実験報告4

岐阜県 K・S

私は無肥料耕作と言うよりは、むしろ観音様の御利益によって多収穫を得させて頂き、ひとえに信仰の賜物として深く御礼申上げるとともに皆様に観音力の実に偉大なる事を一日も早く知って頂きたいと思って体験の一端を御報告申上げます。私が此の尊い信仰を知りましたのは一昨年春母が腰痛の苦しみで床についておられ、私達はどうかして早く治したいと神仏に御祈願申しておりました処、神様の御引合せかF町のW先生の事をきき早速御願いして御浄霊を受けている中、次第に良く成って行くので有難さの余り色々とお話を聞き、昨年二月先ず私の妻が入信、有難い御守様をお受け致しました。それからも先生にお願いして御出を頼み妻も一生懸命やっておりますうち、母の病気もメキメキ良くなりました。又私は以前から脳が悪い為に時々頭が痛む、肩がこる、歯迄痛むと言う悩みが毎月二、三回ずつ位あって困っておりましたが、度々浄霊をお願いしております中すっかりと忘れた様に良くなり本当に之は有難い事だと思っております。

偶々先生より「観音様の御利益は農作物にも金肥無用で病虫害なく無肥料の耕作にて非常に多収穫出来こんなよい事はありませんよ」と申されて私も此の食糧不足の時とてこれこそ農家の福音と存じ、又私は耕地面積も少く如何にして多収穫が得られるかと日ごろ念願しておりましたから、こんな良い話は聞き捨てならぬと自分で一つ実行致そうと決心しました。三月にW先生が光明如来様の御軸をお貸し下さいましたので毎日お参りする中、家の中も大変明るく生き生きとして参りました。先ず本年は切替えて無肥料に乗出そうと思い家内中相談致しました処、本年は初めての事でもあり取り損ねては大変だからと先ず水田二畝を実施してはと言う事に纏りました。苗床は一二月荒起しを行い、その地質は粘土質土で水便排水良く日当りの良い処で、苗代面積一坪を四月下旬小切り藁及芥の堆肥を一五貫程入れて踏み込み妻に浄霊させ、又種籾は三合位を別に御軸の前にお供えし朝晩二回ずつ善言讃詞を申し上げ浄霊を致して四月二九日蒔きつけました。

以後も浄霊に余念なく毎日見廻っておりましたが延びは悪く黄色苗となり秘かに心配になった私は臨時祭の時先生にお尋ねしましたところ「それは肥毒の浄化だから心配はありません」と先生に教えられそれに力を得てなお一生懸命に手入致しました。今迄信徒の方で無肥料耕作した人々が一度は必ず此の様な体験を経られたに違いないと、今の自分を励まして此の上良結果を得るためには、自分自身に観音様の尊いお力を頂かねば駄目だと感じ家中相談致しました処、皆喜んでくれ昨年五月入信致しました。

其の後苗の成育は浄霊をやってもやっても黄色で延び悪く細かい苗で実は少々困りましたが「物は試し」と言う事もあり何事も終り迄やり遂げねばと思いを一新してそれこそ一生懸命やりました。

近所の田の人々が親切そうに「今の内に肥料を早くやるように」とか「ここで一肥やったら良くなるがなあ」とか又或人は「此の苗田の近くで煙草は吸えぬ、煙草を吸ったら苗に火が付く、危いぜ」と悪口をいわれ本当に辛い思いを致しました。然し之にも堪えて一生懸命に観音様にお縋り致しましたが、苗は相変らず良い色になりませんでした。

