例の神憑りの人で、最近ちょっと面白い事が出たので、今読ませます。
(御報告)
時期が近寄って来るに従っていろんな事が出て来るのです。こういう事は今まで詠で、露骨には書かなかったが、大体は書いてあるつもりです。昨日キリストが憑った女が浄霊に来たのでやったところが、マリヤが憑っていて、自分の伜のキリストが救われたので、自分として嬉しくてしようがないと言って非常に喜んで、繰返し繰返し礼を言っていました。そういうようなわけで、霊界の方が今非常に変化始めて来たわけです。それで、これがいずれ体的に写ると、素晴しい発展の時期になるわけです。いよいよ本舞台に近寄って来たわけです。ただ、今のところは霊界の事だけに、人間の目や耳にはさっぱり分らないが、近づいたという事は確かなのです。霊界が大いに変るという事は、火素が増えるわけです。光が増えるわけだから、去年の凶作みたいな工合に病人が(凶作でなくて凶人ですか)増加する場面が近づいて来たわけです。自然栽培の宣伝なども、各地とも非常によく、開いた口にボタモチという工合で、大いに歓迎されつつありますが、いずれ医学の方もそうなるわけです。そうなればもうしめたもので、根本から変って来るわけです。霊界が変って来たのでいろんな面白い事があるわけです。
話はそれだけにして、質問に入ります。
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「昨年五月御垂示(註地上天国四十八号)いただきました染矢義彦でございますが、本人も感激して、反省し、その後御神業に努力して参りました。三カ月ほど前に兄さんの方から御詫びして“大変申訳ない事をした、今までの事は許してくれ”と言って来まして、その後仲もよく、兄弟の努力の結果、当時より信者も倍になりました。再び大光明如来様の御奉斎を御許しいただきたいと思います」
よいです。もう、そうなれば……。そういう事もやっぱり訳があるのです。そういうような段取にしなければならない訳があるのです。こういう事を知っておかなければならないです。これは大本教のお筆先に「今度は二度目の天の岩戸開きであるから」という事があるのです。というのは、ずっと古い時代ですが、以前にもこれに似たような事が世界にあったのです。それで今度は私が出てから、岩戸開き、要するに昼間の世界になるという事は二度目になるわけです。すると、あらゆる事が二度目になるのです。これは信者の人にもそういう事がよくあります。最初やった事がいけなくて、それからやり替えたりして、二度目の形をとるのです。私などは始終そうです。殆んど例外はないと言ってよいくらいです。だから今の御神体をそうするのも、二度目の型をとったわけではそういう人は沢山あるに違いないです。二度目が本当だというわけです。だから今度出来たメシヤ会館にしても、前には下の今の美術館の所に造るつもりだったのですが、あの時の大風でくずれたのです。今美術館の、上る道路を造っている所です。そういうようで、折角造ったのにくずれたので、それで上に変えたのです。その時も“ああ、やはり二度目だな”と思ってやったのです。だから何事にもそういう事があります。
「二度目になるのも決まっているわけでございますか」
決まっているという事もないが、二度目の型をとる事が多いのです。
「型をするのは御許しがいただけるわけでございますか」
型をすると言っても、人間の方でするという事は間違ってます。つまりそういう事がよくあるというわけです。一度目で済めば結構ですよ。
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「以前根室に居りました鈴木ノブというのが滋賀県の大津に参っており、それに変な事が起こりました」
その人は私も知ってますが、別に関係はないでしょう。
「私の方の信者になっておりまして、最近お軸から観音様が御現われになられ、いろいろ御教えがありましたが、“これは重大な事だから、花の咲く頃に明主様に御会いして申せ、私は忙がしいから帰る”と御帰りになられました由です。花の咲く頃というのは何時の頃かを伺いますと、四月頃との事でございます」
どういう事ですか。
「どういう事かは知りません」
御伺いというのは、私に会いたいというのですか。それなら今度京都に行くから丁度よいでしょう。
「どうぞ宜しく御願い申し上げます」
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「信者御奉斎の御神体に御無礼があった事につき、御詫びと御垂示を御願い申し上げます。相当に大きなクモが糞をかけ、御文字に三、四分の大きさについております。如何致しましたら宜しいでしょうか」
