以上の如く、最近までは夜の世界であったから、凡ゆる文化は夜の文化であった。即ち月の文化、水の文化、体的文化、右の文化、緯の文化であった。それが漸次昼の文化となりつゝある事で、それは太陽の文化、火の文化、霊的文化、左の文化、経の文化となるのである。従而、体的人種である白人が形成した文化が、西方から東方へ向って浸漸した事は、それは逆であった。然るに今度は黄色人種である太陽の民族が創成した文化が西漸する時になったのでそれが正しい法則である。
それに就ての私の発見をこれから順次説くのであるが、先づ夜の世界と昼の世界に就て別の方面から解剖してみよう。最近の科学に於ける電子論即ちミクルトンとヱレクトンの運動などは可成の所まで進んできてゐる。又光の微粒と其運動や、音の電波等に就ても、或点までは開明されたのであるが、私はそれ等より一層深く説かふとするのである。それは電子よりも一層微なるもの仮に霊子と名付ける元素である。此霊子は非常の速さを以て渦を巻いてゐる。その渦の捲き方は、夜の世界即ち暗に於ては右進左退であり、昼の世界即ち光に於ては左進右退である。此理によって水は右進であり、火は左進である。
そうして右進左退は遠心的運動となり、その結果は分裂となるのである。又左進右退は右と反対で求心的のそれとなり、統一となるのである。之を卑近の例をもって判り易くいへば、時計のゼンマイは左進によって捲かれ右進によって解かれるのである。又鍵は左進によって締り右進によって開かれるのである。又炭団(タドン)は左進によれば丸まるが、右進では崩壊するのである。故に右進左退の結果は分裂となるので、思想的には個人主義となり利己主義となり民主主義となり、尚進んで共産主義となり、政治的には多数決となり、下剋上的となり、経済的には自由競争を生み、凡ての法規は其条文が益々繁雑化するのである。又右と同様に医学上に於ても極端に分裂して内科・外科・婦人科・小児科・脳神経科・整形外科・泌尿科何々等々、益々専門的にその科目を増してゆくのである。従而、療法に於ても服薬注射は固より、ラヂウム・レントゲン・紫外線・赤外線・不可視線、曰く何々等弥々その数を増し、其他電気・磁気・温熱・鍼灸・温灸等は固より、民間療法に於ても幾十幾百の種類があるか分らない程である。従而、病気の種類に於ても益々殖えつゝある事は周知の事実である。故に今仮りに一人で脳病・眼病・中耳炎・胃病・皮膚病の五種の病に罹ったとする。これを別々の専門家へ行く事は到底不可能であるから綜合病院即ち大学等の大病院へ行くとする。然るに朝早く行ったとしても、一科目に就て少くとも二三時間乃至半日はかゝるであらう。故に、一日がかりで二科か三科目だけの診療がやっとであらうから、五種の病気では一回だけの診療に二三日はかゝるであらう。故に、大抵の病人は奔命(ホンメイ)に疲れて、病気によってはその為に増悪する場合もあらう。実に馬鹿々々しい限りである。
之は近来よく唱へる説であるが、西洋医学の対症療法は部分的加療であるから間違ってゐる。元々人体機能はそれぞれ相互関係によって生命を保ってゐるのであるから、一局部の病気と雖も、全体的加療でなくては効果は薄く、正しい療法とはいへないといふ事で、之は全く真理である。
然るに、本医術に於てもそうであって、根本療法である以上、全体的に病原を発見しそれを衝くのである。例へば、前頭部頭痛の場合はその部だけ治療しても効果は薄いのであって、病原は実は頸部淋巴腺の浄化熱の為である。従而、頸部淋巴腺を施術すれば、前頭部に施術を行はなくともよく治癒するのである。又後頭部の頭痛はその原因が延髄部毒結の浄化熱の為であるから、其部と其部の根原である腎臓の治療によらなければ奏効しないのである。又近眼及び乱視は、後頭部、延髄附近の固結が原因であり、鼻のつまりは延髄部及び背面腎臓部であり、そこの毒素溶解によって快癒するのである。又皹(ヒビ)、霜焼、 疽(ヒョウソ)等の如き手指の疾患は、その局部のみでは効果薄く、肱(ヒジ)より手首までの間に根原である毒結があるから、それを溶解する事によって根本的に治癒するのである。又手の甲の疾患は肱と腕の上末端との間に根原があるので、それを治療する事によって全治するのである。又足部の疾患もそれと同様である。次に私は以前歯痛を治癒すべく、その局部を施術した処一時的効果はあったが、復(マタ)痛み出したので頸部淋巴腺を施術した所、一旦治癒したが翌日復痛むのである。従而頸部淋巴腺の筋を下方へ辿って胸部を施術した処、一旦治癒したが復翌日痛み始めたので、今度は又下方へ向って施術探査しつゝ、終に盲腸部までに及んだのである。そこで初めて判った。それは此人は盲腸を数年前手術したので、其際の薬毒が固結してをり、それが歯齦から排除されようとして運動を起したのであるから、盲腸部を施術した処、今度は完全に治癒したのである。歯痛の原因が盲腸部にあらうとは、之は夢にも思へない事であらう。之等によってみても局部的対症療法が、如何に誤りであるかといふ事を知るであらう。
そうして夜の文化の分裂作用は、凡ゆる部面に於ても微に入り細に渉って倍々末梢的になりつゝあるのである。然るに昼の文化は此反対であるから、統合と単一化即ち一元化となる事で、中心に帰一する事である。それが今日何人の眼にも映じつゝある所の世界的大転換の真相である。視よ、世界の凡ゆる国家は漸次分裂から統合に向ってゐるではないか。彼のヨーロッパ諸国は独伊に、亜細亜は日本に統一されつゝあり、思想に於ても全体主義となり、国民全部が国家が指示する単一目標に向って統合前進する。それが為個人の自由は制限され、利己主義は許されなくなって来たのである。又政治的には幾つもの政党は解消されてしまって、日本は翼賛政治の下に一元化されんとし、独逸はナチス、伊太利はファッショといふやうに、求心的一元化されてしまったのである。又経済的には中小商工業者は漸次整理統合されつゝあり、農業に於ても鉱業に於ても、其他重要物資は政府管理の下に置かれるやうになった事も勿論一元化の表はれである。斯様に凡ゆる部面に於ては、着々夜の文化が清算され、昼の文化に転換せんとしつゝあるに拘はらず、独り医学のみは旧態依然として分裂作用其儘が持続しつゝあるのである。然し乍ら実は此部面に於ても已に黎明は近づきつゝある事である。
その何よりの表はれとして、私の創成した此日本医術が生れんとしてゐる事である。此日本医術に於ては、一人の患者で五種も六種もの病気を有ってゐる者と雖も、施術者一人で全部を治療し、全部が次々治癒してゆく事である。全く一元的療法でなくて何であらう。そうしてその原理は、霊を以て霊を治癒するのであるから、白人創成の唯物的方法とは反対で、全く東洋的否日本的唯心的方法である。右の意味に於て、好むと好まざるとに関はらず、唯物的分裂化の西洋医学にも清算の前夜が迫りつゝあるのである。
(明日の医術 第三篇 昭和十八年十月二十三日)