大分県 S・M
思えば昭和二五年八月七日の事で御座居ました。私は当時郵便局に勤務中、福岡の郵便研究所へ入所の為O病院へ健康診断に行きました処、当病院の副院長先生よりレントゲン写真を見て、「少し曇りがあるから入院しなさい。血沈も二一ミリですから」と申されました。私はなんの事かさっぱり分らず、「先生私は悪いのですか」と聞きますと先生は「少し悪いから貴方の局の局長さんに手紙を持って帰りなさい。今度の研究所行きは止めなさい」と申します。私はいよいよ不安になり、先日迄は元気だったのに?と思いつつ、手紙を持って帰局致しました。局長さんに見せると、「肺浸潤ですから早速入院」と書いてありました。私は小さい時から病弱で御座居ましたが、肺浸潤なんかの病気はどんな病気か知りませんでした。早速翌日より休職致し、八月の一一日に入院しました。入院して私にはなんの症状もないので、床に就くのが馬鹿らしく、他の病室に行って遊びました。そして一週間位してから「肺浸潤は肺病だ」との事を同病者の方より聞き、びっくり致し、眼の前が暗くなる思いでした。其の日から早速安静にして静養いたしました。二〇日位たって先生は、もうぼつぼつ恢復しているとの事を申しました。其当時薬はコンテーベンを服薬しておりましたが、先生は入院しても注射も何もしないで、同病の方より肺病はマイシンを打てばよいとの事で、其当時は薬で病気は治る事と思っていましたので、「先生マイシンを打って下さい」と申しますと、先生は「そう貴方が申しますなら」とて五本打って下さいました。私はこれで私の病気は治ったと思いまして安心しておりました。そうして一〇月一〇日先生に退院を話しました。すると先生は家で安静にしていれば同じだからと言って退院させて戴きました。退院して遊んだ上、もうマイシンも打ち、これで元気になったと思い、一カ月位家にいて再び一一月二〇日より勤務致しました。二〇日位勤務しますと又も再発致し、今度は「二カ年安静にしていなければいけない」との事でした。私は愈々吃驚して前途の夢や希望はなく真暗になり、之より又もや病床生活が始りました。二六年三月に近所のメシヤ教信者のH様よりメシヤ教の話をして下さいました。私は其当時はそんな事をして科学でも問題の結核が治るものかと思って、頭から疑っておりましたが三月一日よりH様に浄霊して戴きました。初めの内は問題にして居ませんでしたが、日に日に元気になって行く自分の姿を顧みる時、最早疑う心は消え失せて、毎日悦びと希望を抱いて毎日御浄霊をしていただき、七月に私も入信させて戴きました。一二月四日に同病院に行きレントゲン写真も撮って貰いましたが、曇りも全くなくなり、血沈も健康体の普通となり、副院長先生より全快の証明書を出して下さった時の私の悦び、欣喜雀躍と申しますか、飛び上って踊りたい程の悦びで胸が一杯でした。それから数日後より郵便局に出勤していますが何等の異常もなく、毎日元気で朗かに勤務させて戴いています。之も全く光明如来様の御蔭でなくて何でありましょう。前途真暗な暗黒生活より光明世界に入らせていただいた悦び、今では感謝で一杯です。私のこの光明生活も御明主様はじめ御指導下さいました諸先生方の御蔭で御座います。謹んで厚く厚く御礼申し上げます。
(二七年一月一日提出)
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福岡県 K・C
昭和二四年の春想い出も多いなつかしい女学校を卒業致しました時は青春に胸をふくらませ、理想に燃え健康そのものの身体で御座いました。そうして来る日も来る日も楽しい月ばかりで一年間を和裁に、引続き洋裁のお稽古に通ううち、半年目頃から肩が凝り出し、身体の工合も段々と悪くなり始めました。最初は風邪でも引いたのだろうと位に考え、大して気にもとめて居りませんでしたが、 中々すっきりとせず、医者の診断を受けました処「肺内が少し悪いから用心する様に」との注意を受け、洋裁の方も止め、家庭でブラブラして居りました。併し身体の方は依然としてすっきり致しませんので、昨年一〇月の初め保健所でレントゲン写真を撮り、血沈を調べて貰いましたところ「病気は進行して肺浸潤になって居る」とのこと……更に絶対安静まで言い渡されました。