経師屋で洗ってもらってもよいし、それで工合が悪ければ新しく受け直せばよいです。
「大分以前に二、三人が一緒に光明如来様をいただき、同じ表装屋に出しましたが、その中の一人が、若し間違ってはいけないというので、御神体の裏の隅に墨で自分の名前を書き入れ、そのまま奉斎しておりましたが、最近それが申訳ないと御詫びに参っております。如何致しましたら宜しいでしょうか」
表装して見えませんか。
「表からは見えません」
裏からも見えないでしょう。そうしたら、その事を言えば、私が許せばよいのですから、それでよいです。
「光明如来様を奉斎致しておりましたが、大光明如来様を拝受致しましたので、光明如来様を信者に貸しておりました。最近大光明如来様の紙の白い方にお花のシミが出来たりし表装直しを致しますについて、前の光明如来様が帰っておりますので、これを奉斎致したいと思いますが、一旦人に貸したものをそのまま奉斎する事は如何でございましょうか」
それは構わないです。貸したものは返すのが当り前です。あげたものはいけませんが、貸したものならよいです。
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「二十六年十一月大光明如来様を御奉斎し、二十七年四月頃御文字に雨漏りのシミが出来、当時御伺いし焼却せよとの御言葉をいただき、焼却致しました。二十七年七月光明如来様を御奉斎の御許しをいただきましたが、その家は山陰で非常に湿気まして、昨年六月頃より御神体の御文字でない白い所に薄くシミが出て参り、本年になって濃くなって参りました」
その人は教師ですか。
「一信者でございます」
信仰に入ったのは何時ですか。
「二十五年頃と思います」
四月に焼却して三カ月の間御祀りしてなかったわけですが、そうすると信仰の方はボヤボヤしているのでしょう。そのためですね。
「本人は支部の方で御使いいただいております。兄の家で、兄夫婦が居ります。弟が拝受致しまして……」
本人は何処かの支部に泊りきりになっていて、奉斎してある所には、住んでいる人は兄さんですか。
「さようでございます」
それでは全然意味がないではないですか。
「兄さん夫婦も入信しております」
兄さん夫婦も御神体を御受けしているのですか。
「いいえ」
兄さん夫婦が御受けして拝むのが本当でしょう。それを、弟が奉斎して、他に行ってしまっているのでは、空ッポです。つまり「神は順序なり」で、順序が正しくなければいけないのです。肝腎な兄貴が御受けしないで、弟がというのは変です。そういうものなのです。
「それは早速お巻きしまして」
それは文字にはないのでしょう。だからそれは経師屋で落してもらって表装をやり替えて、今度弟が御祀りするようになったら、その時にこっちに御浄めに持って来なさい。浄めてあげます。それから奉斎するのです。
「兄さんの御神体奉斎」
それはそっちの勝手です。拝みたければ奉斎するし、嫌ならよせばよいです。
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「支部の信者で、支部の御神前と自分の住居が違い、住居に光明如来様を奉斎しておりましたが、今年の春“如”の字に壁土のようなシミのようなものがあり、早速経師屋に出したところ、どう間違えたのかナイフのけずり跡をつけており、気になりますので、本日御持ちしました」
自分の家の御祀りは何時ですか。
「初めは支部と自宅と同じにしておりましたが、自宅には去年でございます」
支部は何時出来たのですか。
「二十五年頃でございます」
それまでは自分の家が支部になっていたのですね。
「さようでございます」
それで、支部が新しく出来て、支部にお移ししたわけですか。そうすると支部の方は新しく受けた御神体ですか。
「その当時は個人として受けた大光明如来様です」
では、持って来ていれば見てあげます。
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「夏になりますと戸を開けますが、風が強い場合には御神体が動きますので、下を白い糸でつけて宜しいでしょうか」
よいです。その場合は糸を横に張った方が確かです。
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「信者の柔道の道場で、普通鹿島、香取の軸でございますが、光明如来様の御神体を奉斎致しまして宜しいでしょうか」
