付記

世の誤解をとく

世間には、わが世界救世教が、一般の人々にむかって、医者にかかったり、薬を服んだりすることを、妨げようとでもしておるかの如く言触らす者がありますが、 それは全く誤解によるものか、 さもなくば、 故意にわが救世教を誹謗するものとしか思われません。わが教祖は、未だ一度も、そう言う教えをされたこともなく、反ってそうした誤解を招くことのないよう、つねに注意されておるのであります。

勿論、 わが救世教では、 医者にかかって治らなかった病気も、 浄霊によって癒えることが多くあるので、 その実例を発表することはありますが、一般の人々に対して、医者にかかるなとか、薬を服むなとか言うことは禁じられておるのであります。

霊主体従について

わが教祖は、人間は霊が主であって、体は従であると説かれます。そしてまた近代科学者も、物の根元は物質ではなく、生命体であることを実証されました。

明治の傑僧原坦山師は、帝国大学でインド哲学の講義を受持っておられたことがありますが、此人は大学で「惑病同根論」を唱えて、病は心の迷いから起るのであって、病のもとは心にあると学生に教えたそうです。古来宗教家は、何れも霊が主であると説き、旧科学者は、体が主であるとしこれに反対しています。従って治病についても、 宗教家は霊に重きをおき、 旧医科学では専ら、 手術や、 注射や、 投薬によるのであります。

併しながら、医学界にも、従来から、かかる肉体にばかり偏した治療法の効果に疑問をいだく者が少くありませんでした。ところへ近代科学が、身体を組織しておる細胞も、分析すれば結局生命体即ち霊であることを実証したので、近頃では、人間の心、即ち精神……霊を重く視るようになり、有名な医学博士で、心霊治癒に重きを置く者が、外国にも、日本にもだんだん現われて参りました。東京渋谷の塩谷信男医学博士もその一人であります。塩谷博士は、随分以前から無薬療法を称えて、専ら人の心霊を対照として病を癒やすことを続けられ、非常によい成績をあげておられるとのことであります。

世にはまた、霊のみを認めて、全然肉体を認めない教えがあります。わが国では生長の家、米国では、クリスチャンサイエンス等がその例であります。生長の家では、肉体は存在しない、それは念の影に過ぎない、目に見える天地は存在しない。それは本当の実在の影像に過ぎない、と説くのであります。即ち実在の世界……霊の世界が、時間、空間に影を映したのが目に見るところの天地であって、これを映画にたとえると、霊の世界がフィルムに当り、時間、空間がスクリーンに相当し、われ等の住むこの世界万物は霊の世界であるフィルムが、時間空間のスクリーンに映った影像だというのであります。

要するに生長の家の教えは徹底した霊有体無説であります。従って影に病のある筈がないから、人間本来病はない、それは唯心に病ありと思うだけで、 心に肉体なし、 病なしと念ずれば、 病は消滅すると説くのであります。

クリスチャン・サイエンスもまた霊有体無を説く宗教であります。クリスチャン・サイエンスは、西歴一八七九年、米国マサチューセッツ州リーンのメリー・ベーカー・エディ夫人の創立したもので、近頃では米国はもとより、ヨーロッパ諸国にまで多くの信徒を有し、其機関紙『クリスチャン・サイエンス・モニター』は、発行部数数十万、言論界に一勢力をなしております。同夫人は、宇宙にあるものは、唯心と、神と、キリストのみであって、心意の外に実在するものはない……一切の物質や疾病は、妄念の主観的状態であって、実際には存在しないのだと宣告し、尚此教えを信ずれば病気は癒えると説くのであります。

霊と肉……心と物質の問題は、何千年の昔から、いろいろ議論されてきたのでありますが、物質のみを認めて、心霊を認めなかった科学者の議論……唯物論……は原子科学者の研究によって破れ去ったのであります。併し肉体……物質を全々認めないと言うことは少し飛躍に過ぎます。仏教では霊肉の関係を、霊肉一如と説いていますが、わが教祖は、霊主体従と教え給うのであります。最も正しい御見解と思われるのであります。

わが教祖の教えが、霊主体従でありますから、病気治癒についても、霊に重点をおかれるのは当然であります。そして、 多くの病が癒されて居るのであります。

薬毒に就て

わが救世教では、前にも申しました如く、医者にかかることや、薬を服むことを妨害はしませんが、薬毒は認めて居ります。それは、注射をしても、服薬しても、実際薬毒の副作用が起るから致し方ありません。如何な医薬万能論者でも、薬に全然副作用が伴わないと言い切ることは出来ますまい。現に医学の大学で、薬毒の害を公にしておる人が少くありません。以下五、六の実例をあげて見ましょう。

