私は医家に関し、不思議に堪へない事実に常に逢着するのである。それは、本療法によって大病院又は大家が見放した重症が、奇蹟的に治癒する場合、患者は嬉しさの余りと、此様な素晴しい医術によって、如何に人々が救はれるであらうかを想って、医家に向って詳細報告する事がある。然るに其場合医家は何等関心を払はないのである。又医家の家族が本療法によって治癒した場合、只驚異するのみで、進んで研究しようといふ意志の発動がないのである。私としては西洋医学とは比較にならない程の治病効果を現実に示すに於て、先づ医師である以上、それを研究すべく積極的態度に出でなければならないと思ふのであるが、其様な事は今日迄更にないのである。
然るに、西洋の学者が何かを発見した報告に接するや、大いに関心を払ひ、直ちにそれの研究に着手するといふやうな事によってみても、日本の医家及び医学者が如何に西洋崇拝の根強く染み込んでゐるかといふ事が解るのである。私は思ふ。日本の医家及び医学者は、医学上に於ける偉大なる発見は、重に西洋人である事と日本人とすれば科学者以外には生み得ないと心に断定してゐるかのやうである。勿論今日迄の文化の大方はそうであったから、今も猶そうであるといふ先入観念によるであらう事は、丁度、米英が今日まで世界に覇(ハ)を唱へてゐた--それを絶対不変のものと思惟してゐた事と同様の観念であらう。
私は、本医術の卓越せる事を、 (アマネ)く知らしむべき第一歩としては、前述の如き医家の狭い視野の是正こそ、何よりも緊要事であると思ふのである。
西洋医学に於ての病理も診断も療法も、如何に非文化的で誤謬に富むかを、実證的に説いたつもりであるが此意味によって如何に努力し、研究し続けると雖も、病気の解決も健康の増進も不可能である事は論議の余地はあるまい。否一日も速く根本に目覚めない限り、人類の滅亡といふ恐るべき危機さへも孕(ハラ)んでゐる事は、曩に統計によって示した通りである。
然るに、西洋医学に於ける如き機械や薬剤等の如き、複雑なる施設も方法も必要としない、只人間の手指の技術によって、その診断の正確と治病力に於て、卓越せる医術が、日本人の手によって創始せられたといふ事実を看過するといふ事は、不可解極まる事といふべきである。如何に偉大な実際的効果を目撃すると雖も、一顧だもしないといふ態度は、医学といふ偶像に対する宗教的でさへあると思はれるのである。自己が信仰する宗教以外の如何なるものと雖も、すべては異端者と見做す態度と同様であらう。私は此問題に対し、参考として数種の実例を挙げてみよう。
私は先年、四十余年、東京市内の某所で開業してゐる某老眼科医の眼病を治療した事がある。それは初め入浴の際、石鹸水が眼に滲みたのが原因で漸次悪化し、どうしても治癒しないので、私の所へ来たのである。本人曰く「私の伜は○○大学の眼科に勤務してゐる関係上、そこに数ケ月通ひ、最新の療法を受けたのであるが、漸次悪化し、現在視力○・一といふ状態である」との事であったが、私が一回治療した処、翌日は○・四となり、一週間にして全治したのである。従而右の眼科医は、本療法の効果に驚くと共に、本療法を受講修得したのである。其後数ケ月を経て私の所へ遊びに来たので、私は『本療法を何人かに試みたか』-を訊いてみた処、曰く「飛んでもない事です。其様な事をすると、医師会から除名されます。故に、極力秘密にしてをり、妻にも息子にも絶対知らせない事にしてゐます」といふので、私は唖然としたのである。