よいです。柔道といっても、昔は武術に使ったが、あれは大いに体を錬(ネ)るためにやるのだから、平和的の意味です。おまけに柔道は、私もやった事があるが、人を殺(アヤ)めるというのではなくて、防禦です。暴力に対する一つの防禦だから、当然の事です。ところが、柔道は身を守る護身術という事になってますが、それを喧嘩の道具にするというのですから間違ってます。喧嘩の道具も、先からやって来れば、自分を擁護しなければならないから、それは仕方がないので、大いに擁護してよいですが、それが反対になって、あいつはシャクに障るからやっつけてやれという事になると、それは防禦の範囲を越えるからいけないのです。そういう事は柔道の先生はよく言いますが、それを若い連中はなかなか守れないです。
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「信者の親戚のために御屏風観音様をいただいて帰り、届ける前に自分の家の御神前に三方にのせて安置して」
それはおかしいです。いただいて直ぐに先方にあげないのですか。
「熊本と天草でございまして、その日に行けなかったのでございます。それで紙に包んで三方にのせて安置し、明くる朝見ますと、猫が上り足跡をつけておりました。如何致したら宜しいでしょうか」
それは御祀りする本人が行くのが本当なのです。親戚と言ったところで、信者ですか。
「信者ではございません」
それはとんでもない話です。信者にならなければ御屏風観音様は御祀りしてはいけないのです。それで猫がそうしたのです。猫によく礼を言っておくとよいです。何か薬かおまじないのように思って親戚の者にやるというのは、とんでもない間違いです。
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「神様の事につきまして、本日も御言葉がありましたが、最近霊的な現象がいろいろ出て来ており、信者として神様の事も御伺い致したいのでございますが、非常に難かしい事でもありますので遠慮致しておりましたが、二つほど御伺い申し上げます。伊弉諾尊、国常立尊、伊都能売神、天照大御神、明主様との御関連と、主神が邪神を御使いになっており、御神業に何かと邪魔をするという事との御関連を」
邪魔をすると言うが、それは見方によるのです。本当は邪魔ではないので、必要なのです。つまり浄化作用の一種なので、その人に穢れがあるから、穢れを取るにはその人を苦しめなければならない。それから時期があるから、その時期を延ばすために邪神が邪魔するのです。ですから今言ったとおり、正邪両方を主神が作ったのですが、邪というものも必要なのです。邪というのは、邪魔したりする事ですが、その人を磨くにはそういう事も必要なのです。或る期間は邪だが、イクオール正なのです。
「明主様の意向に邪魔する邪神というのは、表面的にはあるような形の場合と、そうでない場合と」
邪魔しているという事はどうして分りますか。
「何かと御神業に差障りがあるという事でございます」
どうして差障る又は差障らないという判断が分りますか。
「それは分りません」
あなたの目には邪魔するように見えるが、神様の方ではそれでよいのです。だから人間の小智小才で判断して“あれが悪い”とか“これが悪い”とか言うが、実は御自分の方が悪いのです。例えば“医者というのはけしからん。病人を作り、人を死なせる。病気を治らないようにしている。詐欺だ、けしからん”と言うが、医者がそうだから救世教が発展するのです。若し医者がそうでなかったら、救世教の信者は一人もできないです。そうすると医者は大変な役をしているわけです。だから医者がそうして病気を作っている事は、神様の方からは必要があるのです。それはいずれ説きますが、今はまだ早いから言わないのです。ですから人間が、善いとか悪いと言う事はできるが、結論は人間ではつかないのです。“あいつは悪い、お邪魔している”という事も、それは確かに邪魔しているから、邪魔しているという事を言うのは差支えないです。しかし“だからあいつはやっつけなければならない”という事はいけないのです。というのは、若しやっつけなければならないものなら、神様がやっつけるのです。“あれは邪魔しているようだが、やっぱり神様の方で御都合があるのだろう”として、善いとか悪いとか決める事はいけないのです。
「例えてみれば、三大新聞が広告をとらないという事は、邪魔しているのではございませんでしょうか」