ニューヨーク医学専門学校の教授アロンゾ・クラーク氏は「あらゆる薬剤は、すべて毒性を有するものであるから、飲めば飲むだけ、患者の活力を減ずる」と申して居ります。また同校のジョセフ・M・スミス教授も「大抵の薬が血液中に吸収されて循環すると、其薬毒は、毒薬を服用したと同樣の結果を来たして血球の活力を弱めるものである」と断言しています。

また同校のアレキサンダー・H・スティブンス教授は「若い開業医は、社会に於ける最も前途有望な人達である。彼等は開業する当時は、一つの病気に対してでも二〇種位も新薬を備えて、意気揚々と出発する。ところが、三〇年近くも開業しておると、二〇種位の病気に対して、同様に一種の薬を投じて平然としているようになれるのである。臨床の経験の深い医者ほど、薬の効験と言うものに対して信頼しなくなって、自然の力、生命の力に信頼できるようになる」ということを発表しています。

フランスの大医ルネアランディ博士は、 天然痘を予防するために、種痘を行うと、天然痘には罹りにくくなるけれども、その代り、結核には却って罹り易くなることを指摘し、「結核が奇妙に或一定の時期以来-天然痘の予防法として種痘が一般に普及し、強制的に実施されるようになってから、増加して来たという事実は疑いの余地なき事実である」と言っています。この事は既に一九世紀末から問題になっていまして、一八八五年イタリヤでは、ウィンナー医学協会会報に一〇〇〇人中一四人の児童が種痘のために腺病質となった実例をあげています。

またフランスのボルドーの医師ピエロン氏は、成人した人々が、結核に冒され易くなるのは、幼時の種痘の結果であるとの論文を発表しています。

更にオランダに於ては、ドクトル・ストレトマケンル氏が労働大臣当時、種痘の弊害を知って、種痘の施術を全国的に中止すべきことを会議に提出したのであります。即ち一九二七年オランダのヘーグに於て開かれた会議の席上、ホフマン博士は、児童が種痘のために、重大なる神経系統の疾患を起した実例一一八件をあげています。

嘗て英国政府でも、此問題に就て各所の委員会に諮問し、ついにその委員会がジュネーヴの国際連盟の衛生部で開かれた結果、嗜眠性脳炎が、種痘の結果であることが確認されたのでありますが、これは確認されながらも、その実例のパーセンテージが少いと言うので、種痘を廃棄するという決定まではいかなかったと言う事実があります。

尚また、米国のチャールス・タイアーレル教授は、ニューヨーク衛生病院長当時、服薬無用論をとなえ、「薬は、病気を治さない。それは自然の治癒機能を補助しないばかりか、それを遅らせる」と極言されています。

更に米国アラバマ州の名医エームズ博士は、嘗て、ニュー・オーリンズの『内外科医学誌』に自己の臨床上の経験と観察とを公表して、「肺炎の治療に於て普通の薬物治療を用いた場合は、却って患者は苦痛を訴え、病気を増悪し、治癒を完全にすることを遅らせた。かかる患者は突然衰弱したり、余病を併発したり、快方に赴いたような徴候を見せつつも、突然死の転機を見た」と言っています。

またエール大学、医学教授の、ウイルアム・チューリー博士の講演筆記には、次の如き特に注目すべきことが説明されています。「嘗て、コネチカット河付近の部落に、チフス性肺炎が流行して、医者にかかった患者は、凡て死亡した結果、部落民は、医者こそ吾々の病気を悪くするものだといって、医者の治療に反対し、州の法規にも拘らず、医療を拒絶するに至ったのであります。ところが、その部落民が断然医療をうけないようになって以来、患者で死亡するものは全然なくなった」云々というのであります。

以上は僅かに一瞥しただけの収録にすぎませんが、世界各国について調査しましたならば、枚挙に遑のないほど、これ等類似の意見を発見することが出来ることでしょう。薬毒を指摘するのは、唯り、わが世界救世教だけではありません。薬毒を説くからといって非難する者に、特に省察を望む次第であります。

(世界救世教教義解説 昭和二十六年六月一日)