(付録)おかげ話100例 21~30

岡山県 M・K

昭和二三年四月頃より毎朝痰が出て次第にやせてちょっとした作業にも胸苦しく、変だなと思いながらも会社へ勤めていたが、八月の末あまりに頭が重いので熱を測ってみた所、低い時で三七度、午後になると三七度五分という有様なので、医者に診て貰うとレントゲン写真では両肺に雲翳あり、血沈九五―一一五で正に肺結核、 直ちに会社を休み療養生活に入った。

私は二六歳の頃一度軽い肺浸潤をやった経験があり、医薬の頼りなさもよく知っていたので、赤本で有名なT先生の抵抗療法を熱心にやった所、二カ月間位で最高三七度二分程度の微熱状態となり、体も肥えて来ましたが、この微熱がなかなかとれず憂欝な毎日をすごしていました折、二四年一月、S中教会のA先生より、救世教の事を聞きましたが、何分自分が機械技術者であり、今迄神仏などは人の作った方便であって、精神修養の道具にすぎないという観念が強かった為鼻で笑い、妻が浄霊を受けるようにと勧める時などは今から考えると恥しい事ではありますが、自尊心を傷つけられたようで非常に怒ったものでしたが、A先生から御借した『光』新聞や『地上天国』を暇にまかせて次々と読んで行く内に、自然に引かれるものがあり、抵抗療法の行きづまりの感もあったのも手伝って、遂に妻を四月に入信させ、御指示の通り食事を菜食とし、毎日A先生に来て戴いて、一日三、四回の浄霊を受け、五月八日には自分も入信させていただきました。

丁度私が入信致した七日目でした。突然四〇度位発熱し、肛門のへりが拇指の頭ほど腫れ上り非常に痛み出し、歩く事も出来なくなりました。この状態が三日間続きましたが、F先生の御浄霊を受けた所、多量の黒血が出て一時腫れが引きましたが、其後痔瘻となり大便が出る度に腫れ上り、膿が出るまでの三、四時間というものは非常に痛んで動く事も出来ぬ有様です。世間では肺病で痔瘻になればもう駄目だと言われているが、先生の御話では痔瘻は肺病には実に有難い浄化で、御祝をせよとの事でしたが信ぜられず『天国の福音』を見せて頂き、又七月には明主様へ御面会に妻が参りました際、明主様より直接に御話を承り、初めて有難い浄化であると信ずるに至りました。

この痔瘻の痛みは約二カ月間続きましたが、其後は膿のみとなり、未だ出ております。痔瘻になると共に熱も引き、八月の炎天下を自転車で走り廻っても微熱も出ず、早速八月二六日御礼詣りに箱根へ参上、明主様に御面会の上元気に帰宅致しました。

其後一〇月には光明如来様の御軸を戴き、一一月にはH先生以下三十数名の参拝者により、 御奉斎の御祭をして戴き、 その有難さに感激致し、多少なりとも御恩返しにと地上大国建設の為、御用を努めさして戴いています。

冬の期間中は毎日一回ぐらい風邪引きの浄化を戴きましたがその度毎に多量の痰が出、一回毎に体の調子がよくなり、世間で言われている風邪は万病の因というのは非常な逆説であり、 この言葉自身が多くの病気を作っているのだという事を確信しました。

現在では一昨年の八月と昨年の一月及び三月の五六七大祭と三回、明主様に御面会に参上致しましたが、その度毎に御利益を戴き、 今さら乍ら明主様の偉大なる御力に感激致しています。

以上私の受けた御利益の経過を述べ御礼の言葉とし、病になやむ人が一日も早く一人でも多く本教より救われる指針ともなれば、私の幸い此上もございません。

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岐阜県 K・T

私は昭和二三年六月入信させていただきまして数々の御守護をいただき毎日感謝の日々を送って居ります。遅ればせながら、拙い筆にて感謝の御報告をさせていただきます。

私は小学校へ通う頃より蓄膿症で、頭が重く、記憶力がなく、憂欝な日が続いて居りました。年が重なるにつれてこの悩みは深くなり、もう我慢出来ず手術する決心でございました。

丁度其頃光明如来様のお話を耳にしまして、早速教会へお話を聞きに参りました。その時先生は、私の体全体を御覧になり「鼻は頭の膿が出るのであって心配はないけれども肺結核という命取りの毒素があります」と仰言いました。けれども当時はとても健康そうで小さい時より内科の病気をした事がないので、先生の御言葉もそれ程に思っていませんでした。又両親、兄達も、信仰は嫌いだと言って少しも信用致しません。

