抑々、病気とは何ぞやと言へば、人体の浄化作用である。人間の健康は、病気有るが為に保ってゐる、と言っても可いのである。
人間が生を営みつつ諸々の行為による罪穢や、食物の毒素、其他近代生活に於る、種痘の為の陰性化天然痘毒素及薬剤中毒等、凡ゆる可避不可避、又は意識と無意識とによって、不知不識堆積する毒素は、或程度免るる事の出来ないものである。そうして、其堆積の量が、或程度を超ゆる時、それはどうしても排除されなければ、人体の健康は保ってゆけないのである。
それが人体に於ける自然浄化作用であって、其排除されなければならない余剰毒素は、身体の何れかの部分に集中し、其処から排出されやふとするのである。病気とは、右の排除されよふとして、或部分に集中した毒素が、尚も外部へ排出されやふとする其道程の苦痛である。
故に、自然浄化による血液中の毒素が、膿汁となって排泄する場合、排泄に有利ならしめん為、其膿を溶解する必要がある。元来、膿汁は人間の体温及び、それより低い温度では、凝結する性質があるので、それを溶解せんとするには、どうしても体温以上の温度を要するのである。それが為の発熱である。又、膿の排除作用の工作が、痛みであるから痛みと熱に因って、毒素排出の目的が達せられ、健康は持続されるのである。又、肺結核痔疾等にて、喀血や出血するといふ理由もそうである。排除されなければならない余剰毒血が、其排除器能である肺又は肛門を利用する訳である。故に、肺からの喀血は、多量であればある程、浄化作用が良く行はれるのであるから、何等恐るる事なく、寧ろ喜んで、放置してをけばよいのである。それの後は非常に、健康は増進される事実を、断言するのである。此理を知らない医学は、出血や発熱を以て病気悪化と誤解し、非常に恐れて、それを停止させよふとする。其為に、折角の浄化作用が完全に行はれないから、病気は長引き、健康は容易に恢復し難くなるのである。尚其上に、薬剤服用の為の毒血増加が、病気悪化に拍車を掛けるのである。 是等の理に由って、病気現象は決して健康を損ねるものでなく、反って浄化作用であるから、之を知ったならば、病気は恐るる所か、大いに喜んでいい訳である。 故に、今日迄の病気治療は、病気を治癒させるのではなく、治癒を遅延させ、病気を悪化させる結果に外ならなかったのである。
(S・11・4・21)
(新日本医術書 昭和十一年四月十三日)