私が治療時代、或若婦人(廿四歳)の重症喘息を治療した事があった。それは珍らしい猛烈さで、一ケ月の中二十日間入院し、十日間家に居るといふ始末で、何時発作が起るか判らないので、その都度、医師に行く事は困難であるから、夫君が注射法を知り注射器を用意し、常に夫人の側を離れないといふ状態で、全く注射中毒症となったのである。多い時は一日二三十本の注射をなし、其結果昏睡状態になった事や、瀕死の状態になったりして、幾度となく医師から絶望視せられたのであった。然るに、私の治療によってメキメキ快方に赴いたので、その夫君は非常な感激と共に斯様な偉大なる治療は、医学で応用すべきであるとなし、永い間夫人が世話になった某大病院の某博士に会ひ説明をしたのであった。夫君がそうした事は、今一つの原因があった。それは其博士は、喘息専門の権威であり、喘息の研究に就ては寝食を忘れる程の熱心さであったといふ-その為もあった。そうして、その博士は驚くと共に、是非研究したい希望である事をいひ、私の所へ面会に来る事になった。然るに、その約束の日には遂に来らず其後数回打合せに行ったが、いつも約束を無視し来ないので、其人は非常に立腹し、医家として斯様な素晴しい療法が生れたのに、それを研究しないといふ事は、医師といふ使命の上からいっても、人道上からいっても不可解であると強硬に言ったに関はらず遂に徒労に帰したのであった。
次に、五十幾歳の男子、頬に癌の出来る頬癌(キョウガン)といふ病気で、数年に渉って凡ゆる医療を受け、最後に癌研究所に行き、不治の宣告を受けたのである。それが私の治療二三ケ月位で全治したのであった。然るに同研究所は患者が同所と離れた後と雖も時々病状を問合すのだそうである。従而、その人も全治してから一ケ年位の後、同所からの問合せに対し、早速出所し、全治の状態をみせたのである。医師は驚いてその経過を訊いたので、本療法によって治癒せる事を詳細語ったのだそうであるが医家は何等の表情もなく、寧ろ不機嫌そうに其場を去ったといふ事であった。
次に、四十歳位の婦人、右足の踝(クルブシ)の辺に腫物が出来、数年に渉って凡ゆる治療を受けたが治癒しないのみか、漸次悪化し、遂に歩行すら不可能となり、臥床呻吟する事一ケ年余に及んだ。然るに、本療法によって自由に外出が出来るやうになった際、会々(タマタマ)以前臥床時代診療を受けた医師に往来で遇ったのである。医師は驚いて、「どうして良くなったか」と訊いたので“斯ういふ療法で快くなった”と話した処その医師曰く「ア、それはお禁厭(マジナイ)だ」といふので、その婦人は、禁厭でない事を説明した所「ア、それじゃ狐を使ふんだ」といふのである。
従而、此医師の言の如きものであるとすれば、現代医学よりも禁厭や狐の方が治病効果があるといふ理屈になるので、その医師の頭脳の低級さに驚かざるを得なかったのである。
右の如な例は枚挙に遑(イトマ)ない程であるから、他は推して知るべきである。又斯ういふ事もある。某博士が自己の手に困難だと思ふ患者を、私の弟子の方へ廻す事がある。勿論、現代医学で治らないものが、本療法によって治るといふ事を知ってゐるからである。そこまで信ずるも尚研究に手を染めないといふ事も不思議と思ふのである。それは或は、そうする事は、医師会との関係もあり、複雑なる事態の生ずるといふ懼れの為かも知れないが、医家としての使命を考へる時、文化の進歩に反するばかりか、人間の生命を取扱ふといふ聖なる使命に背く訳とならう。
然し、私は思ふのである。本医術に対し、何等遅疑する事なく、進んで突入し、研究すべきである。そうして若し西洋医学よりも劣るか、又は無価値であるとすれば放棄すればいいであらうし、之に反して私のいふ如き偉大なる医術であるとすれば、大いに医学界に向って推奨すべきであらう。それによって人類の病気を解決すべき端緒となるとすれば、先覚者たる栄誉を担ひ得る事となるであらう。
要するに、私は医家の良心の問題であると思ふのである。此意味に於て私は、良心的国家の、一日も速かに表はれん事を切望してやまないものである。
(明日の医術 第二篇 昭和十七年九月二十八日)