其時の私の気持は、如何程で御座いましょうか。全く地獄の底に突き落された様で目の前が一度にグラグラと真暗になって了いました。それからと言うものは全く床についたきりで、熱が出たり咳が出たりして両親にも一方ならぬ心配をかけ、私自身も暗い地獄の様な床の中で何時になったら此病魔から逃れることが出来るだろうかと毎日淋しい生活を送って居りました。 其間一年と一カ月、 カルシウム注射を始め、 ビタミンA、B、C等色々な注射をし、パスも二〇〇錠入六箱服みましたが、最初二〇日間位はどうやら気分もよく、時々起きたりなど致して居りましたが、また悪くなり、困って居る時灸が大変よいとの話を聞き、早速一カ月程続けて見ましたが、熱いばかりで病気は依然としてよくならず、顔色は悪く、全く幽霊の様になり、身体は豚の様にただブクブクと肥るばかりで御座いました。
丁度此頃門司市に居ります叔母が此のお道で救われ、健康がすぐれなかったのがすっかり丈夫にさせて頂いたから、是非御浄霊を頂く様にとすすめてくれましたので、早速門司市O教会のH先生に御足労をお願いし御浄霊を頂く事になりました。最初御浄霊を頂きます時は、先生が只手をかざして居られる丈なので何だか頼りない様な気が致しましたが、段々お話をお伺い致して居りますうちにきっと救って頂けるという様な気がして来ました。特に肩部に大きなコブが出来ていますが、此処に毒素が溜って居るのだと言われ、特に丹念に其の部分の御浄霊を頂きましたところ、其晩はとうとう一睡も出来ず小便に五、六回も起きて行く様な始末で全く困って了いました。翌朝起きて見ますと昨夜よく眠れなかったにかかわらず身体の気分もすっきり致し、何となく身体も軽いので、又早速先生に御浄霊をお願い致しますと、全く奇蹟!之が奇蹟でなくて何で御座いましょう。昨日まで立派にありました肩のコブが全然跡形もなく、なくなって居るでは御座いませんか。全く神様の有難いお力をまざまざと目の前に見せて頂き、自然と頭が下りました。
それからというものはメキメキ恢復に向い、三日目には叔母や先生と三時間もかかる列車にゆられ、門司の教会にまでお詣りさせて頂く事が出来ました。医者から絶対安静を言い渡された肺浸潤が、僅か三日で起き上れようとは全く夢の様で御座います。夢ならさめずに居て欲しいと祈らずには居られませんでした。併し現実に私はお蔭を頂き、立派に元気にさせて頂きました。今では叔母の家から教会に通い御浄霊を頂き、家事のお手伝いもぼつぼつさせて頂いて居ります。
全く何と御礼を申し上げてよいやら言葉もありません。もったいない事で御座います。未入信の私にまで下さった此有難い御慈悲を考えます時、神様の御加護に対し、何を以てお報いさせて頂いてよいか、その方途すら分りません。至らぬ者では御座いますが、此私の幸福に比べますと、未だ世間には病苦に悩み呻吟して居られる方も沢山居られます故、 せめて一人でも多く此有難いお救の道にお縋りなさる様、お導きさせて頂き度いと思って居ります。そうして一日も早く私も入信させて頂き、有難い神様の御用をさせて頂き度いと念願して居ります。此処に拙き文をも顧みず御報告させて頂きました。
明主様有難う御座いました。
(二六年一二月二六日提出)
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広島県 H・S
私は昭和二四年五月頃より身体がだるく、 夜は盗汗が出、仕事に気が進まなくなってきました。それでも努めて仕事を続けておりましたが、あまりその状態が続きますので六月一一日に病院へ行き診察を受けました処、世にも嫌がられる肺浸潤との事に、もしやとは思っておりましたが目の前が真暗になりました。
医師は仕事を休み人工気胸療法を半年位続ければ良くなるだろうと言われましたので、言われるままに気胸療法を一カ年半、回数で六一回続けましたが、其結果は良くなる処か何の効果もなく、反って悪化してしまいました。初めの中は動いても何ともなかったのですが気胸を続ける中に、動くと気胸した方(右側)の胸が重苦しくなって来、一年後には食事が進まなくなって来ました。
だが食べなくては衰弱すると思い無理矢理食べるようにし、運動が足りないのかと思い、時々散歩に出ましたが、その度毎に熱が出て身体が重だるくなって来るのでこれではいけないと思い、其頃から絶対安静を守りました。処が今迄は一カ月に一度位寝られない夜があったのが二度となり、三度となり週に二度、三度とだんだん多くなって一一月頃には毎日続くようになりました。
食事は進まず不眠は続きますので眼はくぼみ体重は減り、いよいよ病人らしくなってしまいました。一年半医学に頼り色々と手を尽して貰いましたが結果はかえって悪化して来ましたので、もう外になす術は無いと思い、時々かすめる暗い死の陰に日々不安の日を送っておりました。
