四 近代科学者は万物のもとは生命であることを発見した

前に人の身体は、 壱千兆以上の細胞から出来ておると申しましたが、 その細胞を分析すると、 それが無数の分子からなることがわかり、分子を分析すると無数の原子からなり、更に原子を分析すると電子から成立っておることが分り、而もその電子そのものは、もはや物質ではなく、精神的なものであって、『物質観の革命』の著者工学博士田中龍夫氏は、この電子と名付けられたものを、霊といえば漠然とするから、自分は精-昔から柳の精などという精のこと――と呼ぶといっております。

近代の科学者は、一九世紀の末まで信じていた「万物は悉く物質から成立っておる」という、物質万能論を覆えして、万物は皆電子と名づける精なるもの、即ち生きたものであることを発見したのであります。してその生きた無数の電子が絶えず動いていて、それがいろいろに結合して、永遠に人間その他無数の生命を生じておることを証明するのであります。

然らば、 その生きて動きつつ無数の生命を生ずる電子は何から生ずるのでしょうか。 科学者は未だそれを説明することが出来ません。しかしながら、湯川博士(ノーベル賞受賞者)は次の如く告白しています。「科学は次第に発達するものでありまして、或る範囲の外には常に分らぬものが残っているのが科学者自身の運命であります。そして、既に知り得たより以上の何物かにつながっていることをも信ぜざるを得ません。しかし、それが如何なるものであるかは、科学者自身は答えることが出来ません。強いて答えようとすれば、自分自身を離れることになります。何等かの絶対的な真理、絶対的実在と関係があると認めざるを得ないのでありますが、それが何であるかを明瞭にいうことは出来ず、さればといって、それがないと断定することも出来ないのです。そこに、科学・宗教の相違と同時に、最も深いつながりがあると考えるのが一番穏当ではないかと思われます」

以上叙述しました如く、科学者は万物の奥底に精なるもの、即ち生命あるものを認め、更にそれが何かにつながっておる、がそれが何であるかは言うことが出来ない。言えば科学者としての立場を離れねばならない、と言っています。此の点から見まして、科学者自身、既に神を認めておるようです。唯、神といえば、忽ち科学者としての面目や貫録はなくなって、宗教家になってしまわねばならない悩みを持っていることが、湯川博士の言葉を通して汲みとる事が出来ます。その科学者の認めながらも言い得ないそれが、わが教祖の説かれる「宇宙主宰神」なのであります。

(世界救世教教義解説 昭和二十六年六月一日)