やがて田植時ともなりましたので六月一八日前に大麦を作った田で日当りは良いが水便排水共に悪い砂質二畝の所に農林八号の苗を植付けました。肥料としては小切の時藁三〇貫芥少しを入れただけです。私は細植が好きな故細かい苗でしたが二本か三本程度とし縦一尺横六寸の南北に植付けました。田植後水が少い為に田面が乾いて折角の苗が枯れそうになって来ました。雨でも降って水が出来た時しか田の草も取れない不便なところなので水には随分と苦労しました。私は人から色々と言われましたが、其の都度観音様の絶対力妙智力を固く信じてひるまずたゆまず田の手入を致しました。其の後私の家にも愈々有難い光明如来様の御軸をお迎えさせて頂く事が出来、八月二〇日に其の御浄霊祭りをして頂き家中一同感激此の上もございませんでした。稲の穂ばらみの頃よりは雨が多くて水が出来た為他の人の田と少しも変らぬ様な良い稲となりました。藁もうんと延び穂も重りなって今にも倒れそうに迄なり、聊か心配でしたが浄霊は何時迄も休む事なく明暮れ光明如来様に心からお願いしておりました。

其の中人々には「Kさんとこの田は良い田に成ったなあ、これは見事な出来栄えだ」と言う様になりました。勿論病害虫害少しもありません。秋の刈入れは一一月一一日餅三二〇巴、粳九九巴あり、餅の穂だけ四寸位で藁の長さ四尺四、五寸程一穂の粒数一八〇より二〇〇粒位でありました。

この赤餅の藁は昔から加工品用として当地方では特に良いとされて居ります。この田は普通の年で反当六俵半位の所ですが去年は籾の量より米にしてからが多いと言う結果で総収量餅米六斗(一俵半)粳米二斗(半俵)屑米(三升五合)反当りでは見事一〇俵という割合になります。尚藁は四二束はありました。籾殻が非常に少く米の米糠の分も薄いようで餅等は搗くにもうんと粘りが強く味も上等です。この様な収益は全く観音様の御力の外はないと唯々驚嘆その恵みの宏大な事に感謝致しております。

これ程の素晴らしい御利益を目のあたり見せつけられ一一月には老母も入信させて頂き、手を振って居りいよいよその信念を固め今年こそ、田も畑も全部無肥料で実行に移す決心が決まりました。唯もう毎日が嬉しい感謝の日の連続です。

最後に之を教えて戴いた事を厚く御礼申上げると共に今後益々御用の為邁進させて戴く覚悟で御座います。

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岐阜県 S・H

桜花もほころびはじめ次第に暖かき春の候と相成りました。大先生早速御礼申上げねばなりません。私達の心からなる喜びと感謝の程を御礼申上げます。

顧みますれば昭和二一年二月御光を戴きましてよりの数々の御守護を受け、日夜感激のうちに及ばずながら御手伝をさせて頂いて居ります。丁度昨年秋の出来事で御座います。見事に出来た稲作に私達農民は秋の収穫を楽しみに秋祭りも終り、刈入の準備に取りかかって居りました処が、新聞紙上に報道されました様に当地方にもめずらしい「浮塵子」の大発生が参りました。県当局地方事務所、役場、農業会等よりは大勢の御方が被害の調査やら注油駆除の御指導に毎日の様に来られた。近所の方は毎日毎日無数に殖え行く「浮塵子」の駆除に夜の目も寝ずにまるで村中戦争のような幾日かが続きました。

然し皆様の御努力も余りの効果なく次から次へと拡がり大部分の田圃は枯死状態の哀れな姿に変って参りました。点々と散らばってある家の田圃や会員の御家の稲田畦一重の処迄おそって来ている「浮塵子」より免れる方法がどうしてありましょう。「大先生にしっかり御縋りして居なさい」とのT先生の御言葉に大光明如来様の御前に幾度御祝詞をお上げいたした事でしょう。