邪魔しているのです。だからけしからんのです。しかし憎む事はできないのです。案外それがよかったという時節が来るのです。あなた方でもそうでしょう。“あいつはひどい奴だ。あんな事をやった”というが、何年かたってから、“あれでよかった、あのためにこうなった”という事があります。人間は甚だ安直なので、じきに決めるのです。決めるのはよいが、或る程度で止めればよいが、どうしても“やっつけてしまえ”とかという事が間違ってしまうのです。私は言うのです。今原子爆弾を嫌っていろいろ言うが、日本人は原子爆弾に対して大いに感謝しなければならない、と。あのくらい感謝しなければならないものはないのです。何故なら、あれが広島、長崎にドカンと来たので戦争が済んだので、そうでなければ日本の都市という都市はあれで壊されてしまいます。なにしろあの当時、軍人は非常に執着が強くて、どこまでも戦争を続けるという決心であったのですが、原子爆弾によって“これはもう敵わない、手をあげる”という決心が決まったのですから、あの戦争を打切りにした力は原子爆弾です。だから広島、長崎で済んだわけですが、そうでなかったら他の都市も全部壊されるのです。と共に人間も殺されるのです。それを救ったのは原子爆弾です。これは神様の方から私は分ったのですが、原子爆弾は神様が作ったのです。あれは悪魔が作ったように思いますが、そうではないので、神様が作ったのです。これも今に“なるほど”という事が分ります。だから主神がいろいろな経綸をされているのは、とても人間などの判断で分るものではないです。実に深い、大きな、大変なものです。だからお筆先に「神界の事が分らぬと言う人は分りたのであるぞよ」とありますが、それほど分らないものです。だから人間が、善いとか、悪いとか、善とか悪とか、いろいろ決めるという事は、実にごく薄ッペラなものです。だから多く、逆が多いです。
救世教を発展させているのは医学なのです。医者が病人を作り治さないようにしているから、救世教というものが有難いものになっているのです。医者の方でそんな事をしないで、病人を片っ端しから治してしまえば、病人はなくなってしまいますから(その代り医者もなくなってしまいます)そうすれば救世教の出る隙もなくなってしまいます。神様は医学とか薬という、そういった間違ったものを作り、病人を作り、人間を苦しめるというその事が又非常に必要な意味があるのです。医学や薬で人間を弱らしているが、又一つには素晴しい、よい事があるのです。それはまだ時期が早いから言わないが、それが分っては、ちょっと工合が悪い事があるのです。又自然農法にしても、肥料が良いとして米の不足やいろんな事をしたという事は、神様としてはまるで無慈悲なように思うが、ところがやっぱりそれが大変な必要があったわけです。だから本当の深い意味というものは、今までに説いた人もないし、又そういう事が今までは知れてはいけなかったし、やっぱり時期が来て、そういう事を知らせなければならない時期が来たわけです。それを知らせる役が私なのです。
「神様の事でございますが、明主様の御分霊がその時代にそういうように御現われになられたものと解して宜しゅうございましょうか」
そう思ってもよいです。だから大変な時期が来たわけです。さっき読んだ中に“今度が本当の紀元節だ”という事がありましたが、まあそういうものです。世界の紀元節です。二月十一日は日本の紀元節だったが、今度は世界の紀元節です。そこで今までの間違った事を訂正して、今度は一段世界が違うわけです。だから救世教の信者になった人は、とに角先覚者というわけです。
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「教会の御神前の隣の部屋に個人の仏壇がありますが、何んとなく個人のものと公の教会との調和がとれないように思われます。不断朝夕礼拝しますが、その間は、押入のような所などですと、閉めておいて宜しいものでしょうか。或いは開けておくべきものでしょうか」
それは開けても閉めても大した事はないのです。その部屋の状態からいろんな工合によって、開けておいてよい場合は開けて、閉めた方がよいという場合には閉めてよいです。例えてみれば、その部屋で何か仕事をしてホコリをたてるとか、いろいろ部屋を乱すという時には閉めておいた方がよいです。それから人が出入りをしないで静かな時には開けておいてよいです。それから教会の場合には今のと違うのです。教会の場合は御先祖様は次の間がよいです。一緒ではいけないのです。けれども、そうはいっても、一間しかなくてどうしてもそういう事ができない場合にはしかたがないです。そういう場合には、あんまりスソでも御祖霊さんに悪いし、そうかといって神様にあんまり接近しては、どうも恰好が悪いという場合には、それ相当の部屋の位置を決めるのです。