私はただわからないがままに浄霊を受けました。 そして家の者が反対するのを無理に入信いたし、 又光明如来様の御神体をお迎え致しました。

その後、膿はだんだん多く出て今迄よりももっともっと膿らしいものになりました。こうして量が増すにつれて不思議にも重かった頭が軽くなり何となく気持よくなりました。 この様な浄霊の有難さを知りつつも、 家へ帰れば反対の言葉に頭が上らず、一年余りはふらふらっと過して終いました。

丁度二ヵ年後の昭和二四年六月とうとう最初先生の言われた不治の病である、肺結核に冒されました。忘れもしません。田植の時です。何となく頭が重く、とても寒気を感じ、どうしても植え付ける事が出来ず家に帰りましたが、 呼吸はだんだん苦しくなり、顔は蒼ざめ、四〇度位の熱が出まして、食事は勿論したくありません。烈しい咳と共に血痰も出る様になり、体はだんだんやせてまいりました。

その間にも体が冷たくなり正に死の寸前迄ゆき、一時はどうなる事かと、吃驚し、普通ならば医者へ飛んで行くのですが、S先生より浄化のお話をお聞きして居りますので、教会迄は二〇分で行ける所を、母に付き添われて苦しいのを無理に四〇分位かかって浄霊をお願いに参りました。通う時の苦しさ、今想えばゾーッと致します。途中でどれだけ休んで行こうかと想いましても、蒼ざめた顔を他人に見られるのが恥かしく、倒れはしないかとふるえる足を無理に通いました。

それでも神様は、私のようなものでもお救い下さったのです。仕事に夢中だった父も余りの私の状態に驚き入信いたしました。間もなく母も入信いたしまして、そして教会の先生、両親にと、浄霊をして頂く中にだんだん楽になりまして、二週間後にはすっかり楽になりました。

その後、一年間H教会で御厄介になりましたが、その間には肺結核で入院してみえる病人に浄霊を致しお救いさせていただきました。二四年一〇月には盲腸の浄化をいただき、これも下痢をして一週間で治りました。

二五年三月には腹膜の浄化をいただき、半年程は妊娠している程大きなお腹になりました。しかし神様の御用をする者には必ず、御守護の頂ける由を聞いて居りましたから毎日教会へ通いました。一二月には会長先生に一五日間浄霊を御願い致しましてより、お腹は小さくなりずっと楽になりました。

この様に幾度も数々のおかげをいただきますので、さすがの兄も反対する事が出来ず、何とも言わなくなりました。最近では親戚の方をお導きいたしまして、今では仕事をしつつ一生懸命光明如来様にお縋り致して居ります。

余りの有難さに、到底筆にて現わす事が出来ず、誠に残念でございますが、悩める方々にお伝えしたく感謝の一端を御報告させていただきました。

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大分県 S・S

さかのぼれば三年前の事でした。唯もう煩い惰い肩が凝る、頭が重い、何とも言いようがありませんでした。主人のすすめにより医師に診て頂いた所、「あなたは肺門淋巴腺ですね」と言われて後というものは、注射薬と不安の毎日を送り、医者通いが仕事でした。

その後数カ月経って一時良いようになりましたが、再び不安の道を辿るようになり、主人は「今度は里に帰って、まあ空気の良い所で休養したらいいだろう」と勧められ、子供三人連れて里がえりしました。

帰郷後無理をしない程度で家事に務めている傍らお灸、薬と人の良いという事はいろいろと手をつくしましたが一向に良くなく、陰欝の毎日を送っていた矢先、近所の人の話では「手を振って病気が治るんだから妙な事があればあるものだ」などと種々言っている事を聞けば大変評判が良いので先生が村に見えた時、早速お願して後、 浄霊の度毎に日増しに体が良くなり、二週間目には肩も凝らなくなり、何か知ら世の中が明るくなりました。

不安も背の夢のようでして、近所の皆様が入信して間もなく、私も六月入信さして頂き、別府別院、教会と次々お来拝して後、時々ちょっと浄化を頂く度毎に日増しに元気になって、 現在では先生の宅にて御浄霊にみえる方々に御用させて頂き、救われて行く皆様の喜びの中で、共に救われし喜びを語っています。

救われしこの喜び、一切を忘れ、ただ神力に涙するのみであります。全国津々浦々不安の日を送っている皆様の、一日でも早く此御救いの御神力におすがりするよう叫びつつ、筆を止めさして頂きます。

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兵庫県 K・Y

一日の仕事を終えて、今私は机の前に座して無心に煙草をくゆらせている。紫の煙、それがもやもやと上っては消えている。何か満ち足りた想い、幸福感、そして過去の様々の想い出が胸中を去来する。よくも今日迄生きて来たものだ。いやよくもこんなに丈夫になったものだ。

