キリスト教においては、イエス・キリストを信仰すれば、イエスの血の償いによる救済の恵みに浴して、死後天国に入ることが出来、イエスを信仰しないものは、冥府に入らねばならないと説いております。また仏教においても、極楽と地獄の説があって、仏に縋るものはその救いを受けて極楽に行くことが出来、そうしないものは地獄へ落ちると説いております。
以上の説は従来一般知識人の間においては荒唐無稽の説として一笑に付されておったものであります。ところが驚くべきことには、心霊科学の発達は死後の世界が存在していることを実証しました。そして更に死後の世界には、幽界、霊界、神界などの階級、段階があって、生存中に持っていた念想の清濁、並びに行為の善悪によって、死んでから後にそれ相当の死後の世界の段階に入ることが証明されるようになりました。
つまり、生前に極悪非道だった者は死後幽界の最下層部である暗黒の世界に堕落して、非常に苦しむのであります。念想が清く、また正しくならない限り彼は其処に止り、向上できないわけであります。また逆に善行の人は死後このような苦しみを経ることなく、またその向上も容易なことが信頼出来る幾多の霊界通信によって知ることが出来たのであります。
自観師の死後の世界観は、大変に具体的であります(師の著書の『霊界叢談』を参照して下さい)。かてて加えて、霊界には、この現象の世界、つまり吾等が今住んでいる地球上においては知ることの出来ない幾多の霊が存在しておると申します。例えば、天狗のような、また龍のような吾等の住んでいる世界では単なる一種の造り話や想像物でしかないとされたものが、実は霊界には実在するのだと言うのであります。
これはまた心霊研究家の所説とも一致しております。心霊研究家達は、これ等を自然霊と名づけております。これと、それから一度現界に生存してから死後に霊界に入った霊魂である「帰幽霊」と称するものとを区別しております。
師はまた自然霊には高級な霊があって、神とも言えるし、仏ともあがめられるべきであるし、また菩薩とも仰がれるべき高級な霊が存在していると主張します。それからまた人間以外の動物霊の存在を説いておりますが、幽界はさながら呉越同舟の観があると申しております。
このような低級な霊が往々にして人間に憑依することがあり、俗に言うところの神憑りとか、巫女とか称するものは、このような現象を指して言うのだと申します。更に低級霊の中にもなかなか味なことをやるものがあって、狐霊のようなものはそのうちでも優秀な方で、これ等は時として簡単な予告、予言めいたことを言わせたり、また時には人の意表に出るような言動を現わすこともあると言われます。
世人はどうかするとそれに眩惑されてしまい、被憑依者を神であると称し、また憑依された者も得々として、自分が大神であるなどと自称するようになってしまいます。新興宗教の中にもこの種のものが存在しておると戒めております。要するに、このような事実に盲目な一般世人は玉石を混淆してしまって、新興宗教とさえ言えば、低劣なものとして蔑視するだけしかできないのでありましょう。
自観師に於いては、最高神霊である観世音菩薩からの霊言を享受するだけではなく、病気治癒を初めとして種々の奇蹟的な霊能力を発揮しております。そして更に高遠なる思想、霊妙なる芸術観等容易に他の追随することを許さない偉大な能力を発揮しつつあるのでありまして、それは周知の事実なのであります。
(自観叢書七 昭和二十四年十月二十五日)