恐怖時代

夜の世界の唯物的医学の療法が、固める事を唯一の目的としたといふ事と、昼の世界に近づくに従って、右の医学的方法が逆効果にならざるを得ないといふ原理は、今迄詳説した事によって読者は充分理解されたであらう。然らば、今後時日の進むに従って、個人は固より国家社会全般に亘って、如何なる変化が起るであらうかを、私は想像してかいてみよう。それに就て最も緊要な事は、夜の世界が何時頃終るかといふ事であるが、これは私の推測によれば、爰数年を出でないであらうと思ふのである。勿論、夜の世界が済むと同時に昼の世界に転移する事は言ふまでもない。然らば、夜と昼との転換期に際しては当然未だ曽て人類の経験にない破局的な一大変異が起る事も予想に難からないのである。私は其時の状態及びその前後の状態を予想してみるのである。そうしてもし此時の状態が、私の想像通りであるとすれば、人々は第二のノアの洪水として驚倒するであらう。然し乍ら以上の如き想像を絶する一大変異は果して来るであらうかといふ事であるが、読者よ驚く勿れ、その崩芽は已に表はれ始めてゐる。而も急テンポを以て、最後の日に向って進みつつあるといふ事である。

又、一面昼の世界が接近しつゝあるといふ事は、勿論火素が増量する事であり、火素が増量するといふ事は、浄化力が旺盛になるといふ事であり、浄化力が旺盛になるといふ事は人間霊体に於ける曇の溶解作用が強烈になる事であり、それは勿論肉体に反映し、病気発生の因となる事である。近来、日本に於て病気の激増せる事実は驚くべき程で、何人も見聞する処であらう。そうして此事実に対し、私は確実なる論拠を示そうと思ふのである。それは彼の健康保険であって、一般的にみて集団的単位の被保険者即ち各大工場等に於けるそれであるが、その収支の方面は如何といふに、その殆んどが最近赤字になってきたのである。而もそれが月々悪化の傾向を辿りつゝあるといふ事で、今日保険料の値上げが議題に上ってゐるそうである。之等によってみても近来に於ける病者の激増は、最早疑ひない事実とみていゝであらう。以上の如き病者の激増は、今後益々顕著になるべき事は勿論であり、其結果として、夜昼の転換期に接近するに従って、恐らく日本国民の殆んどが病者たらざるはなしといふ、戦慄すべき危機到来は、もはや免れ得ないであらう。そうしてその症状を想像してみるに、急激な大浄化作用であるから高熱、咳嗽、喀痰、食欲皆無、頭痛、頭脳混惑といふ如き症状が大部分であり、而もそれが、前例のない猛烈と執拗さであらう。

故に、医診に於ても全然診断を下す事は不可能であり、発病するや死の転機の速かなる事驚くべき程で、而も医療を加へる程致死を速めるばかりであらう。従而、病者の激増と死亡率のあまりにも多数に騰(ノボ)る為、人々は恐怖戦慄に襲はれ、畢には政府も策の施しようがなく、混迷為す所を知らざる事態に立到るであらう。その惨澹たる状態は到底筆紙に尽す処ではなく、戦争や空襲の比ではないであらう。

基督の曰った「火の洗礼」とは、私の考察によれば、来るべき霊界の浄化作用で、火素によるのであるから火の洗礼といへよう。

そうして現在としての病者は、浄化が局部的であるから、仮令誤診誤療と雖も、急速に死にまでは到らないが、それは未だ夜の世界の水素的原素が或程度残存してゐるからである。

そうして前述の如き恐怖時代に際して、本医術が如何に偉大なる光輝を発するであらうかといふ事である。何となれば、其時如何なる病者と雖も、本医術によらなければ、生命を完うし得られないからである。それに就て、今日最も適確なる一證を挙げる事が出来る。それは本療法の効果が年一年、否月々顕著になりつつあるといふ事実である。之は実地治療に従事する者は、常に驚歎してゐる処である。例へば一昨年、三十回で治癒したものが、昨年は十五回で治癒し、本年は五六回で同様の効果があるといふ如きそれである。それは霊界転換に順応する方法であるからである。然るに、医学等は逆である以上、右と正比例的に益々治癒困難となる事で、之は医療の専門家は、日々の実験によって肯れる筈である。

非常な時代には、非常な対策的方法が表はれる事は、人類史が明白に物語ってゐる。然し乍ら、今日迄の非常時代と雖も、来るべきそれに比ぶべくもない事は勿論であり、実に空前の大非常時代といふべきであらう。此意味に於て、右の大非常時時代を乗り越すべき準備を一日も早く為しおくべきであって、自己自身のみではない、その時及びその時までに一人でも多く、わが同胞をして乗越させるべく指示を与へなければならないのである。それは勿論、本医術を修得なしおく事であると、思ふのである。

右の一文を読んだ人は、或は脅迫的言辞を連ね、以て本医術修得者を増加する目的にすると想ふかもしれないが、そういふ人は、縁なき衆生でしかない事を言ふに止めておかう。

そうして私は、曩に述べた如く、多数の日本人、病者に限らず、健康者をも診査するに於て、何時も慄然とするのである。それは如何なる人と雖も、各局部に溜結せる毒素のあまりにも夥しい事である。其際いつも想像する事は、此人達がもし一挙に全体的浄化作用が発生するとしたら、到底生命は保てまいといふ事である。それ程今日の日本人は毒素が多いのである。之等は勿論、何世紀に渉って浄化作用発生するや、その都度、極力之を防遏し、固めに固めた結果である事は勿論である。

そうして大転換期に際会するや、如何に多くの病者が、本医術の治療を求めんが為治療所に殺到し、又は本医術修得者に向って救を求むるであらうかを想ふのである。何となれば、其時の霊界に於ける浄化力は最も旺盛で寧ろ絶対的ともいふべきものであるから、本療法を受けるや、その治癒の速かなる事も亦顕著で如何に多くの同胞が救はれるであらうかは、贅言を要しない所である。

然し乍ら、曇の比較的少い人達は、浄化作用に対抗なし得るから、本療法を受けざるも此危機を脱し得る事は勿論である。

茲で再び断はっておきたい事は、右は私が最悪の場面を想像してかいたのであって、決して予言ではない事である。私としては右の想像が的中せざる事を念願してやまないものである。

(明日の医術 第三篇 昭和十八年十月二十三日)