「そのような場合に、御浄霊とか研究会をする時には閉めておいて差支えないものでございましょうか」
そういう場合には閉めた方がよいのです。御祖霊さんには関係ないのですから、遠慮しているべきですから、閉めた方がよいです。
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「子供の時から両性であり、男性の方が非常に劣性であったので結婚して奥さんになっておりますが、最近男性の方がだんだん大きくなり、困っております」
それは困りますね。私にもちょっと分りそうもないです。
「現在のところでは夫婦生活には大して邪魔にならないそうですが、夫婦で心配しておりますので」
それは信仰に入ってますか。
「信者でございます。どういう因縁でございましょうか」
無論前の世の事で、前の世の罪です。つまり「オチゴ」というのがありますが、そういう罪でしょう。あれは男のくせに女の役をするのだから、そうなるのでしょう。それが霊界で浄化されない内に生まれ変って来るのです。そういうわけです。それが信仰に入って居るなら、そのまま放っておけば、最後に、どっちにすべきかというところで、罪が消えて来ますから、その人としては一番よい。不仕合せがなくなって来て、仕合せになって来るわけです。今どうこうという事は考えないで、そのままにして推移を見ているという事がよいでしょう。特に戦国時代にはそういう事が非常に激しかったのです。しかし今でも、盛んというまではないが、相当あるようです。そういうのは、ひどいのは男でありながら女が絶対に嫌いなのです。女に側に寄られても気持が悪いのです。男でいて男が好きなのです。これはやっぱり前の世の関係です。それは女などで“女ぐらいつまらないものはない。この次の世には男に生まれ変って来て、やりたい事をしたい”というのがよくあります。又中には、男でありながら(男の方は少ないが)“女の方が気楽でよい、だからこの次には女に生まれて来たい”という男もあります。そういう想念が強いと、そう生まれ変って来るのです。ところが肉体の方はそうではないから、そこで肉体と符合しない場合があるのです。男に生まれ変って来ても同性愛、女でも同性愛と、そういう事があるのです。そして、そういう事は割合に数が多いようです。なにしろ事柄が事柄だけに、お互いにみんな秘密にしているから、それほどは知れてないようですが……。そういうのは男の方では“女ぐらい不潔なものはない”と言うし、又女の同性者の方では“男ぐらい下等なものはない、あんな獣みたいな”と言うわけです。
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「信者の長男(十三歳)生まれながらにして睾丸が片方しかありませんでしたが、入信して浄霊をいただくようになってから、豆粒ぐらいのものが出来て来て、現在半分ぐらいになっております」
それは大きくなります。普通になります。それはやっぱり前の世で、片方の睾丸がつぶれて死んだものです。或いは爆発物で取れたとか、切られて死んだものが、治らない内に生まれ変って来たのです。しかし元々はあったものですから、そういうふうに回復して来るわけです。
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「婦人の信徒(四十八歳)二十三日より心臓の浄化、動悸激しく圧迫感、悪寒あり、それが終ると高熱があり、一週間続き、次に就寝中に圧迫され、呼吸困難が一週間、次に胃の浄化が一週間続き、入信前飲んでいた胃散を吐き、次に頭部の浄化が一週間、次に腹膜と月経痛が一週間と、計五週間の浄化が続き、又心臓の浄化となっておりますが、生卵、水を欲しがり、舌を出しており、龍神のような恰好でございます」
そうです。蛇です。
「以前は祝詞を奏げると楽になりましたが、近頃は善言讃詞に変っておりますが、どういう訳でございましょうか」
それは霊の方の気持で、霊が好むのですから仕方がないです。客観的にどうとは言えないです。それから、その人は龍神であり、心臓がどうとか何処がどうという事は、薬毒が固まっているのが順繰りに浄化されるのです。
「平均浄化でございましょうか」