すると一二月一八日S先生がふとした事から家へ寄って下さいまして私の寝ているのを見られ、色々と救世教のお話をして下さいました。そのお話を聞いて父もすすめますし、私も何となく心引かれましたので翌一九日からN教会U分教会に通ってM先生に御浄霊をして頂きました。
するとあれ程困っていた不眠が寝られるようになり食事も進み大変気分が良くなって参りました。今年の一月には会長先生より御守様を頂き入信さして頂きました。
今では普通の人と変らぬ位の元気な身体になり、あのなやみ苦しんだ過ぎし日が夢のようでございます。
これも明主様の絶大なる御慈悲の賜物と家内一同喜んでおります。
此御恵の万分の一にもお報いすべく及ばず乍ら御用をさせて頂く覚悟でございます。
明主様誠に有難うございました。
生命を救って頂きました喜びはとても筆紙に書き表わす事は出来ませんが拙い文乍ら御報告させて頂きます。
(二六年六月一五日提出)
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長野県 O・S
思えば昭和二三年一〇月二四日の事でございます。風邪をひいて身体の調子がすぐれず医師の診断を受けました処、肺が悪いと言われ、安静を要すとの事でございました。
当時結核の知識は皆無で、肺病は唯恐しいものという既成観念のみで医師の一言は大きな打撃となり、奈落の底に突落された心持でございました。咳と痰、肩のこり胸痛に悩まされ、安静による体力の減退と共に無気力となり、無感動な日々を過して参りました。抱いていた希望も病故に断ちゆく苦しさ、いらだたしささえともなって暗黒が私の心を閉ざして行くのでございました。
結核の療養は早い方がよいとの周囲の方々のすすめもあり、やがての動の為の静を療養所に求めようという気持も手伝って、翌年の三月二二日に療養所に入院いたしました。
気胸療法、服薬、注射、安静といった単調な味気ない療養の生活の明暮の中に現出された世界は、 実に悲惨極わまるものでございました。高熱に喘ぐ人々、苦しみに苦しみ抜いて次々と亡くなられる人々、すでに医学の分野では手の施しようも無い病める生命の無言の嘆き、果ては経済生活の破壊等に悩める人々、医学の可能性の限界を知った時の絶望感、苦悩と悲哀が常に交叉して眼に映り、 私の胸中に残る許りで、厳しい現実のなかにはじめて知ったのは死の恐怖でございました。切実な自己の問題としてはあまりにも問題が大きく、茫然として戸惑うのみでございました。
これが人間の生存する一面の姿であり実態なのであろうか……。何故に人間はかくも苦しんで尚死んで行かなければならないのだろうか……と繰返す療養の生活のなかで日夜考えてみました。生あるものに必ずや来るべき不可抗力な死を如何にして私達は迎えるかという最終的な問題は、安心立命の境地を求めなくてはと思考いたして居りました。たまたまキリスト教の信者さんの安らかな立派な最後に接して、「こうして生かされるのも、天国へやって下さるのも、すべては神の御旨のままに」と友の高められた心境より得たものは信仰の力の偉大さの確証でございました。
私達の認識の世界を覆って居ります宇宙間の何者か実存する事を信ずる気持と、自己の知情意を超越出来得ないままの気持で一年七カ月の療養生活から自宅に戻ったのでございます。家に戻りましても相変らずの療養の継続で、体力の無い身体の惨めさを歎じつつ惰性によって生きているのみでございました。ところが兄の勤務いたして居ります工場のH様の奥様が手を翳すだけの方法で御病気がよくおなりになったとの御話を御聞きいたし、私が二年近くも療養してよくならずに居りますのに御浄霊という手を翳すだけの事で治るという事は実に不思議な事だと思って居りました。奥様も御奨め下さいましたので御紹介をいただいて兄と共にK中教会のN先生の許に参り色々御話を伺わせて戴きました。力強い先生の御言葉は行きづまって居りました私の心の琴線にふれて響いて参りました。人智では計り知れざるところの神の御恵みと大きな愛に目醒めさせていただき日々御浄霊を戴く毎に過ぎし自己の歩みの誤りがわかり種々の疑惑のベールも取除かれて参りました。