小児結核と烙印を押された私が父の任地北海道を離れて、湘南茅ケ崎の林間学校を養護児童として漸く卒業したまま、八年間の空白時代を病床に過して仕舞った過去の苦悩の跡を顧みる時、本当に心からそう思わざるを得ない。総ゆる医療に失望して後は良いといわれる民間療法はもとより、あらゆる信仰に縋ってはまた遂に医学に帰らざるを得なかった悲しさ、想い起せば病状悪化して遂に呼吸困難に陥った時、今はJ中教会長たるM先生が、丁度隣家に居られ、勿論先生も此お道を知るに由なく、私の為に会社の水の電気分解工場の発生酸素の工業用のポンべから吸入では間に合わぬとて、室内に放出して下さった事も、現在の先生と私を顧みていつも笑うに笑えぬ大ナンセンスとなっている。

然しその時の私の苦悩は本当に真剣そのものであった。自分の命はあといくら持つであろうか。此儘で行けば最後は近い。唯一つしかない此命が無くなって終ったら何うなるか。それから先は大宇宙から此自分という者は永劫に消えて仕舞うものであろうか。又死後の生活が果してあるものか。

此問題は当時の私としては何うしても解決せずには居られない重大問題であった。苦しい死後の生活が有り得ないとしたら、私は堪え難い寂寥感に打ちのめされて仕舞うのである。何の為すところもなく、只親の厄介になり、心配をかけて僅か二〇年の生涯を終えねばならぬとしたら、私の人生の価値何処にありやである。

此問題は如何なる宗教の本を漁っても、夜も寝ないで考えても、何うしても解決はつかないのである。生命とはかくも儚いものであろうか。今迄多くの人々が同じ様に考え、同じ様に悩んで来た常に古くしてまた新しい問題である。然も誰一人として決定的な解決を与えて呉れたものはない。否解決を指示して呉れた人はあっても、確たる信ずべき根拠を与えて呉れた者はなかったのである。如何に巧妙にそれが説かれてあっても、信ずべき根拠が与えられなかったならば、それは空中楼閣に等しい。

……いやそんな悩みも或意味では病人の贅沢であった。いよいよ病状が悪化し最悪の事態に立到った時は、肉体の苦痛にさいなまれて、只生きたい意欲の権化として苦悩にのたうって居たのである。

丁度そんな時であった。計らずも御浄霊を頂いたのは、そうして病は浄化なりという御神示を否応もなく、我身を以て体験するにつれ、私は神を信ぜざるを得なくなった。そして夢の様に身体が恢復して行くにつれ、学問に対する情熱は遂に二年間を費して、専門学校検定試験を突破せしめ、またB高等工業の課程を終えしめ、遂に完全なる健康人として社会に立たしたのである。また私の奇蹟が実業人たりしM中教会長先生の今日あるを得さしめる動機となり、またM先生の求道者としての熱意と真剣さが、また私をして布教の第一線に立たしむに至ったのである。

私の肉体が癒されて行くにつれ、本教の説く所はまた前述の人間の生命の尊厳さと永久性、生死の謎迄も初めて明瞭に解決して、私の魂は開眼されたのである。私が物心付いて以来、病床にあって求め続けて来た問題が、病床を離れると共に解決され、歓喜に浸ったあの時は、私の此後永久に忘れる事は出来まい。結核に悩める者は来れ、人生最大の苦悩の一つたる結核を解決する鍵は、只救世主、明主様の御手にのみあるのである。明主様を信じ仰ぎ、 現在の病苦の中に希望と光明を見出し得る人こそ、 誠に幸いなる哉と言わなければならない。

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福岡県 F・M

私は昭和二五年一〇月一七日入信さして頂きました。幼い頃よりあまり病など患った事もなく、学校卒業後ずうっと会社勤めをしていましたが、昨年三月会社の定期の健康診断を受けました処、胸の方が大分弱っているようだから、無理な事はしないようにと注意をされました。

其頃より体の具合が普通の時とちがって全体が何となくだるく、食欲もおち、咳、胸の痛み、微熱等の症状が現われて参りましたので間違いなく結核の初期と力を落し、其後、日をあらためて診断を受けレントゲンにて撮影した結果、右肺が既に三分の二も侵されているから、絶対安静の上人工気胸をせねばならないと医師より申伝えられました。

