霊界が夜昼転換するに於て、人間に対して如何なる変化が起るかといふ事を説いてみよう。病気は浄化作用である事は、最早説く必要はあるまい。然し乍ら、茲に知っておかねばならない事は、肉体の浄化作用が起るより以前に、霊体の方が先に浄化作用が起るといふ事であって、それは霊体それ自身が霊界に属してゐるからである。
然るに、夜の世界に於ての霊界は、暗黒か又は月の光であるから、浄化力が極めて微弱であった事で、昼の世界に比べて何十分の一の力である。故に、夜の世界であった時期の間は、浄化作用を促進させる事は困難である為、止むを得ず其反対である浄化作用停止即ち固める手段を採らねばならなかったのでそれが病気治癒の唯一の方法とされて今日に到ったのである。然るに、昭和六年即ち満洲事変頃から霊界に光明が射し初めたのであるから、此頃より漸次浄化作用が強烈になってきたのである。即ち、黎明期に入った訳である。
之が曩に説いた如く、夜の世界の右進左退の暗黒的リズムに対し、昼の世界の左進右退的光明のリズムの運動が霊界に起り始めたのである。此リズムの変化によって世界の凡ゆる事象が転換し始めたのは勿論である。此根本原理を知識しない限り、世界の趨勢は明かに知るを得ないのである。
そうして、左進右退的リズムが浄化作用そのものであるから、年一年浄化作用は旺盛になりつゝあるので、此意味に於て、漸次浄化作用停止は不可能となるのである。故に、黎明期以前に於ては、病気に罹るや、薬毒その他の方法によって浄化作用停止を行ふ事が或程度可能であったのである。例へていへば停止期間が三年であるとすれば、其三年間が治癒した形となったのである。それが黎明期から漸次停止期間が一年となり、三ケ月となり、一ケ月となり、十日といふやうに短縮され、何れは停止が不可能になるのである。然るに、右の原理に不明である医学は飽迄浄化作用停止を行はうとする。其方法として倍々薬毒を強烈にしなければならない。尚其方法も、服薬よりも注射による方が、より強烈な毒素を使用出来得るから、浄化作用停止に効果がある訳である。近来、注射療法が流行するやうになったのも、右の理由によるのである。又近来、注射をするや忽ち生命を落すといふ事をよく聞くのであるが、全く強力なる浄化作用停止の方法が、強力なる浄化作用と衝突し、激烈なる摩擦を起すから、急激に右の様な結果を来すのである。
右の理論の證左として、医家に於ても近来薬の効果が以前より少くなったといふが、それは全く霊界に於ける浄化作用が旺盛になった結果である。
そうして浄化作用停止とは、勿論溶解作用の起った毒素を固めようとするのであるから、以前の如く固め難くなったといふ訳である。
そうして近来医学に於ては、病気に罹ってから治す医学よりも、病気に罹らせない医学即ち予防医学に重点をおく方針にするそうであるが、之は一寸聞くと尤ものやうであるが実は、病気に対して今日の医学が余りにも治らないので、やむを得ずそうせざるを得なくなった為であらう。それ程に治病効果が薄くなったといふ事は如何に浄化作用が旺盛になったかを如実に物語ってゐるのである。
(明日の医術 第三篇 昭和十八年十月二十三日)