序論

此書を読む人の為に前以て断っておきたい事は如何なる読者と雖も、今迄読んだ処の書物否今日迄全世界で出版された凡ゆる書物と雖も、恐らく私の此著書位想像もつかない驚愕すべき説は無いであらうと思ふのである。或は異端邪説視する人もあるかも知れない。それは、十六世紀の初め彼の地動説の始祖ポーランド人コペルニクスが、その天文学革新の説を著書として出版しようとしたが本国では到底許さるべくもないので、弟子である独逸の一青年に託して独逸国で出版しようとしたが独逸でも其儘では危いので、冒頭に“作り話”と書いて辛くも出版し得たといふ事や、又その後継者ともいふべき自然科学の泰斗ガリレオが、地球の自転説によってローマ法皇庁に喚ばれ拷問の刑に遭ってやむなく自説を飜へさゞるを得なかったのは、それは彼が七十歳の老齢で拷問に堪え得なかったからだといふ事であった。其当時ガリレオが作った望遠鏡を人々は悪魔の道具であるといって近寄るのを恐れたといふ今日から観ると真実とは思へない程の滑稽事さへあったといふ事である。斯様に其時代にあって、既存の説を覆へすやうな新しい説や、人々の予想もしない新発見は、誤解と狂人扱される例は少くないのである。

そうして私は、過去弐拾数年間医学でない病気治療に従事してゐる中、実に驚くべき事実を発見して愕然としたのである。恐らく今日迄世界の誰もが発見したといふ事を聞かない悲しむべき一大事実である。然し、私は考えた、此真実を発見し得たといふ其事は大いなる理由がなくてはならない、其理由とは何ぞや、それは斯事を遍く人類に知らしめなくてはならない“危機の時”が来たといふ、神の意志でなくて何であらうと思ったのである。

茲で、平凡な私の経歴を書かして貰はふ。私は学問は極めて低い、唯画家を志して美術学校の予備門に入り、眼疾の為半途退学をしたのである、それから実業家たらんとして一時少し成功したが、終に大失敗をして失望懊悩の結果と生来の病弱を解決したい一念も手伝って宗教方面に趨り、霊の研究に趣味を持ち全身を打込んだのであった。それから“病気と霊との関係のある事”を知って、尚も研究に耽りつつ終に独特の治病法を創成したのであるが、それよりも病気と其原因とが想像もつかない意外の所にあるのを知ったのである。そうしてそれは、はっきり知れば知る程、現代医学の理論と反対であって、西洋医学を基本としてゐる今日の政府の政策とは全然喰違ふので病気治療を廃めてしまったのである。

然乍ら、私の治療に従事してゐる時の治癒率は当(マサ)に驚くべき程で、その治癒率は九十パーセントは確かであった。常に門前市をなしどうにも身体が続かなくなったといふ其事も廃める理由の一つであった。治病率九十パーセントなどゝいふと何人も本当にする者はあるまい。特に専門に従事する人は猶更信じ難いであらう。然乍ら私が治療に従事してゐる時に、斯ういふ事を言ったらそれは宣伝の具に使ふと思はれるが、今は廃めてしまって閑日月を送ってゐる境遇でそんな宣伝などは何等必要はない訳である。そうして右の如き恐らく世界に類例のないであらう治病率を挙げ得たといふ事は何が為であるか、それは病原の真実を知ってそれを衝いたからである。而も医薬も器械も使用しない、只手指と掌の技術によってである。今一度断はっておきたい事は、私のいふ右の効果が聊かの誇張もないといふ事である。

今日医学は実に驚くべき進歩を遂げつゝありとされてゐる。そうして凡ゆる文明国人が聊かの疑もなく信じ切ってしまって、各国の政府も国民も之を基礎として、それぞれ其の国民の保健政策を樹ててゐる。そうして未来観として凡ゆる病原は一つ一つ解決されてゆき、其治療法は確立され、人間の寿齢は延長し、体位は向上すべく、先進文明国が伝染病や結核が漸減しつゝある事実に観て社会衛生の進歩の結果とされてゐるのである。然るに何ぞしらん伝染病や結核が理想の如く漸減し、寿齢が緩慢ながら延長し、死亡率も漸減しつゝあるのであるから人口はどうしても増加しなければならない筈であるに係らず現実はその反対であって、各国共人口低減の防止に必死となってゐるといふ事は全く不合理極まる事といふべきである。