其時の私の気持は、 急に此世の中が真暗になった感じが致しました。

それより気胸療法を続けていますと、気胸した部分が常時針を刺しているように痛みが加わり、体の方もだんだんこわばって来て、四、五日は寝返りも出来ない事がありましたので、そのような苦痛から逃れたい為に、あれやこれやといろいろ療法を試みましたが、これといって安心出来る療法も見当らず却って病状を悪化するばかりとなりました。全快の見込もなく暗い寂しい気持で、幾日かを過していました。

此上は神仏の御加護により、精神的苦痛だけでも御救いして頂こうと決心しました。丁度私の知人が救世教信者なので、私の気持を聞いていろいろお道のお話をして御親切にすすめて下され早速○教会へお詣りして御浄霊をいただきますと今迄の胸の痛みは一度にとれて、体が軽くなりました。

それからは御浄霊を頂く度毎に快方に向い、二〇日後頃は色艶も良くなって参り、いくら立働きを重ねても苦痛を感ずる事がなくなって参りました。

病院の方も一週間毎に診察を受ける度毎に快方に向っているとの事、その都度私の喜びは如何ばかりでしょうか。病院の方に体の具合も以前のようになりましたから、会社の勤めの許しを願いましたが、此病気は悪化する人は多くても治る者は少いので、一時治っても再発するおそれがあるから、一、二カ月位で絶対治る病気でないから、一年間休養して安静にするようにと、なかなか許して下さいませんでした。

教会へお詣りして先生方に御相談申上るからと仰有られますので、明主様によく御念じ申上げました処、許していただけました。これで以前の如く会社の友達と一緒に働く事が出来る。何と嬉しい事でしょう。これも皆神様のおかげと感謝の念で一杯です。

一カ月後にはレントゲン写真も肺の曇りもとれて健康を元の如くにとり戻す事が出来ました。

入信後漸く一カ月を経ましたが、此一カ月を顧みますと実に感慨無量でございます。明主様の御守護の下に、 御教に従い諸先生の御導きによって正しい人生を一歩一歩とふませて頂きました事をあつくあつく感謝すると共に、御礼を申述べさせて頂きます。

此上は明主様に万分の一でも御恩返しをさせて頂くと共に、私のように全快の喜びを、他の不幸な者に分ち与えたく、益々お道に精進致したいと決心しております。本当に有難うございました。

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秋田県 A・K

昭和二三年一二月頃、産後に神経痛を患い、手足がしびれた様になり、その上苦痛がひどく歩く事さえ出来ない状態で御座いました。「若くても中風があるそうだ」と言う世間の噂に気を落し、人生の半ばにてこの世を終るものやと悲観して居りました。何よりも先ず医者へと毎日毎日大きい子供に箱橇に乗せられて病院に通い続けました。いやな注射や薬に毎日が苦しい思いでしたが、一カ月経っても元の様な体になれずとうとう劫をにやしてやめてしまいました。日頃の苦しみの晴れぬのを知人や来客に訴え、色々な薬を教えられては呑んで居りましたが、依然としてはっきりせず、不遇な我が身を歎いて居りました。

或日ふとした事から町内の信者さんに「手を振れば病気が治る」と薦められそんな馬鹿げた事があるものか、と思いましたが若し治ったら此上ない事と思い入信させて頂く気になりました。

三日間の教修中に或急病人が教修会場に来て奇蹟的にも良くなり喜んで感激して帰りました。又もう一人は私の様な病気で足を引きずり体全体が苦しいと言って来ましたが、それも只数回の御浄霊によって治ってしまいました。之を見て半信半疑乍ら先生のお話を聞いていた私は、益々吃驚致しました。ああこれは確かだこれなら間違いない本当に有難い御力だ、と確信し三日目には自信たっぷりで有難いお守様を戴きました。

その後何時ともなく自分の体がすっかり良くなりましたが、家でも子供達が頭が悪いとか腹が痛いとか色々な浄化がありましたので、恥かしい様な気持で人目に知れぬ様に手を振って見ました。 中には気のせいやら治った様に思われましたが、幾ら手を振っても中々その効果が見えないので家の人達に、「そんな馬鹿な真似するより病院に行った方が早いからやめて呉れ」とさんざん悪口や反対を言われ、それで何時ともなくすっかり手を振らない様になって了い、とうとう御守様迄もはずして了いました。自分達では先生の様に治せそうもないと諦め、御守様も仏様に上げておわびして置きました。

明けて二四年の三月二五日の夜中の一時に突然火事に遭い忽ちのうちに五軒焼けてしまいました。私の家はその中の一軒で土台だけが残って後はすっかり焼けてしまいました。早速近親や知人達のお世話で漸く家が建てられ、どうにか寝起して参りましたが、益々貧苦に悩まされるばかりでした。

