御神霊

我大日本帝国は、世界唯一の神国であるといふ事は、日本人として知らねばならない最重要事である。然るに、明治以後滔々として欧米の唯物的文化が流入し来り、それによって科学的方面は、欧米の塁を摩すまでに進歩発達したのであるが、惜しいかな、精神文化の方面は甚だしく閑却され、心ある者をして慨歎せしめつゝあったのである。この一方が進み一方が進まないといふ跛行的文化は、何時かは訂正されなければならないと、吾々は其日の来る事の速かなるを冀ふや久しかったのである。

然るに近来、時局の進展につれて、漸く我国民の間にも唯心的傾向が兆し始めたのである。それは大東亜戦争勃発するや、随時随所に赫々たる大戦果を挙げた事実によって、大戦果の蔭に、人智では解釈出来得ない奇蹟が余りに多く現はれた事である。特にその衝に当った処の皇軍勇士諸君に到っては、まざまざと眼に視、耳に聴いた体験によって、口を揃へて奇蹟を称へるのであった。此事は日本人中知らぬものはないであらう。

全く畏多くも大御稜威の然らしむる所であると共に、皇祖皇宗の御神霊は固より、八百万の神々の御活動に依る事は明かであって、最早一点の疑を容れる余地はないのである。是に於て、日本の神国たる所以は、最早論議の余地はないであらう。

私は近来、我国民に敬神崇祖の念が沸き起った事は洵に慶賀すべき事と思ってゐる。その現はれとして伊勢神宮を初め明治神宮其他の神社に対し奉り、年々参拝者の激増するといふ事によってみても明かである。其他国民儀礼や靖国神社参拝等も、霊の実在や想念の伝達を何となく信ずるからであらう。此傾向によってみても、我国民が漸く唯心的文化に目覚めんとしつゝある事を如実に物語ってゐるのであって、全く時の力に外ならないのである。

然し乍ら、私は霊及び霊界に就ての私の研究の成果を読む事によって、それは徹底的に真諦を把握し得られ、敬神崇祖の信念は確固不抜のものとなるといふ事を信ずるのである。

(明日の医術 第三篇 昭和十八年十月二十三日)