哲学的に観たる本医術

今日迄、本療法によって偉効を奏した場合、之を批判するその観念が非常に誤ってゐる事である。それは何であるかといふと、薬剤も機械も使はないといふ治病方法であるから、現代人としては永い間唯物療法によらなければ病気は治らないと固く信じてゐる結果どうしても精神的に因る効果と想ひ易いのである。従而、治療で治ったのではない。信ずるといふ精神作用によって治癒したといふのである。特に、第三者の場合そう思ひ勝である。然るに、事実はその反対であるから面白いのである。

今日、本療法は勿論、或種の民間療法に受療に来る患者は、悉くといひたい位、一種の疑惑を抱いてゐる事である。勿論それは、器械も薬剤も用ひないで治るといふ事は不思議に堪へないといふ観念である。然し乍ら、人から偉効を説かれ、又は近親者等の偉効を見せられてゐるに於て信疑相半ばすといふのがその殆んどである。

然るに、医療を受ける者は、治るといふ既成観念に強く支配されてゐる事は勿論である。而も大病院や博士号等は、特に信頼を強めさせられる。又、医学の素晴しい進歩といふ先入観念も、より一層の信頼を強めさせられるといふ訳で、病気治癒に対する精神的信頼は民間療法とは比較にならないものがある。その證左として、医療を受けつつ数ケ月に及んで、聊かの効果がなくとも信頼は衰へない。否一二年に及び病症が漸次悪化すると雖も、何等信頼に変りはないのである。実にその信頼の強き事驚くべきものがある。

従而、或場合誤診誤療によって悪結果を喫するも、多くは疑惑を起さないのである。又注射によって致死するも、手術の過誤によって重態となり不幸な結果を来すと雖も同様である。そうして医学の大家が、凡ゆる最新の療法を施すも漸次悪化し畢に不幸の結果を来す場合善意に解釈し、あれ程の大家が、彼程努力しても、斯様な結果になったといふ事は全く命運が尽きたのであると諦め、些かの悔も不平も漏さないのである。然し乍ら、偶々医家の誤療が余りにも明かであって、その為不幸な結果に終った場合、告訴の提起など称へるや周囲の者は、今更兎やかういふたところで死んだ者が生きかへる筈はないからといふ自利的解釈が勝を制して、そのままとなる事が殆んどである。

右の如き医学に対する絶対的信頼は如何なる訳であらうか、私の観察によれば、現代人は事物を観察する場合、事実よりも外形・理論・伝統等を重んずるといふ傾向が、あまりにありすぎる為と思ふのである。之に就て私は若い頃哲学に興味を持ち、特にフランス人の有名な哲学者アンリー・ベルグソンの説に、憧憬した事があった。　それは、同氏の哲学中に、私の心を強く捉へたものがあったからである。それは直観の理論と万物流転といふ説であった。然らば、それはどういふ訳であるか、その要領を出来るだけ簡単にかいてみよう。

抑々人間は、総ての事物を観察する場合、多くは事物そのものの直観は為し難いものである。何となれば、如何なる人間と雖も、現在有する観念なるものは決して無色ではあり得ない。即ち教育、習慣、伝統等、凡ゆるそういふ類のものが、綜合的に潜在し、それが想念中に、棒の如く固形化してゐるものである。従而、事物を観察する場合、その棒なるものが大なり小なり必ず影響する事は免れ得ないのである。

故に、ともすればその綜合観念が、事物の実体其儘を把握させないのである。一層判り易くいへば、右の棒が色眼鏡となるのである。此意味に於て、誤りなく事物の実体を把握するといふには、綜合観念の棒に微塵(ﾐｼﾞﾝ)も煩はされない境地に吾を置かなければならない。然らば、其様な境地の吾とは如何なるものであるか、ベルグソンはそれを名付けて刹那の吾といふのである。それは過去も未来もない否思惟しない所の現在の吾、虚心の吾である。その様な刹那の吾にして事物を観る場合、はじめて邪魔の入り得ない直観そのものであるといふのである。故に先づ人間として、事物の正しい観方は之以外にはないといふのである。

次に、万物流転とは如何なる意味であるかといふに、それは森羅万象一切の事物は常に流転しつつ、一瞬と雖も止まる事がないといふのである。即ち昨日の世界も昨日の日本も昨日の吾も、勿論今日の世界でもなく、今日の日本でも今日の吾でもない。昨日の文化も政治も経済も芸術も医学も、勿論今日のそれではない。

此意味に於て、昨日は真理であったと思ふ事も、今日は破壊されてゐるかも知れないと共に、破壊されてゐないかも知れない。それは、もし破壊されてゐるとすれば、それは真理ではない似而非(ｴｾ)真理(ｼﾝﾘ)であったからである。又、破壊されてゐない真理は真理そのものであるか、少くとも似而非真理よりも真理に近いものである事は確実である。

又、斯ういふ事もいへるであらう。それは真理の時間的表はれである。例へば幾十年、幾百年無上の真理であるとしてゐたものが、それが逆理であった事が明かになるといふやうな例も幾多の歴史が物語ってゐる。以上説いた如きベルグソンの哲学を通してみれば本医術と西洋医学の真相を把握するに対し、尠からぬ便利があると思ふのである。

爰に、注意すべき事がある。それは右の如く、患者が絶対信頼をする医療によって治らない結果、本医術の治療を求めるのが大多数であるから、斯ういふ訳になるのである。それは信頼する医術で治らないで反って疑惑を以て受ける医術で治るといふ洵に奇なる結果となるのである。此事実を検討する時、全く治病力の差違は歴然たるものがある。それは本医術の治病力は、精神作用を超越して尚余りあるといふ事である。

（明日の医術　第二篇　昭和十七年九月二十八日）