家の職業は自転車業なので冬になるとすっかり客足が絶えて、 まるっきり収入の道がなくなるのでした。 でもどうにか過して来ましたが、春の商売の仕入れの為借金をしたり、無尽を取ったりしてかれこれ一七万円位仕入れました。

その年の七月不幸にも、又夜泥棒に入られ新車二台が盗まれてしまいました。新車一台が一万八〇〇〇円もする時で二台で三万六〇〇〇円というものが盗られましたので、なんとも言えぬ憎らしさ、悲しさで胸が一杯で御座いました。それでも毎日の来客に此様な不幸を言って客が絶えては大変だと思って表面にはなんの辛さも見せず元気をつけて居りました。また同じ様に一〇月夜新車一台盗まれて了いました。何という事でしょう。一〇〇〇円か二〇〇〇円で仕入れられる車でなく、何万という金高、全く残念で堪りませんでした。

また同じ様に苦しい冬を過ごして居る中に、明けて二五年の二月主人の弟がソ領から帰って間もなく結核で病院に入院して了いました。何時治るものやら見通しのつかない程の病人であります。入院して一カ年近くになりますがまだ入院して居ります。その入院治療費が一〇万円以上にもなります。

同年五月今度は私の子供五女が急に脳膜炎に罹りもうすっかり落胆してしまいました。

五女が亡くなってまもなく今度は六男がなんだか熱が高く、咳もする様なので余りの心配に医者に見て貰いましたら、小児結核と言われ、もう腰が抜ける程がっかりして了いました。医者から早速入院する様にと言われましたが、もうどこをはたいても金がないので入院せずに「なんとか自宅で治療する事が出来ないだろうか」とお願い致しましたら「それじゃストレプトマイシンを一〇本位注射すると子供だから早く治るだろう」と言われました。

医者の言う通りマイシンを注射してもらう事になりましたが、夢中になって泣く子供のお尻に看護婦三人でおさえつけて無理矢理に注射するので御座いました。余りいたいたしさに私も共に泣いてしまいました。毎日此様に注射されては可哀想だがこの可愛いい子供をどうにか助けて貰いたいばかりに、心を鬼にして毎日通いました。一本のマイシンを大人なら一日にやりますが子供だから一本を三日に分けてやりました。マイシン一本一一〇〇円です。

あらゆる生活を切りつめて、一カ月の間に一〇本注射してもらいましたが、よくなるどころか日増に悪くなるばかりで御座いました。又医者に相談しました処「もう四〇本もやったら良くなるだろう」との事、 では主人とも相談して見ますと急いで帰りました。

医者の言う通り主人に話しましたが、主人も暗い顔で何とも言いませんでした。もう親たる私から思い切ってこの子供が亡くなってもいいからこれで止めます。これから四〇本もマイシンをやってかれこれ五万円は掛るだろうが、それでも良くならない時は要らぬ金を投げるばかりだ。主人の弟もまだ入院して数十万の金を費しているし、五女にもかけたし、これ以上は借金の背負倒れになって了うばかりだ。どうせ私は子供に運がないのだと諦めて気を益々強く持ったのでした。

医者をやめて一週間ばかり経った或る日、町内の入信者で前に奨めて呉れた人が、私の家に来て「貴女はあの有難い御守様をどうして居りますか、きっと投げっぱなしでしょう。だから色々な不幸が、次から次へと続くんだよ。もう一度思い直して此道へ入られたらどうです」と色々有難いお蔭話を話して下さいました。

それで今迄の一切の悪事をあやまり、おわびして再び此お道に縋らせて頂く事になりました。早速熱の四〇度もある子供を連れて教会のS先生の処に参りました。そして一切の悪事をあやまり、大光明如来様におわびして毎日先生の御熱心な御浄霊を戴きました。二〇日も経たぬうちに、もうすっかり元気にさせて頂きました。何とも言われぬ有難い御力にこの可愛い子供が助けられたのです。私も新たに御守様を頂いてもらいました。

御屏風観音様も御奉斎させて頂き、仏壇もすっかり直して、お祀りさせて戴きましたら、その後はなんの不幸もないばかりか、御守様を頂いて商売も繁昌し一家笑って毎日楽しく暮らさせて頂いて居ります。有難さに唯々感泣し御礼の言葉も知らない位です。明主様有難う御座います、と我が子を懐いては、おいおいと泣けてくるばかりです。

