生産増加の根本条件

我日本が現在直面しつつある此難局に対し最大喫緊事である事は戦力の増強、即ち生産力拡充である事は今更言ふ迄もなく、官民共に努力の焦点としてゐる事によってみても明かであらう。そうして此問題に対し、現在行ひつつある方策なるものは、私は聊か的外れではないかと思ふのである。それは何であるかといふと、識者の見解によれば生産増加の原動力は、国民一般が此重大時局に対し認識と熱意が、今一層強化されなければならないとしてゐるやうである。従而、重点を意志や思想に置いてゐる事である。即ち勤王の大義を説き、幕末の志士等の言行を以て亀鑑とすべく筆に口に鼓吹しつつあるのであるが、それ等も勿論緊要事ではあるが、それよりも猶一層重要なる点に気付かなければならないと思ふのである。

先般翼賛会の或有力者のラヂオ講演によれば『我国民は近来、戦時意識に対し、中だるみがしてはゐないかと想ふ。それは 生産部面が予期の如き成果を挙げ得られないといふ事である』と、然るに私は、此言葉の奥には寔に憂慮すべき何物かを示唆してゐると思ふ。何となれば現在益々増産しなければならない此時期に於て、中だるみなどといふ事はあり得べき筈はないからである。いふ迄もなく今日に於ては最早国民中一人として此重大時局を突破するには生産の増加あるのみといふ事を意識しない者はない筈である。銃後も戦場であり、一億全部が戦ひつつあるといふ覚悟を有ってゐない者はあるまいからである。然るに、その国民の総意が生産に表はれないとすれば、それは何れかに割切れない何かがあるに違ひないからであらう。然らばそれは何であるか、私は次に書いてみよう。

右の原因として、一言にしていへば国民全般が疲れてゐるのである。否疲れるのである。如何に確固たる意志があり、精神力が旺盛であっても、躯(カラダ)がいふ事をきかないのである。それは体力の限度を超える事は出来得ないからである。即ち十五貫の重量を限度とする人は如何に精神力を揮っても二十貫は持ち得ないと同様である。此意味に於て私は、現在の日本国民は精神力が勝ち過ぎ体力がそれに伴はないといふのが真相ではないかと思ふのである。右の意味によって考える時、中だるみといふ事の原因は体力低下にありといふ事を物語ってゐるのではあるまいか。而も緊張しなくてはならないといふ此際、それは体力の低下が相当寒心すべき程度にあると思ふのは杞憂ではあるまい。

然らば、右の如き体力の低下は如何なる訳であらうか。本医術に照し考ふる時あまりにも明白である。それは勿論現在の保健衛生が適正でないといふ事に帰するのである。そうして曩に説いた如く疲れとは微熱発生の為であり、微熱発生とは保有せる溜結毒素に対し労務特に激烈なる労務によって浄化作用が発生するのである。然らば保有毒素とは何か、いふ迄もなく予防注射等による薬毒の凝結及び感冒的浄化作用の抑圧による毒素溜積の二つが重なる原因である。

右の如くである以上、此解決は容易である。それは薬剤を廃止する事と感冒に罹るやうにする事である。単なる此二つの実行によって国民の体力が増強するといふ事は何たる簡単な方法ではあるまいか。然るに、右の原理と凡そ反対である今日の保健衛生であるから、愈よ倍々体力は低下するのみであらうから政府が如何に怒号焦慮すると雖も逆効果にならざるを得ないであらう。故に、此根本原理に目覚めない限り、国家の前途は如何になりゆくや、之を思ふ時、私は晏如(アンジョ)たり得ないのである。

今一つ重要な事がある。それは医学に於ては結核の重なる原因として過労及び睡眠不足を挙げてゐる。従而、此事を信ずるとすれば右の過労と睡眠不足を極力避けなければならない事になるから、それが為の注意の観念が仕事の上にどう作用するかといふ事を考へてみなくてはならない。即ち今一息頑張ればいいといふ時、又は今一息仕事の時間を延ばそうとする場合、精神的に躊躇するのは当然であらう。故に、右の如き結果として生産の上に影響する所如何に大なるものがあるかといふ事である。又曩に説いた如く感染の憂なき結核を感染するとなし工場出勤を禁じたり、早期診断の結果仕事に従事しながら治癒する程度の軽症を重大視して工場から離脱せしむる如き等何れも生産力に影響する所鮮少ではないであらう。

右に述べたる如き種々の誤れる医学的方策が如何に生産力を阻害し、生産減少の原因となってゐるかは、蓋し量り知れないであらう。

(明日の医術 第一篇 昭和十八年十月五日)