奇蹟と言いましょうか、四方の田圃は畳を敷いたように荒されて半作もむずかしいと困っていられるにもかかわらず、僅か一、二尺の畦一重にて一匹の「浮塵子」もはいらず見事に稔った稲穂は頭をたれはじめて参りました。まるで刈入れはじめたころには餅のような状態に皆様も驚かれました。昨年の収穫普通平均五俵弱位のところ私の家では七俵半程宛取らして戴きました。勿論無肥料栽培で信者の皆様がやって居られたのです。これ皆大先生の御守護の御蔭と会員一同涙ながらに喜び合っている次第で御座います。丁度六〇戸の村にて光明如来様を御迎えしている私達七戸が同一の御守護を戴き今年の麦作も無肥料耕作にて頑張っている次第でございます。そして私如き者に大光明様迄戴きこの上もなき光栄と喜び、今後も及ぶ限りの御手伝いをさせて頂く覚悟でございます。信徒一同を代表してお礼申上げる次第でございます。尚供出検査に当りましても会員の御家は全部一等米にて検査官も感心して居られました。

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岐阜県 S・S

「ドオドオドオ」「もう一本注射だ」二〇分毎に大暴れして苦しむ愛馬(駒馬)は五〇〇匁位の氷を頭にくくりつけられています。苦しみは仲々止まりません。知人、親戚、隣人も次々と集まって下さって大騒ぎとなりました。「駄目だね」獣医は沈痛な面持ちでそう言われるのでした。

時は昨年七月三〇日の事、三一日も引続き苦しみ暴れ郡の獣医の方に来てもらいました。「血を取るんだ」早速三升程の血は取られました、けれども熱は依然下りません。「これ程重いのは他にない」「どうしても駄目だ、今夜か明日の朝迄には死ぬなあ」これ以上私の村としては手の施しようがないのです、可哀そうに駒は四歳で斃れるのだと一同は吐息するのでした。「観音様はどうじゃ」「人にきくんなら馬なら余計ええかも知らんぞ」一里ほど隔ったF町のW先生に来て戴いたのはそれから間もない夕暮近くでした。「氷なんか取ってしまえ」来るなり言われた先生は一心に浄霊を始められました。「ドオドオドオ」何人もで動かないように抱えたり縛ったりした駒は浄霊を続けて戴くうちに暴れる事が遠のきました。「熱が下ったぞ」「不思議じゃなあ」氷を除って熱が下ると言いながら皆がホッとしました。遂に暴れるのが一時間毎になり、次の日には全く暴れる事なく「馬が草を喰うぞえ」と子供が喜んで知らせたのも其の日でした。

人々の驚きと喜びは自分が全快したかのようでした。其の後一週間程で元の馬になり特に以前より強くなりました。今では一家光明化して日々感謝の日を過させて戴き私も及ばずながら一生懸命協力させてもらい、数々の御利益を受けています。

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新潟県 T・K

昭和二三年の六月も終りに近い或日の事でした。どうした事か魔がさしたとでも申しましょうか、全く前後の判断も無く何の気無しに狭い板橋を牛を曳いて渡ろうとしました。一間余りも来た頃急に牛が後すざりを始めたので「ハッ」と吾に返り落ちなければ良いがと思った時はすでに遅く、後脚を踏みはずした牛はひとたまりもありません。高さ一丈余りもある橋の上から真逆様に顛落し背中をいやという程ぶったので、四肢を空に上げ白眼をむき出し、生ける様とも思われませんでした。すわ一大事と助け起こし善言讃詞を唱えながら死に物狂いで浄霊を行いました。

二時間程たって静かに歩かせてみましたが何ともありません。其の後一〇日位牛の所へ行く毎に御浄霊いたしました。これが観音様の御救いで無くて何でありましょう。今想い出してもぞっと致します。

此の有難き御守護を頂き只々感謝の気持で申し上げる言葉も御座いません。

今後も益々観音様の偉大な御力におすがりして尚一層の努力をお誓い致します。

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静岡県 S・K

去る二月九日夕方の出来事です。私の家で飼育しております鶏が、田圃より帰って何気なく鶏舎の中を覗きましたら一羽だけションボリしておりますのでよく見ますと、トサカは血色もなく今にもたおれはしないかと思う程弱々しく鶏舎の片隅にうずくまって居ります。早速一羽だけ別にしまして御浄霊をいたしまして翌朝行って見ました処、大分元気が出て参りました。尚別にして四、五回御浄霊をいたしました。

