確実なる統計によると、明治三十年代の壮丁入営後の胸疾患患者は、百人につき弐人であったものが、昭和拾参年には、百人に付き三十弐人になったといふ事である。十六倍といふ驚くべき数字である。又、最近、小学児童の結核菌保有者は○人につき○○人、要治療者は、その内○○人である、といふ事である。又、東京市に於ける女学校生徒○○人を調査したる所、微熱保有者は○○人であるといふ事だ。又現在、数万人の職工を有する○○工場は、昭和十四年度に於て健康診断の結果八十五パーセントの要警戒者であって、特に結核性が多く、もし之を厳密なる医学の明示する所に従へば、工場の作業に重大支障を来すので、発表を見合せたといふ戦慄すべき事実を聞いてゐる。又、乳幼児の死亡率が文明国中最高位にある事は、余りにも知れ渉ってゐる所である。斯の如き寒心すべき現状は、何れにか未だ誰人にも発見し能はざる所にその原因があるのではないか。右の入営者の例を見ても、明治三十年代と現在とを比較するに、社会衛生も個人衛生も、又軍隊に於ける衛生施設も、現在が明治三十年代より劣れりとは決して思はれざるのみか、寧ろ、その反対で諸般の衛生的施設はいよいよ倍々完備しつつあるべきは、何人も疑ふ能はざる所である。世人は、何故に此点に疑を挿むものなきや。洵に不可解千万と思ふのである。又、年々医学も社会衛生も、年々、進歩停止する所を知らざる情勢に対し、それと反比例に愈々国民体位の低下が急速に加はりつつあるに対して、政府は焦慮甚しく、出来る限りの各般の施設に汲々たる有様は、日々の新聞紙を賑はしてゐるのである。然し、それ等何れもの方策も、其原因には触れる事なくして結果に対する対症的方法以外の何物でもないのである。然し乍ら、それはやむを得ないのであって、その原因が不明であるからである。以下、項を逐ふてその原因を説く事にする。
(医学試稿 昭和十四年)