結核のみと思って居りました身体の方は尿毒の為であるという事もわからせて戴き、三回位であった尿の排泄回数も四回、七回、八回と増して御浄霊に依る身体の変化がはっきり認められました。下痢その他の御浄化を今もって戴いて居りますが、ひどかった肩こり、息切れ、胸痛、倦怠感は消滅して一カ月にして心身共に爽快となり減退して居りました体力も回復させていただき、筆舌には尽し難い喜びを持つ身とならせていただきました。
光明如来様の御守護と御力を体験させて戴き、人生のマイナスと思って居りました療養課程も次への飛躍の前提であった事を思い合わせて感謝のみでございます。
お蔭様にて就職する事も出来まして、暗黒から一路光明へと人生路を転換させていただき、暗かった一家も明るくなりすべて歓喜であり、幸福な日々を送らせて戴いて居ります。
兄と共に入信させて戴きお救いいただいた此喜びを多くの病める人々、悩める人々に御与えすべく大神の大愛に、より一層目醒め常に御守り下さいます光明如来様の御許にありまして、微力ではございますが御救いの御手伝をさせていただきたいと念願いたして居ります。拙い文筆ではございますが、御指導戴きましたN先生はじめ諸先生に厚く御礼申し上げまして此処に御報告をさせて戴くものでございます
明主様ほんとうにありがとうございました。
(二六年一〇月九日提出)
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福岡県 S・S
私は昭和二〇年九月復員後、学校に奉職して居りましたが、同二二年六月風邪がもとで、八月には喀血致しました。レントゲン検査の結果、右肺が悪いので絶対安静せよとの事で、死刑の宣告とでもいうような気持になり、注射や服薬等とつとめましたら一時は熱も下りましたので三学期から復職致しました。二カ月後には以前にまして悪化し、また療養生活に入りましたが、療養所入りは経済的に意の如くならず、唯自宅に寝たり起きたりの生活を続ける中に、次第に悪化するばかり、心はすさび、伯父に光明如来様を信仰すれば必ず治ると熱心に勧められましても、耳も傾けず、唯苦しみ続けて居りました。
其時に子供まで病気になりましたので、ふと前の事を思い出し、御話を聞いてみようとO分教会で教修を戴く事になりました。唯物観念と田舎のインテリの自惚と二カ年の病床生活の為に、折角の神の福音も耳に入らず、自分の弱さが不甲斐なく、変なテライが邪魔して、其後教会に足を運ぼうともせず幾月かを過しました。
遂に二四年一〇月には子供が霊界の人となり、急に考えさせられました。子供が霊界に救われますようにと、我身勝手な事から、O支部にお詣りするようになりました。今までは単に言葉の音だけを聞いていた私も、先生の微笑をもって話される数々の事に、何時しか、私の暗い心も明るくなり、希望さえ起きて参りました。
病きを怖るな積りし罪穢浄むる神の御恵みなりせば
御讃歌を奉唱させて戴く度に、感激の新たに湧くを覚えて参りました。二五年一月に御屏風観音様、光明如来様を御祀りさせて戴き、畏くも神の霊衣につつまるる身となり、次第に人生観も変って参りました。それからは次々と浄化相つぎ、心の動揺もなく、却って感謝の中に越えさせて戴き、朝夕、高らかに御讃歌を奉唱しては御神音に触れさせて戴き、益々心の歓喜を覚えて、支部に又本部にお詣りするのが唯一の楽しみとなりました。二六年三月の春季大会には熱海参拝にお伴させて戴きました。
顧みれば、五年前、私は敗戦の痛手を運んだ二条の鉄路に、今は苦難を乗り越えた歓喜と光明の御礼参りの此身を運ぼうとは、実に感慨無量で御座います。
世を呪ひ人を怨みし其頃の
心の曇は消えて跡なき
如何ならむ災とても観音行に
入ればいつしか消えて跡なし
御讃歌の一首一首が、今の自分の現在によくあてはまる御言葉としてピシピシと身に沁みて有難う御座います。
過去四年間、結核の烙印を捺された闘病生活が、何時の間にか闘わず順応して、次第に浄化さして戴き、遂に病魔は消散し、元気にさせて戴くと共に、本当に信仰の味を知らして下さいました。家族も、祖先も御救いを戴き、病気の感謝を知り、明るい心を戴きました大慈大悲の御心になんと御礼申し上げてよいやら、唯々感謝の気持で一杯で御座います。
同病に悩んでいられる皆様の如何に多い事か、皆様一日も早く、一刻も早く、神の福音を聴かれますように、必ずや光明の道、開け行くことを体験者は申し上げます。
皆様は幸福から自ら身をひいています。皆様の心次第で、直に幸福を得られますことを申し上げさせて戴きます。明主様、誠に有難う御座います。
(二六年六月八日提出)
