本療法は一言にしていへば腎臓医術といってもいいのである。曩に詳説した如く病気の原因としては然毒、尿毒、薬毒の三種であるが、その三毒が最も作用する局所としては、腎臓に如くものはないのである。先づその順序を説いてみよう。
人間が此世に生を亨けるや、先天性毒素として最も病原となるのは然毒であるがそれは先づ最初、背面腎臓部に集溜するのである。勿論、嬰児と雖も大抵はそうである。従而世間よくある起歩きの後れる幼児は、右の如きが原因であるから、それを治療する事によって容易に治癒するのである。そうして人間は成人するに従ひ、腎臓部に三毒素溜結し、漸次固結が増大するので、その圧迫によって腎臓は萎縮し曩に説いた如く余剰尿が滲出し、右の固結に追増するのである。従而、腎臓は益々圧迫されるから、それだけ余剰尿の増加となり、愈よ固結が増大するのである。其結果として余剰尿は漸次的に背部脊柱の両側に向って移行集溜し、尚上昇して肩の凝りとなり、頸部の周囲より頭脳は勿論、眼、耳、鼻、歯齦、咽喉部等に及ぶのである。又人により胸部の周囲、腕の付根、胃部、肝臓部、腹膜等にも及び、尚下降して脚部にまで及ぶのである。此場合勿論神経集注個所程集溜する事は曩に説いた通りである。斯の如く、腎臓障碍が原因となって、凡ゆる病原となるのであるから、何よりも先づ、背面腎臓部の固結を溶解除去しなくてはならないのである。斯うする事によって凡ゆる疾患は治癒に向ふのは当然である。
茲で、平均浄化作用に就て知っておく必要がある。それは毒素溜結せる一局所を溶解除去するに於て、他の毒素溜結部は右の浄化状態と同様の状態に平均すべく、自家浄化作用が発生するのである。勿論自家浄化作用であるから、発熱又は痛苦を伴ふのである。従而根幹的原因である腎臓部が浄化されるに於て枝葉的に他に分搬せられゐる毒素は、平均的自然浄化によって、全身的に疾患が治癒さるる事は必然である。此理によって、腎臓の活動を促進さす事こそ、凡ゆる疾患を治癒させ健康を増進させる唯一の方法である。
故に、腎臓部の障碍が除かれ、活動旺盛となるに於て、幾多の好影響が表はれ始めるのである。その最も著しき現象としては若返る事である。少なくとも拾年乃至二拾年は若返るのである。それは如何なる訳かといふと、腎臓なる機能は尿によって体内毒素を処分する以外、ホルモンを製出するものであるからである。今日医学に於てホルモンを外部から注射等によって注入するが、之等は一時的効果に幻惑させるのみで、反って腎臓を弱らすのである。丁度外国品を輸入する為、国内工業が萎靡(イビ)するのと同様である。此意味に於て、輸入品よりも遙かに優秀なる国産ホルモンを無限に製出なし得る本療法の効果は、実に偉大なるものと思ふのである。
右の結果として、元気旺盛となるは勿論、爽快感が湧出し、楽天的となり、人生観は一変するのである。従って、怒り、癇癪、短気等の性格は消へ、親和協調的となり、愉快に仕事に従ひ根気が続くやうになるから、能率が非常に増進するのである。斯様な事をいふとあまりも牡丹餅で頬辺(ホホベタ)をたたかれるやうであるが、私は些かの誇張もない事を断言するので、何人と雖も実験をすれば詐(イツワ)りでない事を知り得るのである。故に、私は常に想ふのである。日本人の腎臓が健全になるとすれば、先づ何よりも能率増進によって生産の増加となり、悲観や憂欝的人間が減少するから社会は明朗化し、人々は生活を楽しむやうになるのである。此意味に於て、此腎臓医術こそ、百万語のお説教にも勝る心身改造法であるといっても過言ではないのである。
次に、平均浄化に就て、今少しく説く必要があらう。前述の如き平均浄化が次々起るに於て、丁度毒結のある個所を、身体が指示する如くであるから、毒素のある個所は結局に於て全部判明し、全部治癒するのであるからそれによって完全健康体となるのである。
次に、本療法を初めて受けたる患者が、翌日あたり、往々だるい場合があるが、それは治療した個所ではなく、治療しない個所に平均浄化が起るので、それは微熱であるからだるいのである。故に、前日治療しない個所を治療すれば、全く治癒するのである。
次に、近来当局に於て一般国民に対し「胸を張って歩行せよ」といふのであるが腎臓を完全にすれば自然的に胸を張るやうになるのである。故に若くして胸を張れないものや年とって腰の曲るといふ原因は、悉く尿毒が背部又は腰部に固結するその為であるから、今日如何に胸張り宣伝をすると雖も、腎臓を健全にしない限り、人為的に無理を強行する事になるから苦痛となるので、一時的効果はあらうが永続性は乏しいものとみなければならないのである。此点に於ても、我腎臓医術の効果は大なりといふべきである。
(明日の医術 第二篇 昭和十七年九月二十八日)