元来、真の健康法といふものは、霊体を曇らせない様にする事である。霊体を曇らせない様にするには、其根元である魂を曇らせない様にする事であります。
茲に、一個の人間があるとする。此の人が間違った事をする。秘密的な人に知られて悪いやうな事をすると良心が咎める。それ丈でも魂は曇るのであります。
又人を苦しめる様な事をすると気が咎めて自分自身が曇ると共に、苦しめられた人の想念が曇となって来るのであります。其適切な例があります。
某大デパートの専務ですが、代々不思議に病気になったり早死したりする。之は如何いう訳かといふと、デパートの繁栄によって打撃を与へられてゐる多数の小売商人が始終怨んでゐる。多数のその怨みの想念が始終来る為であります。
成金の没落なども同一の理であって、多勢の嫉みの想念の為であります。又若くして名人になったり出世をしたりする芸術家などもよく早死しますが、そういふ訳なんであります。
右は全部といふ訳でもないが、名人でも徳のある人は例外の場合もあります。 今度は反対に人を助けたり人が感謝する様な行をすると、その感謝の念は『光』となってその人に来るので、それによって曇はそれだけ解けるから、其人は常に健康でいつも朗かでをられるのであります。之に依てみても真の健康法とは、正しい想念と善徳を施す以外にはないのであります。
其人の行が俯仰天地に愧じないならば、心魂は常に爽快明朗であります。ですから、病気は或程度自分が作るのであって、それに依って苦しむものなのであります。
祖先の罪穢(ツミケガレ)と雖も自分の行り方によって消えるのであります。
(岡田先生療病術講義録 昭和十一年七月)