又、我日本に於ての結核や虚弱児童の増加一般体位の低下等は周知の事実である。而も明治三十年代の兵役壮丁者の胸部疾患が百人に付二人であったものが、昭和十二年には百人に付二十人といふ実に十倍といふ増加である。其他幾多の事実が医学の進歩と凡そ逆比例しつつあるのは何故であらうか、之は要するに何等か未だ発見されない所の大いなる原因が潜んでゐるのではなからうか、之を例へていふならば樹木の葉の色が悪くなって新芽の出方が年々少くなるといふので葉や枝や幹に原因があるのではないかと研究してゐるやうなものではなからうか、何ぞ知らん、原因は誰も見へない所の根にあるのだといふ事それに気が付かないのではなからうか。私は、病原は此根にあるといふ事を発見し得たのである。

そうして、私の説が真理として肯定される事も、実行に移さるゝ事も、容易ならぬ事であらう。それは現在迄幾世紀の間築き上げられた西洋医学を基本として、凡ゆる制度や施設が作り上げられてゐる現状だからである。といって此儘では愈よ倍倍(マスマス)統計は悲観的方向を指すであらう、此故に末梢的方策を如何に行った処で、一時的或程度の効果はあらうが其原因に触れざる限り大勢は如何ともなし得ないであらう。事は、国家の興隆民族存亡に関する重大問題である。地動説のやうに、それが肯定に百年遅れても敢て危機には関はらないが、これは焦眉の急を要する大問題である。私は此著書を以て先づ警鐘たらしめようとするのである。

近代文明は、科学の進歩によって築き上げられた事は今更論を俟(マ)たない所である。科学の功績によって、人類の福祉が如何に増大されたかは、蓋し、量り知れないであらう。此故に、現代人が如何なる事物と雖も、科学によって解決なし得ないものはないと思ふのも無理からぬ事である。勿論人間の病気も生命も科学の力によって漸次解決されてゆくとするのも当然であらう。

然乍ら、凡ゆる事物が、科学によって解決なし得るものと、科学では解決なし得ないものとの区別が自らあるといふ事も知らねばならない。又斯ういふ事もいへると思ふ。現代科学の進歩そのものは、原始時代からの歴史と相対的に観ての事であって、今後数百年又は数千年後の人類が二十世紀の科学を批判する時、その余りに幼稚であった事を嗤ふであらふ事は、ちょうど吾々が原始時代の文化を嗤ふと同一であると想ふのである。彼の中世紀に於けるアリストテレスや基督教一派が唱へた地球中心の説を、其時代の人々は無上の真理としてゐた事や、又其時代の占星術が今日の科学の如く崇拝され、占星術を知らない医師は名医とは謂はれなかったといふ史実も今日からみれば馬鹿々々しい位のものである。此故に私は人間の生命は、現代程度の科学での解決は不可能であると言ふのである。然し乍ら停止することを知らない科学の未来は、終に人間の生命をも解決為し得る時代が来るであらう事も想像されるのである。従而、私の所説は、人間の生命に関してのみ、現代科学の理念では解決出来得ないと言ふのである。それにも係らず解決なし得るとしてゐる。そこに根本的誤謬の発生があるのであってその誤謬の発見こそ、此著書となった所以なのである。

そうして、私の此所説こそは、実は未来の科学と思ってゐる。故に、現代科学に慣れてゐる読者は先入観念にとらはれる事なく飽迄頭脳を白紙にして臨まれん事である。専門家は曰ふであらう。医学を学んだ事のない所謂素人輩に何が判るか。烏滸(オコ)がましいにも程があると、然乍ら私はいふ。私が医学を知らなかったから此大発見が出来たのである。それは偉大なる発明が専門家でない一介の無名人が為し得た事や大鉱山が鉱物智識のない者が発見したといふ事実など少くないことは、誰もが知る所である。

茲で、発明発見に就て、私の所見をいはして貰ひたい。今日迄の偉大なる発明や発見に於てその殆んどが学者や専門家ではないといふことである。彼の蒸気に於けるワットや無線電信のマルコニー、電気のエヂソン、飛行機のライト兄弟等々にみても明かである。そうして所謂素人が根本原理を発見し、学者がそれの進歩改良を遂げるといふそういふ経路によって発達し来ったのが、あらゆる文化の現実であらう。

又今日世界を動かしつゝある偉大なる人物として彼のヒットラー、ムッソリーニ、スターリンの如きも、学問は極めて低いといふ事である。此不思議な現象は如何なる訳であるかといふことを述べてみよう。元来、学問とは、前人によって作為された処の事物、法則の歴史であって、過去の知識である。未来の分野に対する開拓的知識であるよりも只基礎としての価値である。言はゞ、既成的定型的知識である。従而、未来の夢を現実にしようとする場合寧ろ学問が邪魔になる事さへあるのである。その固性化した処の定型的理念がその夢を否定しやうとするからである。然るに、偉人とは、すべてその企図や行動が型破りならざるはないのである。既成の型や過去の知識の否定によってこそ新しい物が生れるのである。其処に飛躍がある、昨日の文化は明日の文化ではない。勿論、如何に新しい発見や発明と雖も無から有を生ずる魔法ではない。永い間前人が築き上げた歴史の土台の上に打ち建てられるものには相違ない。そうして学問は、既成の型を絶対の真理として信奉する結果、それが往々有用なる発見や発明を阻止し、否定しようとするのであって面白いのはその役目を其時の有識者がするので折角人類に役立つ立派なものが一時押へつけられるといふ例はよくあるのである。