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大分県 K・M
思えば永年肺結核症に呻吟し、軽度とはいえ腸結核まで併発し全く死神に取憑かれた様な私が思掛けない浄霊療法に依り病苦より救われ今日ありますことはひとえに光明如来様の御慈悲と只々感謝あるのみでございます。
顧みますれば、昭和一五年夏、肺浸潤と診断されましたが、結核症に対する知識皆無な為貴重なる初期の間をぶらぶら療法に過し、遂に慢性となり、完全に治癒もしないのに一年有余勤務致しました。昭和一七年夏再発病竈は拡大し、直に入院気胸療法一〇カ月医師より全快の折紙をつけられまして退院自宅で仕上療法を致しました。終戦当時には殆んど健康な人と変らぬ位になりましたが、二一年二月又々再発病勢は悪化致しました。併し三カ月の絶対安静でやや小康を得ましたが、その後は少し良いかと思うと一寸の事で悪化し、一進一退で経過し二五年早々より腸結核症状を自覚する様になり食事も一口每に一〇〇回も嚙まなければならず、毎日毎日天井とのニラメッコのカマボコ生活で生来の神経質は益々昂進し、絶望状態になり只死を待つのみでございました。
ところがはからずも二五年一〇月これも肺結核症で苦しんでいました兄嫁Aが浄霊で救われまして、私にもすすめて下さいましたが、医学万能な私は最初は大反対致しましたが、溺れる者は藁をも摑むと言う通り、現に救われたと言う人のある以上ひょっとすると、お蔭をいただけるかも知れないと思う様になりまして、大分のT先生にお願い致すことになりました。
それからはH先生や其他の方々が時々お見えになって御浄霊を戴きました。又兄嫁Aが一一月三日にお守様をいただき、毎日の様に御浄霊していただきましたところ、五年近くも寝たきりでおりました私が一カ月で食事もおいしくなりまして、立上る事が出来る様になりました。一二月八日には近所のC様宅の屏風観音様の御奉斎にもおまいりさせていただきました。其後は非常に順調に経過致しまして六月頃には一日の大半を起きて暮す様になりました。四月二五日には待ち望んでいましたお守様をいただき大分市のT先生のお宅迄おまいりさせていただきました。
一〇年の間結核と仲よしになり特に後半の五年間は寝たきりの死にも勝る苦しみをなめて当然死んでいたはずの私が、たった六カ月でこんなに健康にならせて戴きましたこともひとえに光明如来様の御慈悲と厚く厚く御礼申し上げます。この上は一人でも多くの人々をお救いさして戴きまして御神恩の万分の一にもお報い致し度いと念願しております。
明主様有難うございました。
(二六年六月二日提出)
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静岡県 I・F
有難い大光明如来様の御力に救われて今日あるわが身の幸を思いますと、御神徳の広大さは到底筆舌に表わし難く、千言万語を費しても御礼の申し上げようもありませんが、喜びのあまり、謹んで御報告させて戴きます。
私は昭和二二年一二月頃より微熱が出て、胸痛や圧迫感を感ずるようになり、医師に診察してもらった処湿性肋膜炎と診断され、病気は相当進行しているとの事で、一度に恐怖と不安のドン底に叩き込まれてしまいました。そして一生懸命注射や内服薬を続けましたが一進一退を繰返している中に何時しか肺までも冒され、二三年七月頃から病状は一段と悪化致し、とうとう実家に帰って静養する事になりました。然し土用の暑さはひどく身にこたえ、日々衰弱を増して、次第に高熱となり病床に釘づけとなりました。医師は病気が腸に来たのだと申しましたが、私はこの腸結核の診断に死の宣告を受けたような気がして、生きる希望はすっかり無くなり、前途は全く暗黒と化してしまったものの、主人のあとに残された幼い子供の身の上を思いますと、生に対する執着は断ち難く、どうかしてもう一度元気になりたい、如何にしても生き抜きたい一念で一杯でした。ちょう度その頃、ストレプトマイシンが大変良いという事を聞き一五本続けて注射した処、大分気分も快くなり、 体重もふえて来て、 この分ならばと喜びつつ安静を厳守し二カ月程過ぎましたが又々発熱、病状は悪化して参りました。地獄に仏の思いも束の間、またまた絶望の深淵になやんでいましたが、丁度その頃Y村のSさんがおみえになり、有難いお道の事や、娘さんが救われた体験等いろいろ御神徳話を聞かせて下さったり、『栄光』新聞なども見せて下さったのですが、未だ医薬を絶対に信じ、マイシンの効果に頼っていた私は、すすめられても御浄霊を受けようとせず、再度マイシンを一〇本注射しましたが、効果が全然見えませんでしたので、あれ程信じ切っていたマイシンにも不安になり、而も経済は次第次第に詰って参り、とうとう医薬一切を思い切り、ただ安静をつづけていました。
