、国威益々顕揚さるゝといふ事は、畏れ多くも我大君の御霊衣の倍々拡がり給ふ御事と拝察奉るのである。申すまでもなく八紘為宇の芽出度き時が、愈よ近づきつゝあるといふ御事に外ならないのである。
私は、昼の世界とは、日の大神で被在らるる天照皇大御神御顕現といふ事を、曩に申述べたのであるが、その御事によって我大君の御霊衣が拡ぎに拡ぎ、全世界を洽(アマネ)く光被し給ふ吉き時となったので、それが八紘為宇の完遂であると拝察申上げるのである。
私は、昼のリズムは求心的運動であると言った。此理によって御霊衣即ち大御徳が全世界を光被し給ふ時、万国の民草は我大君を仰ぎ奉りて尽く悦服すべきは必然の理であって丁度、全世界が太陽を仰ぐが如くであり、真に帰一の姿である。
基督の言った地上天国、釈迦の言った彌勒の世、日蓮の称へた義農の世等の予言は斯事に外ならないと想ふのである。
(明日の医術 第三篇 昭和十八年十月二十三日)