そうして一体、医学の目的は何であるか、いふ迄もなく医学の為の医学ではない。病気を解決せんが為の医学であらねばならない。それは、凡ゆる病原を闡明(センメイ)し、凡ゆる病気を治癒し、健康を増進せしむる事である。即ち病気のない人間病人のない家庭を作る事である。人口増加が旺盛で、之に関して政府の施設など要しない国家たらしむる事である。結核療養所も精神病院も漸減し、体力管理も健康診断も不必要になる事である。以上のやうな方向に少くとも一歩々々近づくといふそうなる事が、医学の進歩であって、そうならせる力それが真の医学であると私は思ふのである。然るに何ぞや、現在の状態を見るがいい。右に述べた事と凡そ反対の方向に進んでゐるではないか、それは如何なる訳であらうか、之等の現実に対して、専門家は勿論の事、政府も国民も何等疑問を起さないのである。実に不可解極まる事と私は思ふのである。此不可解極まる世紀の謎は、此著書によって明かになるであらう。

然し、飜って省察する時、それは理由がある。現代医学の其容装の何と絢爛たる事よ、顕微鏡の進歩は細菌の発見となり、解剖学やレントゲン等によって人体内部は倍々闡明され、各般に渉っての分析は微に入り細に渉って幾多の発見となり、薬物光線其他の療法は弥々種類を増し、手術の技巧は巧緻を極め機具や設備や消毒法等は実に完璧とさへ思はれる程である。之等によって、医学がすばらしい進歩を遂げつゝありと思ふのも無理はないのである。

そうして、文化民族が私の此理論を肯定するか否定するかによって、その運命は決定するのである。もし、肯定を遅疑し、又は否定するとすればそれは滅亡への前進を速めるばかりである。然し、反対に肯定するとしたら、それは永遠の光明と繁栄への道へと進むのである。従而、医学専門家の一人でもいい、私の説による“医学の創始”に着眼せられたい事である。それは確かに医学の革新であり、明日の医術への出発であり、未来の科学の創建への第一歩となるであらう。

又、今日迄医学として、真の意味における日本医術はなかったと私は惟(オモ)ふのである。帰する所、西洋、支那、印度等に於て創始された医術を日本化した迄であって日本独創の医術ではない。然し、私の提唱する此医術こそ、それは真の日本医術として永遠に誇るに足ると惟ふのである。

又、私は常に斯ういふ事を思ふのである。今日本が、支那や南洋の占領地帯へ、宣撫班を派してゐる、そうして宣撫班の主点は何といっても医療によって、彼等に日本の文化の発達を示し其恩恵を知らしめる事である。然し、一歩進んで考える時斯ういふ結果になるのではなからうか、それは、その医療が効果のあった場合、日本人の優秀を信ずるよりも、先づその医学の創始者である西洋人の優秀性を感ぜずには措かないであらう。そうして、日本人の偉さは、西洋人の作品に対し、その模倣の巧妙さを讃えるといふそれ以上には出でないであらう事である。此意味に於て私の此医術を以て彼等を救ふ場合、西洋医学より効果の大であればあるだけ心底から日本人に服するといふ事は自明の理である。而も機械も薬剤も何も要らないのであるから、如何なる僻地と雖も容易に実行し得らるゝのである。