処が四月下旬、Sさんが御親切にも又訪ねて来て下さって「今度F先生が御見えになりますから御話を伺ってみたらどうですか」と勧めて下さいました。今迄折角すすめて頂いても耳を傾けなかった私も、今回は何故か心を引かれ、是非聞かせて頂きたいと思い立ち、それまで一日中病臥していたのに、三〇分程も歩いてSさんのお宅まで行き、一日中先生の御話を御伺いし、御浄霊を御受けして夕方帰宅する事が出来ました。毎日寝てばかりいた病人が、一度に無理してはいけないと家人が心配しましたが、先生の御浄霊を一回御受けしただけで非常に気分もよくなり息切れも楽にして頂きましたので、もうすっかり救われたような気持で三日間つづけて入信者と共に御話を聞かして頂きました。
前途の希望をすっかり失い、全く暗黒に閉されていた私は、尊い御道を知って初めて光明を見出し、おかげさまで暗かった心境は一変して、今までの病苦も一度に消えゆくような気が致しました。それよりSさんに御浄霊をお受けし、六月初めに入信さして頂きました。
其後I村のT先生に御願いし、御浄霊をつづけてお受けしていますが、日々薄皮をはぐ如くに快癒の一途を辿っています。
入信以後、時々下痢の浄化を受けており、その度毎に食欲は増し体も肥って参り、体力も増して最近では家事にも何等苦痛なく従事しています。つい最近まで重病に呻吟していた私が、あまり早く元気になったので、家人も近所の人も非常に驚いています。苦悩の連続だった今迄に比し、此頃は心身共に非常に爽快となり、本当に安心立命の境地に入れさして戴き、毎日をただただ感謝の気持で送らして戴いております。
この死を待つばかりであった私を、絶望のドン底より光明の世界にお救いくださいました大慈大悲の御恵みには、到底おむくいする術もございませんが、誠に微力ながらなやめる人に尊い御道を御知らせして、一人でも多くの人が救われますよう、出来得るかぎり努力さして頂いております。
明主様本当に有難うございました。謹んで御礼申し上げます。
(二六年一一月一〇日提出)
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大分県 I・S
我享けし幸の余りに大きければ
讃へる術のなきぞうたてき
嬉しきは地獄にも似し我過去
いつしか忘らひ天国のさま
明主様有難う御座います。唯嬉しさにありの儘を記して御礼申し上げます。私は結婚二〇年目になりますが、後半一〇年は全く主人の病気の看護になやみ、苦痛の日を過したと申しても過言では御座いません。主人は次男でしたが、兄は中学卒業後胸の病に五年病床に臥し他界したそうです。主人も幼少より弱体にて医薬に親しみとても風邪を引きやすく、夏でもうがいをする位でした。気管支炎、肺炎を二、三回繰返し、土曜日曜日には大概床に休む身となり、其後肺浸潤と診断されてよりは暗い影を感じました。二五年発病前の一年程は職務上非常に疲労を覚え息を吹上げ、自転車を押して帰る疲れ切った顔を見ては私は不安と恐ろしさで胸も一杯になりました。発病三月後には幾分恢復しましたが、レントゲン診断の結果就業禁止を言い渡されました。其後療養に努め、五月には亀川国立病院で診察を受けますと、一日も早く気胸をせよと言われ、当市S医院にては完全気胸は癒着の為期待出来ぬかも知れぬ。又整形手術も年輩であるので、此体格ではと首をかたむけましたが、気胸に望みをかけて八回目にレントゲンの結果完全気胸が出来て居ないのでいよいよ手術をするより手の施し様もないと聞いて、此時こそ万事休すと観念不運、次々と考える不安に急に此世の失望を感じ、無明の暗に朝夕なやみ続けました。是迄にも家の不幸は次々に続きました。父がある商売に失敗し、全財産及び住む家まで銀行に渡してしまった悲境にも見舞われた家の逆境と言い、こんどの宿命病と言い実に人生のなやみ多き日々を悟り、余りのかなしさに私の力では如何とも出来ず、終に今まで考えた事もない神さまはあるものだろうかとお救いを求めたくなりお隣りの毎晩の祈りを聞いて、ああ、あの間でも心が安らぐ事が出来ればと、自分も信仰を求めたくなりましたが、信仰によって病気まで救われ様とは思いませんでした。
