善主悪従

右進左退である夜の世界が唯物的文化を生んだのであるから、一切を物質によって解決せんと意図した西洋思想も止むを得ない当然の帰結であった。それが今日迄の科学であるから、人間を唯物的に、他の動物と同様に取扱はれたのであった。此意味に於て、西洋医学は、人間医学ではなく動物医学である訳である。そうして右進と左進を善悪に区別するとすれば、右は悪であり左は善である。それは物質を主とすれば悪となり、精神を主とすれば善となるからである。

従而、右進左退の文化が持続するに於てはどうしても悪魔的となり、弱肉強食とならざるを得ないのである。弱小民族を虐(シイタ)げて自国のみ富強を誇った白人文化をみれば肯かるゝであらう。そうして彼の西洋医学が死体を解剖し、手術によって肉を切り血を出ださせ、注射によって肉を破り痛苦を与へる等、悪魔的残虐性を多分に有つ方法を執るのも、そうした意味からであらうと想ふのである。又西洋医学を進歩発達させたと称せらるゝ大医学者は殆んどが猶太人である事である。故に、西洋医学へ対して猶太医学といふ人もあるのである。

そうしていよいよ昼の世界に転換するとすれば、右の反対である現象が起るのは当然である。即ち左進は善に属する以上、精神的にならざるを得ないのである。其結果として一切が唯心的方向に進んでゆく。故に、近き将来に於て霊的科学が生れるであらう事も勿論である。否已に生れてゐるといっても可いであらう。それは私の創成した此医術は霊的科学であり、動物医学ではなく人間医学であり、唯心的療法であるからである。悪魔的残虐行為とは凡そ反対であって、実に人類愛的医術である。従而、右進左退の文化が左進右退的文化になるといふ事は、悪主善従の世界が、善主悪従の世界になるといふ事である。弱肉強食の世界が道義的世界になるといふことである。

私は、今一つ別の方面を観てみよう。それは凡ゆる部面に於ける悪が清算されつゝある事である。視よ、国際的にはアングロサクソンのマクワベリズム的功利主義が清算されつゝあり、我日本に於ても、近時政治家を初め指導階級の凡ては、従来に見ざる真面目さであり、国民の思想も行動も国家の利害を主とし、一頃の自由主義思想は全く影を潜めてしまった。又商業者等も利潤追求本位が公益優先本位となり、商品の原価と利潤は旧体制の頃の秘密主義は許されなくなって公開的となり、教育は個人の優越欲や立身出世の目的は第二義的となり、凡ゆる出版物も映画も演芸も、低劣や頽廃的のものは許可されなくなり総ての贅沢は制限される--といふやうになってきたのである。

之を要するに、一言にしていへば一切の悪と秘密と利己が不可能となって、公正明朗なる道義的新世界が生れんとしつゝある相貌である。全く右進左退の世界が左進右退の世界に転換せんとする姿でなくて何であらう。

(明日の医術 第三篇 昭和十八年十月二十三日)