わが教祖は「病なく貧なく争いなき世界(地上天国)をつくらねばならぬ。これは神より授けられた御使命である」と仰せになります。霊能豊かな教祖が、かく霊感されることは誠に当然であると拝察されます。
そもそも病・貧・争なき世界ということは、 真善美大調和の世界のことであり、 教祖の説かれる「真善美の大調和は神の経綸である」との御言葉は、科学者の言う「世界の内的調和の法則」と同意語で、神を信ずる人と、信ぜざる人との、表現のちがいにすぎません。ただ神を信ぜざる人は、これを単なる法則と見ますから、あえてこれに従わねばならぬとの意欲は燃えません-ただ一部達識の人だけは苟も世界の内面にある法則であるからには、これに従わねばならないとは感じましょう-。が而し、神を信じ、この法則を神の御経綸なりと信ずるに至らば、これを忠実に遵奉しようとする、烈々の意志となって現れますのは必然であります。況して神示を霊感せる教祖に於かれては、これを説き、これが実現を計られることは、まことに、やむにやまれぬ自然の勤行なのであります。
尚又、教祖が何故特に病・貧・争をとりあげ、これをなくすると仰せになられたかについて考察いたしますと、人間世界を真善美大調和の楽園にするのだ、といった丈では甚だ漠然として、とらえ所がありません。が、よく考えてみますと人間世界から、病と、貧と、争を除けば、それがそのまま、真善美大調和の人間世界なのであります。又、その裏を返せば、真善美調和の神の御経綸が行き渡るときは、人間世界に病も、争いも、貧乏もなくなる道理であります。
この事について、今少し解説を加えますと、人間は、肉体と、霊体とから成立っています-そのことは、前にも述べました如く、科学者が肉体を解剖して、肉体を組織しておる細胞を取出し、それを分析してゆきますと、おしまいには霊的なものを発見して、 肉体のもとは、 霊であるということが分ったことによっても明らかであり、 又、 二〇世紀以後欧米では、有力な諸大学が講座を設けて、盛んに実験を重ねつつある心霊研究の一致した発表によっても知ることが出来ます。従ってもはや疑う余地はありません-。そこで、霊体に不調和が起ると、霊体と肉体との不調和となります。それを病と名付けるのであります。そして、霊体の不調和は、霊の曇りとなって現れますので、これを除かねばなりません。わが教ではこれを御浄霊と呼んでいます。
人と人との間に調和が行われますと、そこに争いはありません。このことは、国と国との間でも同様であり、国と国との間に調和が行われますと戦争はなくなります。
また、人と物との調和が行われますと、欠乏-貧乏はありません。物が一方に偏在するから、他方に欠乏が生ずるのであります。世界創造の大神様は、世界の中に、そこに住んでいる人間の、衣食住を充たすだけの物は、準備されてあるのであります。イエスが「空の鳥を見よ、播かず、刈らず、倉に収めず、然るに汝らの天の父は、これを養ひたまふ」(マタイ伝第六章二六節)と説かれたのもその意に外なりません。
故に人々が、わが教祖の教えに従い、神を信じ、神の愛を覚り、真善美の大調和が神の御経綸であることを知れば、自ら愛憐の情も起り、相互扶助を神の御旨として実行するようになり、そこに平和なる家庭、平和なる社会が生れ、更に平和なる国、ひいては平和なる世界が出来るのであります。
「信は力なり」という言葉があります。信仰ほど力強いものはありません。世界多数の人々が、わが教祖の教え給う「神」に、熱烈なる信仰を捧げますならば、世界の平和を招来できる道理で、ここに世界救世教の真髄を見出すことが出来ます。
(世界救世教教義解説 昭和二十六年六月一日)