明主様有難う御座います。曇り多い私でございますが、お道を知らない為に喜びも感謝もなく、毎日暗く淋しく人生をはかなんでる人々に一日も早く教えてあげ、共々に明主様にお縋りして幸福に此世を送らせて頂き度う御座います。明主様有難う御座居ました。一生懸命させて頂きます。

不治の病とされていた肺浸潤と心臓弁膜症の私が、 有難くも光明如来様の大慈大悲の御手に救われた喜びを、御報告さして頂きます。

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秋田県 W・M

私は幼い時(六歳)より二〇年間の長い年月心臓弁膜症で、何時も何とかして健康者になりたいと苦痛と悩みにどれ程苦しんだか知れません。医師に頼り服薬注射或は祈祷とあらゆる事をしてみましたが良好なる結果を認める事は出来ず、暗い気持で日々を過さねばなりませんでした。小学校当時からボール遊び等出来る筈もなく、陽当りの良い窓辺で学友の嬉々として飛び廻る姿を淋しく眺める時など、唯眼頭が熱くなってくるのでした。学校を終える頃より症状はすすみ、心臓部は重苦しく動悸が激しくなり、床に臥している時が多くなってしまいました。

それのみか一昨年秋頃より風邪がこじれてしまい体全体がだるく、何時まで経っても治らず、苦しさの余り胸部レントゲン写真を撮って頂きました処、肺浸潤と診断され、安静にするようにと申されました。その時の私は急に力が抜けとうとう世間が嫌がる肺病にまでと思うと心は千々に乱れ、はりつめていた気持もくずれて、力なく家に帰って参りました。それから後は日毎病状は悪化して行くばかりで、父母達の心配も一通りではございませんでした。医師のすすめた気胸療法も何等効果なく、却って重苦しく動悸が激しくなってしまい、もうお薬さえ効かないのかしらと諦めてしまいました。病が不治と診断されるほど悲惨な事がございましょうか。情けなくなって了い吾身の不幸に幾夜涙にぬれたか知れません。何人かの医師を頼り苦しい日々を送っておりました。

丁度その頃、近隣の小母さんが来て下さいまして、「どんな病気でもよく治して下さる方が来て下さいましたから」と知らせてくれました。「溺れる者は藁をもつかむ」と申しますか、私も助かる見込はないと、一人淋しく死は覚悟しておりましたものの、一日も生き延びたい気持で一杯でした所へ、小母さんが熱心にすすめて下さいますので、兎も角やってみようという気持になりました。

当時は御浄霊も初めて見る事とてこんな事で病気が治るのかしらと、申訳ない事には半信半疑で御浄霊を受けました。ところが有難い事には二度目の御浄霊を頂きました翌朝、あれほど苦しかった胸部もずっと楽にして頂きました。

三日目には有難い光明如来様のお話、 又御先祖の御話等お聞き致しますうちに、 私の家でも誤っていた事が解りました。それは二〇年前に分家になります時、土地の風習により、仏様をお祀りしなくては誰か新しい仏さんが出るとかで、本家から五〇年も経った位牌を頂きましたそうで、それをそのままお祀りしてあったのです。ところが本家で祀らるべき人が、分家の方丈で祀ってあったのが誤りであった事を、先生から色々お聞きして解りました。

早速先生にお願いして御先祖様のお祀りをして頂きまして、今までの御位牌は本家の仏壇に帰っていただきますと同時に、何と有難い事でしょう。あれ程激しかった動悸は、ずっと落つき、身体はスーッと軽くなったのです。

長い間病院に通い、医学のよしとする凡ゆる療法を試みても、何等効果のなかった心臓弁膜症と肺浸潤の苦しみが、否効果どころではなく却って年々悪化して来ていたものが、僅か三日間の御浄霊により、そして又仏壇のお祀りにより、いとも簡単に解決されてしまったのです。その時の喜びと驚きと有難さ、それは到底筆舌に尽せるものではありません。

ああ私のような者にまで大慈大悲の光明如来様は尊いお救いの御手を差のべて下さったのでございます。この事を知った私は、早速大館にて教修を頂きお守様を胸に掛けさせて頂きました。その時の生れ変ったような喜び、尊い光明如来様の大慈大悲により、 再び健康な体が与えられた喜び、 ただ明主様の限りなき大慈大悲に、感泣するばかりでございました。

今はただこの喜びを一人でも多くの方にお伝えし微力ながらも此有難いお道にお救い頂いた御高恩の万分の一なりとも尽させて頂く決心でございます。

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埼玉県 S・S

私は二四年一〇月入信させて戴きました者で御座います。ここに満一年半の感激をしるさせて戴きますと共に御守護の御礼を申し述べさせて戴きます。

私は生れながらにして、あまり健康に恵まれず幾度か生死をさまよったとの事ですが、学生時代は運動好きの一人として活躍したので御座いますが、専門学校卒業一九歳頃より胸部疾患の診断を下される身となりました。