終に救わるる日六月一八日が来ました。長女のPTAにて学校でY先生にお逢いし、浄霊、浄化の理を聞きまして、主人と共にお詣りしましたが、私は浄霊も受けないのに帰りには何か足まで軽く感じ、今までの重苦しいなやみは全く消えてなくなり、是にて救われる様な気さえしました。 私は主人が浄霊を受ける時間には仏壇の前にて善言讃詞を奏げ一心におすがりしました。M先生からも浄霊をいただき、顔色も元気も出て来ましたが、一〇日以上過ぎた帰りに親族にて『週刊朝日』の文面をみせられ、主人は又悲観して帰って来ましたが、私はその本を読んでも何らの不安も感ぜず、却っておすがりする決心はわいて来ました。暑いのと道も遠いので、近所のT先生に御浄霊をお願いしまして軽い浄化もありましたが、前よりずっと元気も出ました。七月一二日私がお守を戴き、八月には千手観音様をお受けし、主人も教修を戴き、U先生より先祖祀りをして戴いた時は今までにない初めての有難さを覚えました。
其後子供が次々と浄化をいただき、 肺炎、 気管支炎をしましたが、短時間に熱も引いて将来同じ病気を繰返す子供の不幸を救われた事を思いますと、此偉大なるお力を感謝いたします。其後光明如来様をお祀りしまして数日後には御神体より発するお光を拝しまして一層信仰を深めました。一一月末レントゲンの結果主人も復職いたしまして、失望した主人の再起も叶いました。三月には大光明如来様を奉斎いたしまして、益々家の幸福を感じて居ます。長男一八歳(入信)も三月卒業と同時に銀行に無事採用され私も安心して居ます。主人に恵まれし新しい命を思いますと、私は心身を堵して此有難いお道のため尽力をいたす事は私の念願で御座います。この外に大きなお恵み奇蹟も数々いただき、全く感謝に堪えません。ああ長年の暗雲は全く晴れました。私は一九歳までは病みつづきで、この年は伝染病に罹り、死線をさまよいしなど、又嫁して二年後には生家も破産してしまいました。全くこのお道で救われたのです。諸先生方の親切な御導きに感謝し、一人でも多くの方にこの福音をお知らせいたします。明主様有難う御座居ます。
(二六年六月三〇日提出)
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埼玉県 O・T
今日ある我身を思いますと、昭和一九年五月御浄霊を頂いてより此の方、 一日として忘れる事の出来ない感謝感激で一杯でございます。顧みますれば五年間の本当に長い間の病床生活でございました。希望に燃えて学窓を出た筈の私は間もなく急性腎臓炎になって、一年程塩断ちをして居ります中、或る日お風呂に入っているとひどい咳と共に血の塊が出たのでした。その時の驚き様といったらありません。肺が悪いとの医者の診断に本当にがっかり致しました。それからはずっと安静にして居りましたが痰に血腺の混るのがどうしてもとれません。少しよくなったと思っていますと喀血があって、又々安静を続けなければなりませんでした。その間最もつらかったのは、 胃腸がすっかり悪くなって御浄霊を頂く前の一年程は流動食の様な食事しかとれませんでしたのと肩の凝りでございました。肩は大きな石を乗せられた様な重さで、箸を持つ事も本を読む事も、人様とお話する事も出来ない程で、ありとあらゆる手当を致しましたが一向に良くなりません。よく母に「昔聖人が手を触れただけで病人を治したという話の様に私の肩も手を触れただけで拭った様に軽くして下さる御方はないかしら」と言ったものでした。併し夢の様な空想が実現したのでございます。此上もない偉大なお力にお縋り出来る時が来たのです。
父の知人より此有難い光明如来様の事をお聞きして、早速お願いして御浄霊を頂きましたところ、何と驚いた事でございましょう。たった一度の御浄霊であれ程長年苦しんだ肩がすっかり軽くなったのです。それと同時に一年も流動食の様な物しか頂いてないお腹に普通の御飯を頂いてみましたが、而も先生のおっしゃるままに天婦羅を沢山頂いてどうもないのです。遂にその晩は休む前にお腹が空いてもう一度お食事を頂いた程でした。その時の嬉しさ、喜び、何と御礼申し上げてよいのかわかりません。 未だにその時の感激は忘れる事か出来ません。悩みの種の血痰も御浄霊一週間目に血の塊がポンと一つ出て、それ切り今日迄血の色を見た事がありません。