一日おいて其の翌日になりますとトサカの色も赤い良い色と変り非常に元気になりましたので、もとの鶏舎に移しました。今は他の鶏と同様元気になりました。知らずに居れば死んで終ったでしょうが、お観音様はこうして鶏までお救い下されました。

お話は聞いて居りますが、体験したのは初めてです。本当に有難うございました。拙ない筆にて御守護の御礼を申上ます。

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静岡県 Y・Y

私は昨年二月浜松市M先生のお宅でN先生より御守を戴いた者ですが、それからそれへと度重なる御利益に観音力の尊さの量り知れぬ偉大な力であるかを心より感謝致して居るものです。

今から思うとお恥ずかしい話ですが、お力を戴いた初めどうも気恥ずかしい気持で人様には浄霊をする勇気がありませんでした。最初動物からやったらどうかと思いまして一番初めに鶏をやりましたが、それは丁度近所の人で鶏が腰抜けになってどうしても立上らず、餌も食べなくなってもう死にそうになって居り「鍋にしてしまうよ」と言って居ったのを浄霊した時でした。私は一寸「おまじないをしてやろう」と皆が面白半分興味半分で、視ている中で、私は真剣に浄霊してやりましたがどうでしょう、二、三分やった頃全然立たぬ鶏が立ったではありませんか。「こりゃどうだ不思議だな」と異口同音に感心しました。五分位やっている中にトコトコ歩き乍ら餌をつつくではありませんか、全く此れには皆よりも私の方が吃驚致しました。善言讃詞にある「禽獣虫魚の末迄も」が実に文字通りである事をしみじみ感じました。

尚もう一つは農家の副業として養豚をやって居りますが、それにも私は実に有難く感じた御利益があります。それは豚の審評会で私の豚も毎日注意して養いましたが、その当日二日前にどうした事か右前脚を地に付かず、しまいには横になってしまってどうしても起き上る事が出来なくなりました。丹精の甲斐あって入賞確実な豚なので何とかして起したい、又此の方面からも観音力を発表しようと言う矢先、私も観音力にお縋りいたし此れを機会に救いの一端を発表しようと思って浄霊してやりましたが、たった一回ですっかり楽になり当日は年若な豚にもかかわらず見事一等賞になりました。それからというものは遠近を問わず、どんな方々にも浄霊さして戴く様になり「森羅万象観音力に救われざるなし」の本当である事を心より悟らして戴けました。此の古今未曾有の偉大なる力、何と申して宜敷か言葉もありません。救世主出現全くその通りと確信いたします。此の御利益を一日も早く知らして頂けた事を心より感謝申上、此の後とも一生懸命に報恩の万分の一なりとも尽させて頂く覚悟で居ります。

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大分県 F・K

私の一家は昭和二三年三月一五日初めて観音様の御利益を頂き、悲惨な現世地獄より救われ感謝の日々を送って居ます。

此の度『地上天国』に御利益を載せていただき、当時をしのびつつ救われし感謝に只々涙するばかりであります。其の後御利益の数々で一々到底筆に表わしかねますが、取りわけここに甘藷の御利益報告をさせていただきます。芋ふせ期になりましたが良い種芋は全部腐ってしまいましたので、仕方なく砂地に出来た小さな芋(卵二つ分位の大きさ)を沢山ふせて置きました。先生より農作物も浄霊すれば良く出来るとの御話を承り、すぐ家の前が芋床なので暇があれば浄霊をすると言う様にして居りました。芽の出方は大変良い方でしたが、蔓の大きさは左程大きくありませんでした。植付の時蔓に浄霊し後は除草時浄霊した丈で放置しておいたのですが、他の人から「今年は「ホウジク」(芋の茎を食う虫)が発生して芋の葉は「スジ」ばかりになって居る」との話を聞いたので見に行って見ましたら、私の近所の畠は大ていはさんざんに食われていますのに私の畠は青々と葉がついています。嗚呼、之は有難いと浄霊の有難さに思わず頭が下りました。