今日の社会に於て、凡ゆる不幸の最大原因は何であるかといふと、先づ病気そのものであるといへよう。茲に一人の病人が出来たとする、偶々それが結核とかそうでなくとも何とか名のつく病気とする。それは誰しも直ちに医師又は病院に診察を乞ひ、治療を受けるのが常識である。然るに、医療に於ては少し重い病気は先づ安静を第一とする。次いで、服薬、注射、氷冷、湿布等々複雑多岐なる療法を行ふ。然るに、容易に治癒しない。やむを得ず患者は、医師又は病院を替へる。それでも治らない。其場合、余裕のある人程治りたい一心で、費用や時間に構はず何個所も病院を更へる。ちょうど病院遍歴者である。然し、如何に焦っても治る筈がない。何となれば、何軒歩いた所で西洋医学といふ一つの根本理論から成立ってゐる療法は何処へ行っても大同小異であるからである。故に、最初の医師で効果がなかったものは、同様の学歴によって修得した次の医師も左程異る筈がない。たゞ医師によりその才能の特に優れた人は、診断、技術、精神的方面等綜合して良い結果を生むといふ例はない事はないが、それ等は一般には当嵌らないのである。そうして何程病院通ひしても入院しても治らない。患者は煩悶懊悩する。そういふ頃になると大抵な人は貯金は費ひ尽し、而も、主人である場合、長い間職業を放棄してゐるので、収入は減少又は杜絶(トゼツ)して借金は出来る、勤務先からは馘になり進退茲に谷(キワマ)るといふいとも悲惨な状態は今日随所に見らるゝ事実である。又患者が妻女又は子女である場合、病気が数年に渉るに於て一寸した財産は蕩尽してしもふであらう。そうして其結果生命を失くするといふに至っては、それ迄の多額の費用は殆んど無駄に捨てたも同然である。即ちその莫大なる費額の代償として得たる処は長時日間の苦痛と“死”そのものである。

噫、あはれなるものよ!“汝の名は現代の人間である”と言ひたい位である。先づ二、三人の子女を次々右の如き病気の経路と死を繰返すに於て、大抵な財産は蕩尽され、老後の希望も楽しみも消失して絶望の極敗残者の如き生活に陥ってしまったといふ不幸な人の例も、私は余りにも多く見たり聞いたりしたのである。斯の如き高価なる犠牲を払って、斯の如き不幸なる結果がその代償であるといふ事実は何を物語ってゐるのであらうか、その理由は簡単である。現代医学は、病気を解決するには余りにも無力であるといふ事である。

此著書に於ての主眼とする所は、人口問題であって、それは文化民族の増加率が低減するといふ事が、その帰結として、終に滅亡への運命を示唆してゐることである。彼の独逸の人口統計学者として知られてゐるブルグドエルファー氏の推計した所によると今から約百十年を経た西暦二○五○年頃になると、独逸の人口は二千五百万人になってしもふといふ事である。之は今日の独逸の人口六千七百万人に比べると殆んど五分の二に近い数に激減してしもふ事になる。又、イギリスのヱニッド・チャールス女史の研究によるとイギリスの人口が、之からも今迄と同じ様に出生率と死亡率とが一緒に下ってゆくとすれば、イギリス今日の人口は約四千六百万人位であるが、今から百年後にはその十分の一以下の四百四十万人になってしもふといふのである。然らば我日本に於ける統計はどうであらうか。我国統計学の権威中川友長博士の推算によると、昭和十五年の現在数七千三百九十三万九千二百七十八人が今日迄の割合で推移するとして六十年後の昭和七十五年には一億二千二百七拾四万一千七百七十七人となり、之を極点として減少し始め、それより二十年後の昭和九十五年には一億一千五百四十六万五千三百八十六人になるといふ事である。右の計算を以てすれば独逸は五百五拾年後には只の百六十万人となり、英国は向後二百年にして四十四万人となり。日本は四、五百年にして零になるといふ計算になるのである。

右は統計を基礎としての予想である以上相当の信をおいてよからう。実に、此問題に直面する時何人と雖も恐怖と戦慄に襲はれない訳にはゆくまい。私は此大問題こそ、東亜共栄圏の問題よりも、世界新秩序の問題よりも、幾層倍、否幾十倍、否否幾百倍もの大なる問題であり、絶対的解決を要すべき問題であると思ふのである。以上の如く十九世紀から二十世紀にかけて、此人口減少といふ恐るべき現象が起ってきたのは何故であらうか、そうして此不思議な現象は十八世紀以前には無かったと思ふのである。何となればもし何時の時代かに始まってゐたとすれば少くとも今日迄に文化民族は滅亡か、或は滅亡に近い運命になってゐなければならない筈であるからである。

そうして此人口低減といふ二十世紀の謎の本体は何であるか。読者よ驚く勿れ実に医学の進歩そのものであるといふ事である。嗚呼歴史あって以来斯の如き意想外極まる問題はあったであらうか。私は文化民族が三四五百年にして全滅するといふ統計を示したのであるが実は私の観る所ではもっと速く或は二三百年以上は困難ではないかと思ふのである。何となれば其原因が医学の進歩による逆効果である以上医学が益々進歩するとすれば現在程度の医学で樹てた予想よりもより悪い結果を来すべきは当然の帰結であるからである。

然らば右の逆効果といふ意味は如何なる訳であらうか。之を徹底的に暴露闡明し真の日本医術を創建し、滅びゆかんとする人類幾億の精霊を救済せんとする一大本願が此著書となったのである。

(明日の医術 第一篇 昭和十八年十月五日)