岡田式指圧療法は、実は指圧療法といふのは当らないのであって、浄血療法、又は浄気療法、浄化療法とでも言ふのが、適合してゐるのであるが、指圧療法の名の方が、一般に肯き易いので附したまでである。抑々、此根本原理は、病気の根元である人間霊体の曇其ものを、霊光の放射に依って、消失浄化せしむるのである。霊体の曇が払拭さるれば、其部の血液は浄化せられ、其部の血液が浄化さるれば、其部の膿汁は解溶され、膿汁が解溶さるれば、病気は全治するのである。故に此療法は、霊から治癒するのであるから、根本的治療法である。
然るに西洋医学は、之と反対の療法である。即ち、病気として表はれた処の体的現象を、薬剤、器械、光線等の物質を応用して、治療するのであるから、偶々、治癒された如き状態を呈すると雖も、或時期を過ぐれば、弾圧された力へ対する反動的状態を以て、再発する訳である。此故に、肉体に向っての薬剤又は、物理療法は、仮に奏効するとも、多くは一時的治癒であって、根本的治癒ではないのである。然し或場合には、一時的治癒の後に自然治癒に由って、全治する事もあるが、之等は或一部の病患である。故に、此理に由って唯物的西洋医学は、霊を認識せざる限り、如何に進歩せしめやうとするも、治病不可能である事は断言し得るのである。 観音力療法に於る根本医力である霊光とは如何なるものであるか。之は試験管的には、未だ説明出来ないものである。何となれば、未だ科学の方が其所まで進歩してゐないからである。世の科学者又は、医学研究家諸賢は一日も速く、此霊光の本体を科学的に分析研究されん事を熱望して、熄(ヤ)まないものである。
而して、此偉大なる霊光は、人類史上未だ顕現された事のない、一種の神秘的光波である。強ひて説明をすれば、彼のラヂュウムの幾十倍、幾百倍の治病力ある光線である、といふより外は無い事である。然らば此神秘光線は、何処に存在するやと言えば、それは太陽の光波と月の光波とが、或X体に向って不断に流射されつつ、或X体内に於て密合し、一種のヱーテルが構成され、其ヱーテルが又不断に、仁斎の体内に向かって流射してゐるのである。故に、仁斎の四肢五体からは、其光波が常に放射しつつあるのである。此神秘極まる一切の工作者こそ、観世音菩薩の御本体である。故に解り易く言へば、観世音菩薩は、治病力たるヱーテル光波を、無限に製出供給し給ひつつ、仁斎の肉体を通じて、治病救済を行ひ給ふのである。故に、仁斎に接近するや、多くの人は其光波に浴して、病気によっては治癒されたり、痛みは癒え、又は爽快な霊気感に触れて悲観は消え、勇気は増し、再三接近するに於て、血液の浄化に由って血色を増し、飲酒家などは飲酒癖が無くなるのである。之等によって見ても、科学的に説明は今の所、不可能ではあるが、実證的には尚、如何程にも説明し、理解出来得らるるのである。
尚仁斎が、文字又は絵を書けば、其筆を通じて、墨色へ光が滲透するのであるから、書体又は画面から、一種の光を放射するのである。其色は白金色、黄金色、紫色等であって、其光を見た者は今日迄幾十人にも上ってゐる。或時は停電の際の如き暗黒であるべき画面が、其画面から放射する光に因って、鮮かに観世音の御姿を拝した例もあり、又電気を消して画面から放射する光が、部屋一杯に漲ったといふ例も幾度となくあるのである。又、治病力を発揮させる意味の文字を認めたる紙片を折り畳み、普通人が懐中すれば、其人は直ちに治病力を発揮し、医学博士以上の治病実績を挙げ得る事の実例は、日々枚挙に遑ない程である。此不可思議なる力を称して観音力といふのである。故に之等に由ってみるも、病無き時代人類が天寿を全ふし得る時代の接近は、確言して憚らないのである。それと共に西洋医学の革命期の来た事も、疑ないのである。此観音力療病法こそ、実に明日の医学であり、真の人類救済の一大福音であるのである。
(新日本医術書 昭和十一年四月十三日)