いよいよ収穫期に入り驚きました事は、掘り上げた芋が地上一面に蔓るようになる事です、之は大した出来だぞと皆の者が驚きました。平年は反当り五〇〇貫位でありますが、一〇〇〇貫もの収穫があり割当供出(生二二三貫)を完納いたしました上、超過供出(生三八貫、切干一五〇貫)を出しまして、代価五万二千円余頂きその上報償物資として木綿一反と自転車のタイヤ及びチューブまで頂きました。開発に自転車がほしいと思って居りました処観音様の御恵で自転車も出来御蔭で毎日此の自転車で御手伝させて頂いて居ります。

一家一同光明如来様の偉大なる御利益の御前に深く深く感謝いたしますと共に、御恵に感謝いたして居ります、厚く厚く御礼申上げます。

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奈良県 H・T

私は昭和二二年春入信させて頂き、以来先生方の御指導の通り無条件にて只々実行に入りました。御利益を頂いた事は数限りもありませんが一、二感じた事を御報告させて頂きます。

私の家は一町余作の農家ですが入信前の二一年度は玉葱種、西瓜等を作り相当な収益がありました。入信後化学肥料の害を承り、逸早く化学肥料を全廃、無肥料耕作を実行しました。二三年度耕作は配給肥料でも化学肥料は施肥せず実行しました処が、玉葱種、西瓜は大なる減収でした。米作の方も八反歩の田を化学肥料全廃耕作の為、夏頃は村一番の不良作柄でした。一〇月頃村内一般に「ウンカ」が発生して村民は早朝より駆除をされています、私方は害虫駆除の方法として一切薬など用いず、唯浄霊を行うだけでしたので、村人からは気違い扱いにされました。でも私方は唯観音様の御光を信じひたすら実行あるのみ。処が有難い事には一二月収穫時になってみると予想外の多収穫実に(村特別一番)家族一同嬉し涙でA先生に報告しました。

一般の家では闇肥料を買って施肥され、私方は配給肥料を金に替えて村一番の多収穫、何と言う大きな違いでしょう。只々御守護御利益の有難さに感謝しております。次に私は野菜類も無肥料で作って居ります。先生方の特別の御慈悲と御取計いに依り大先生に毎月届けさせて頂き光栄に浴して居ります。

本年三月一五日に水菜を本年最後の分として御届けさして頂く可く、月初め水菜の植えた畑へ行き、余り沢山ありませんので此の分だけ大先生に御届けするから誰も手をつけない様にと適当な場所の分だけ仕切をして置きました。そして一五日に畑へ行ってみるとなんと言う不思議でしょう、大先生に御届けする為に仕切った処は生き生きした水菜ではありませんか。仕切外の水菜は花頭が出来て最早食べられそうもない状態です。私は申すに及ばず家族一同余りの奇蹟の尊さに大先生の御霊徳の尊さ有難さに感に打たれ、今は只々感謝報恩の誠を表すより他なきと嬉び居ります。

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三重県 N・M

聖戦と言う美名の下に文字通り滅私奉公の一念に燃え、生死を超越して東洋平和を確立せんとせし努力こそ吾等若人の本分と信じて戦い続けた太平洋戦も、惨憺たる敗戦によって終止符がうたれた。爾来食糧飢饉、インフレ、交通地獄等国民は塗炭の苦しみに喘ぎ、籠から放たれた鳥の如く暗黒の路頭に彷徨し、自暴自棄に走り、その場限りの享楽を求め、至る所に醜い世相を呈している。此道義頽廃した濁世を救済するには宗教以外にないと叫ばれているにも拘わらず、現実はどこ吹く風と益々悪化しつつあります。かかる現況に新興宗教としてその名を挙げたのが観音教であります。ここに於て私の現在に至るまで入信による体得の一端を記したいのである。