ここにあらためて申しのべるまでもなく、何とかして生きたいものと結核というどん底の暗さより抜き出んが為、安静につとめると共に薬注射にと全神経を集注して療養につとめました。しかし病勢は悪化するのみで月日を送りますこと三年、安静と神経に疲れはてたのか衰弱はげしく、食欲はなくなり不眠の日が続く様になりました。

そして急に強く悪化の状態となり、 血痰に明け暮れ、 はた又婦人科の苦痛さえ加わり、生きる事はこんなにも大変なのかしらと毎日懸命の頑張りが続いたのです。胸部の苦しさの上に婦人科の苦痛に堪えかね、喀血をついての開腹手術をしたのです。でも運よく無事にその危きをのがれ退院したのですが、しかし依然として血痰が止らず生きんが為、 不眠の心配に悩み、 食欲不振ともなって食物を口に入れる毎に目まいがともなうのでした。

医学の手当を受けつつも斯うなっては致し方ない、何でもよいから自然におまかせするより外にないと思い、死の恐怖からのがれる為、心の安静を求めたく思いました。しかし私には神仏を否定する訳でもないのですが、心から頭を下げる事が出来ず、信仰者をうらやましく思って居りました。

時も其頃N教会のお世話人をなさっていらっしゃった、A様(現O弁護士夫人)のお導きを受けたのでした。長い事小学校の教職に就かれていらっしゃっただけにその御親切にうたれ、御浄霊のかたわら色々とつきぬお話になり、相手になって下さり、 とても嬉しくなって参りました。 しかし余りにも医学にすがっていただけに複雑な気持で泣き笑をしながらも、とにかく御浄霊を受けたのでした。

その様にして一〇日間程御浄霊を戴きましたが、荒んで居った為か、自分では良くなりましたと口にするのがいやで、何か邪教のとりこになっては居ないのかしらと疑って居ったのでしたが、勧められるままに浦和市のN教会に参りましたら其処のK先生に紹介され御浄霊後「今日から起きて動きなさい。アー、すぐ軽くなるよ」とのお言葉にむしろ軽べつされた様な心持で泣きましたけれど、先生の御懇篤な教えと其人格を慕い、はっきりと神を知らぬ自分でしたがとにかく入信致しました。

父母の眼からは驚く程元気になった事がわかると言われ、嬉しく入信の喜びに浸ったのでした。其後翌月父母も続いて入信の栄誉にあずかりまして、朝に晩に父母より御浄霊を戴きながら教会にお参り致したのでした。

入信後半年余りにて血痰が止る様になり一年余を迎えました。鶏の足の様に痩た自分が現在どこが病気をした人かと思われる位体重ももと通りにかえり、K先生に笑われる位大食ともなり、全く健康に生る感謝程人生にとって幸福はないと存じます。初めて神を知り、明主様の御力を知って一家喜びに満ちお蔭様で大光明如来様もお迎えさせて頂く様になりました。未だ信仰者としては誠に恥かしい身で御座居ますが、明主様の御教を心にきざみ、諸先生の御指導を仰いで感謝の日々を過させて戴き、少しずつでも誠の生活を摑み取って、光明如来様におすがり致し、明主様の真理の絶対をお伝えすべくお導きにあたらせて戴く決心で、教師の末の一人に加えさして戴いております。

終に一言加えさせて戴きますが、私の家は代々村長をさして戴いており、何一つ不自由もありませんでしたが、人間の真の幸福は地位物質にあらずして神を知り健康であるという事が第一である事を心から知り得ました。

明主様誠に有難うございました。謹んで御礼申上げさせて戴きます。

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岡山県 M・K

私は一八歳の春より肺門淋巴腺、肋膜の相当重いのに三年間苦しみました。あれこれと手を尽しやっと元気になって来た所、一昨年八月に再発致し、微熱と胸の痛みにぶらついており、その時丁度母が腹痛の為床に就いていました。祖先の御引合せとも申しましょうか、お盆の一五日に姉より救世教の事を聞き、早速母はお詣りし御浄霊を受けました処、とても気持がよいとの事、私も翌日より当時大垣よりお越し下さっておられたH先生に二、 三回御浄霊をして頂いていますと、一八日A先生の御講話がありましてお話を承わっていると、急にお守をお受けしたい気持になり、早速母と私二人頂きました。その後いつの間にか病気を忘れてしまいました。

