現在日本人の平均寿命は、四十四歳であるといふ、元来、百二十歳迄生きらるべき、定命としては、余りに短命である。殆んど、天寿の三分の一しか、生きられない訳である。偶々七十八十迄生きる人は、長命として、大いに祝ふのであるが、斯様な人世へ対して人は何等、疑問を持たないのである。それは其原因も、方法も、発見し得ないから、止むを得ず、諦めて居るので、それが何時しか常識にまでになったのであらう。
然らば、此短命の原因は、何処にあるのであるか、それを、之から説明してみよう、私が、多くの健康者も、不健康者も、調査してみるに於て、実に、驚くの外ないのである。それは、凡ゆる人々の肉体は、殆んど、膿汁と毒血で充満してゐると言っても可い位である。故に健康者と雖も、何時、大病が発生するや知れない、危険の状態に、置かれてある事である。私は現代人が、能く生を保って居るとさへ、思ふのである。又、之に気が付かない。現代医学も、不思議であると思ふ、極端に言えば青白い顔は膿汁の為のそれであり、色艶の好い、油切った顔は、毒血の逆上とさへ、思ふのである。設し、此儘にして進まんか、実に国家の前途に対して、寒心と恐怖に、堪へない次第である。
斯様な、汚穢(オエ)に満ちた人間が、天寿を保ち能はぬのは、真に当然である、近来、最も多い、神経衰弱、肺結核等は、膿汁のそれが、原因であり、脳溢血、中風、リョウマチス等は、毒血の多量に由るのである。故に、現代人の短命であるのは、其膿毒の為に倒れるので、其膿毒に堪えられないからである。例えば、重い荷を背負って行く、遠路の旅人の如きもので、路半にして、疲労と困憊(コンパイ)の極、道端に昏倒する様なものである、何と情ないではなからう乎、獣類でさえ大方は、定命を保ち得るのに、万物の霊長と誇る人間が、天寿の何分の一しか、保てないと言ふに到っては大いに考えざるを得ないであらう、にも係はらず、医学は進歩したといふのである。此点に於て、今日の宗教も、無力であると言へる、何となれば寿命を延ばして呉れる宗教は、殆んど無いからである。それは、信仰者も無信仰者も、同じ様に病気に罹り、同じ様に死ぬのを見ても、瞭かであらう。現代医学も、現在の宗教も、無病者たらしむる事も、天寿を全ふさせる事も、出来ないとすれば、其存在価値を、疑はざるを得ないであらう。
本療病術とは、汚穢に満ちた人類を、浄化する事業である。国民の延命運動である。之は新日本医術の大療法を拡充する事によって、達成されるのである。そうして、人間が汚穢を取除かれたなら、ひとり、肉体の健康ばかりではない。霊体合一の理によって精神も健全になるのは、当然である。精神が健全になれば、其人の行為は、正しからざるを得ない。真の人間としての、道を履む事になる。所謂、完全人間に成るのである。完全人間が多数になるに従って、国家社会は、健全なる発達を遂ぐるは、必然であらう事である。
(明日の医術 昭和十一年五月十五日)