それからは日に日によくして頂いて、一週間目に外に出られる様になりました。長い間の病床生活に飽き飽きしていた私は嬉しくてたまりません。外へ出ますと忽ち近所の方の評判になって了いました。もう詳しいお話をしなくとも、皆様が感激して是非そういう有難いお力にお縋りしたいとおっしゃって随分大勢の方がお救い頂きました。それ以後下痢と咳の御浄化を何回か頂きましたが、その都度順調によくして頂いて、一昨々年結婚、一昨年三月には子供迄授りまして、今では毎日元気に幸福な日を送らせて頂いて居ります。本当にあれ程酷かった体をこんなにもよくして下すった明主様の有難い限りない御恩に報ゆべく、此命の続く限り地上天国建設の御役に立たせて頂きたいと願って、微力ながらお尽しさせて頂いて居ります。
(二六年八月一〇日提出)
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愛知県 T・E
罪多き身も心も、大光明如来様の大愛に更生の喜びを得さして頂きました。茲に深甚の感謝を捧げあつく御礼申し上げます。
私は昭和二四年一月二九日より発病、 会社の医師に診てもらうと、人の嫌う肺浸潤と診断され、二月四日早速愛知県病院へ入院しましたが、医師より絶対安静にするよう申されました。その時の前途真暗な悲しい気持は、病める人以外味わう事は出来ません。何とかして一日も早く快癒したい一心から、医師の言う通り毎日栄養食と注射や薬を服用しましたが、胸の方は少しずつ楽になるが、入院後三カ月頃より胸が痛くなり段々上らないようになりました。お医者にリウマチと診断され、 時々注射や薬も変え、 又電気療法もしましたが、 病状はだんだん悪化するばかりでした。八、九月頃には非常に痛み、着物さえ着る事が出来ないで医師もいろいろと手当しましたが効果なく悩んでいるうち、 これが神様の御引合せでございましょう、救世教の有難い御話や新聞等も見せて頂きましたが、
神様や仏様があるとは思いませんでしたが、病気の苦しさから半信半疑ながらもN通りのK様の奥様のおすすめに、 医者が退院は未だ不可能だと言われましたが、 無理に一〇月七日に退院して、 O町のA・S方でA様より御浄霊を御受けするうち、一週間一〇日を経るうちに痛みもだんだん去り、又両腕も上り胸の方も楽になりましたので、初めて偉大な大光明如来様の御神徳を不思議に思い疑深い私乍らも一一月二八日にS村の支部で、F先生より有難い御守を御受けしました。その時の有難さは何とも言えないほどで、暗黒世界より明るい世界へ初めて生れ出たような気がしました。其後入院中のいろいろな注射薬毒と、病気前酒飲みだった為か、二五年一月三日の晩から大浄化を頂き、三九度五分から四〇度位の高熱がつづき、四日目より三八度五分まで下るようになりA様方の御親切な御浄霊によりだんだん良くして頂きました。三九度や四〇度の高熱にも拘わらず、不思議と何等の苦痛もなかったのは全く神様の御守護とただただ感謝を致し頭が下るばかりでございます。罪穢の多い私にもこのような偉大なる御守護と、思わず知らず手を合わせて御礼申し上げたのでございます。妻も二五年三月教修を受け、朝と晩二回妻の御浄霊を頂いていましたが、三月頃より今度は昼と夜二回、約二時間位物凄く膿や痰が出て、 背中が丁度水でも浴せたような寒気がした後熱が出るので、 妻に御浄霊を頂くと不思議に解熱し大変楽になりました。
そのような状態が六月の中旬頃まで連続し、その為身体も非常に衰弱し、本当に骨と皮になり、もはや九分九厘まで此世のものとは思われない程で御座いました。 その為両手両足、頭や背中、お腹等、本当に病気の巣のようなもので起きる事も出来ず、又足も不自由でした。私も覚悟をきめ、同じ死ぬなら大慈大悲の大光明如来様にお縋りして、今迄の罪穢をお詫びし、楽に死なして戴きたいと思い、時々床の中で一生懸命にお念じ致しました。六月の下旬頃と思いますが、突然紅茶色のような痰が物凄く出るので、先生に後でおききした処、
それは毒血だとの事でした。六月二四日より今日迄下痢をした事もなかった私が、下痢を二日間七、八回位しましたが、その結果二六日頃より非常に食物が美味しくなり、七月八月になると身体も元気になり、八月下旬頃には病気前と同様に肥りました。ああ私のような罪穢の多いものでも有難い広大無辺な御神力によりお救い下さいました事を思いますと、大慈大悲の光明如来様、明主様にただただ感謝するのみでございます。
私の様な病気に悩んでいる人々は、一人でも多く此有難い神様にお縋りされ、明るい幸福な日が訪れます様、祈って止みません。明主様有難うございました。
(二六年二月一九日提出)
(結核信仰療法 昭和二十七年十二月一日)