それから間もなく光明如来様、大光明如来様をお祭さして頂きました。このように家内一同すっかり救世教の道へ入れて頂き、勿体ない御利益に日々を包まれ乍らも、邪神にややもすれば引込まれそうになり、納得の出来ない事が次々に出てくるのです。でも諸先生の御話を伺っては、思いなおし思いなおししていました。本当に自分ながら強情な心に日夜なやみました。

すると先月突然激しい全身浄化を頂き、二月間というものは頭は破れそうな激痛を覚え、背は痛み一足歩くにも響き、腰は抜けるように痛み、本当に筆舌に尽し難い浄化でございました。でも御浄霊を絶えずして戴き三日目より少しずつ良くなり、 一週間目頃にはすっかりよくなりました。

この浄化を頂きましてより、とても頭が軽く顔の色もよくなり、体が楽で一里の山道を登るにも本当に嘘のように軽くなりました。今迄心から信じられなかった疑いも何時しか解け、お光が差込んでまいりました。

人々の恐れている病気が信仰の道に入れて頂く事によって有難き浄化に変り、 浄化は御浄霊によって楽にして頂く事は、どの位の罪穢の体を浄めて頂けるかということをはっきりと悟らしていただきました。

この大きな喜び、大安心なそして嬉々として生活の出来る境地に、悶え苦しむ人々を一人でも多くお導きさして頂こうと思い、及ばず乍らお手伝いさして頂いています。

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山口県 N・T

二四年初めより体の具合が悪く、特に後頭部が重く、でもこれ位の事と思い、自己の職業に努力致して居りましたけれども、一向に良くならず、五月頃には益々悪く、歩行も困難となりました。これではいけないと思い医師の診断を受けた所、最早取返しのつかぬ事になっていました。右肺全部、上部には空洞があり、生か死かの境い目で御座いました。医師は此儘では絶対に治る事はないと何回となく申しました。

生への道は手術するより他になく、肋骨を九枚も取らねばならないので御座います。私の失望は勿論、妻や父母の驚き様は筆舌に尽せません。一人の医師ではとあちらこちらの医師に診て貰っても同様の事を言われ、それからの私は肩身の狭い思いで過して居りました。 妻とも別居し、 借家は出されどうする事も出来ませんでした。

其中鍼灸が良いと言われ、最後の手段として一一月に鍼灸療院に半年程入院、灸は一カ年一日も休まずやって見ました。其間あらゆる療法も致しましたが、何等の希望をも見出す事も出来ませんでした。

二五年一〇月再び医師の診断を受けました処、右肺丈だったのが両肺全部悪く、手術どころか如何なる療法を施しても絶対に治らないと強く言われ、又その時医師は、宗教とか灸なんかで治る位なら、遊んでいても治るものだとも言われました。それでは今後どんなにしたら良いのですかと聞くと、美味しいものを食べても、不味いものを食べても、安静にしても、どの様な事をしても絶対に治らないと申し、薬もくれず絶体絶命地獄のどん底に突落された心地で御座居ました。名医と迄言われた国立病院の先生に言われ、嗚呼何たる事か、此世には神も仏も無いものかと、毎日何んの希望もなくぼんやりと涙の日々を過して居りました。

血沈一時間に九五、結核菌八―一〇号、レントゲン写真は下の骨が二本しか写りませんでした。死んで行く人間のレントゲン写真は此様だと病院の見本にされて居ります。見本にされた私の気持は如何ばかりか、筆舌に尽せません。

此上父母に心配を掛ける事は、親不孝を重ねる事だと幾度死を決した事か、その中叔父が来られ、何でも簡単に治して呉れる神様が居られるから、瞞されたと思ってお参りしてはと言われ、そんな事でと思い乍らも、兎に角御参りする事に致しました。これこそ私にとって光明の時で御座いました。

二五年一一月三日N先生の御浄霊を受け、その後K先生の御指導を受け初めて誠の愛と言うものを知り、御浄霊を受ける度に体は軽くなり息苦しさも段々楽になり、鳴呼助かったと嬉し涙にくれました。

一一月二七日、K先生より教修を戴き、 御守様を戴きました時は本当に嬉しく、感激致しました。其後もN先生の御浄霊を受けすっかり良くなり、二カ月の間にこんなに人間の運命が変るものかと夢の様で御座います。現在ではお蔭で毎日二里や三里の道をものともせず、御神業に励ませて戴いて居ります。

拙き筆では御座居ますが、この救われた感激を涙で御礼申し述べさせて戴きます。

(結核の革命的療法 昭和二十六年八月十五日)