私とても入信当初は無神論者にて或方より信仰のお勧めにより、只手を振る事によって病気その他万事が解消すると伺いしも、恰度空を掴むが如く茫然とするのみで到底信ずる事が出来なかった。然し昔から「疑いは信の始めなり」と言う事があるが、私も疑いつつ信仰している内にその結果が如実に現われ、手を振れば病が治ると言う事を知らされた。自分の気持も何時となく次第に朗かになり、病気に対する考え方も異り、即ち病因と言うものが分れば、神霊放射により如何なる事も解決すると言う事を知り、日常生活に於ても何等苦悩がなく、日々楽しく業務に従事する事が出来ます。この事は偏に信仰即ち観音様の御霊徳によらずして何であろう。私は此のお手振り功徳に対しては唯感謝の念にたえません。

尚最近観音耕作無肥料栽培という事が叫ばれておりますが、私の家とても農家にて入信以来度々先生より無肥栽培についてのお話をお聞き致し、私も先ず試験的にと思って実行してみましたが、果せる哉収穫してみれば意外にも実の多いのには驚歎致しました。爾来田畑全部を無肥料にて耕作致すべく努力致し、現在全くの無肥料にて只観音様の御光によってのみ作っております。而して過去幾多の体験によって私は無肥にて増収出来る確信を得ました。

昨年の如き風雨の烈しき時に対して肥料耕作においては気温が低調であったがため、軟柔徒長にて風雨に弱く、且又肥毒によって害虫の発生を見、多額の減収致しましたにも拘わらず、無肥料に於ては草丈は割合に小さく風につよく、勿論肥毒による害虫の発生なく無病にて収穫期をむかえる事が出来ました。尚精米においても深く観察してみれば、唯不思議の一字につき到底筆舌にては表わせません。すべて実行による確認にて、一日も早く世の中の人につげ、農産物増収に一躍寄与せしめんため布教に努力しております。

今よく世間新興宗教を称してインチキ宗教となづけ、多くは迷信邪教視しているが、すべて彼等はその実態を把握しているのであろうか。余りにも外観的のみにて批判する事の未知であることを感じられるのである。かように私は此の混沌たる世を救うには宗教の力以外ないと思います。そして未だ悪夢に彷いつつある世人にお知らせ致すべく努力致しております。茲に入信一カ年半を顧みて所見を述べさせて頂きました。

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兵庫県 M・S

島根県美濃郡T村のI氏は養蚕技師であるが、同氏の御話は御道の為中々示唆に富んでいる。曰く「戦争中養蚕は食糧増産の犠牲となって、桑畑は麦畑とかわり、肥料の配給は激減した。だが蚕の成績品質はそんな悪条件下にもかかわらず良好であった。然るに戦後再び桑畑は拡張され、肥料は続々配給され、蚕の収量は増加したが品質は案外よくない。殊に昨年秋蚕は、上簇間際に蚕が弱って繭を作り得ないものが続出した。これは硝安病と言って硝安を多量施肥したための中毒症状だと言う事になった。そして今後は桑園に金肥の施肥量を減少し堆肥を増加する事に専門家間で決定したそうである」

同氏は其の直後本教の無肥料栽培に関する話を聞かれ共鳴する処あり入信されたのである。私達は今後同氏の手に依って有肥無肥の桑葉の蚕に及ぼす影響について科学的、データの作成さるる事を期待している訳であるが、それにつけても化学肥料を大量に施した米麦が不知不識の間に人体を如何に害して居るかと考え及ぶ時慄然たらざるを得ない。その意味からでも私達は此のお道の発展の為に精進しなければならない事を痛感するのである。