そうです。それから生卵が好きなのは、蛇の時に鶏小屋を狙ってはやっていたそのためです。気長にやればすっかり治ります。それから舌を出すのも治ります。つまりまだ人間になりきれないのです。つまり蛇であったのが人間に生まれ変って、蛇であった時の性能がまだ抜けきらないのです。これは気長にやれば、だんだん蛇の性能がなくなって来ます。
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「資格者でございますが、昨年五月御神前掃除の最中大光明様の御守の紐が切れているのに気づかず、蒲団を叩いている時ワイシャツの袖から屋根に落ち、大光明如来様を通じて御詫び申し上げました。尚自分で気がつきました点としては、御守様に対する想念が徹底してなかった事、又袋が汚れているのに取替えなかった事、最近になって明主様に直接に御詫びしてない、という事が気になりましたそうです。考えてみますと、御守様に御無礼があった頃から、布教の方も行詰まって来ております。御詫びと共に、今後如何致しましたら宜しゅうございましょうか」
御守は浄めてあげます。
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「墓につきまして、個人名前の墓が幾つかあり、先祖代々の墓がありませんが」
個人名前というのは戒名ではないのですか。
「個人に作った墓で、特に良かった時代に立派なのを作ってあります場合に、それを先祖代々のに替える事は……石をけずりまして」
それはよいです。早くやった方がよいです。それは非常に間違ってます。自分達ばかり救われて、先祖はないがしろにしているという事は大変間違ってます。先祖だけは個人のよりか大きい墓でなければいけないのです。さもなければ真中を先祖代々にして、そこに個人を並べて、それでもよいです。
「そういう場合に、小さい雑なのがありますが、整理して宜しいものでしょうか」
やり直してよいです。
「整理して祖先の中に入れまして宜しいでしょうか」
古い、少なくとも百年ぐらいたったものは先祖に入れてよいですが、そうでないのは、そうしてはいけないです。それから子供の墓はずっと小さくてよいです。それで大人の方は石に切りつければよいです。その順序を間違えないようにしなければならないです。
「普通の家では、先祖代々のがあり、あと墓石は別に作りませんが」
それでよいです。それも墓地の狭い広いで判断するのです。若し広いとすれば新しい仏は祀ってやらなければならないです。それも臨機応変に常識で考えていって、丁度よいというやり方でやるわけです。お寺参りに行く時には、御先祖は挨拶に出て来るのですから、その時にあんまり墓がひどかったり、もっとできるにかかわらず人間の怠慢でしないと、御先祖は面白くないから、“こいつはひどい奴だ、時々灸をすえてやれ”というので、御先祖が災難を与えたり、病気にさせたり、そういう事があります。ですから思いもつかない、お寺参りに行った帰りに電車が衝突したりという事があるのです。だからこれはやっぱり人間界と同じで、できる身分でやらないという事や、又その人の境遇やいろいろに合わないという事は、御先祖としても面白くないのです。又御先祖の中にも、怒リッポイのとそうでないのがありますが、怒リッポイのはお気付けとかそういう事があります。
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「山形の市内の在、村落に多いようですが、子供の脱臼が毎日何十人とあるそうでございます」
脱臼というのは腰が立たなくなるのですが、普通は滅多にないです。何処かにぶつけるのが原因ですが、それは自然になるのですか。
「自然にだそうでございます。二つか三つぐらいの子供で、霊的ではないかと思われます」
そういうのは、鉱山か何かで落盤でもして一度に大勢死んで、腰なら腰を打って死んでしまうと、そういう霊が救われないと、救われたいために子供に憑って来るのです。浄霊すれば訳なく治ります。そういう場合に、押しつぶされて死んだりすると、直ぐには憑れないのです。或る期間地獄に居て苦しんで、或る時にゆくと許されるのです。とに角地獄から娑婆まで行ける事になるのです。そうすると、そういうのは早く助けてもらいたいというので子供に憑るのです。
話は違うが、箱根の美術館は今日から開館ですが、時間が間に合わないから、まだ誰も行ってないでしょう。去年と余程違っているわけです。
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「美術に関しまして、今まで飛鳥、白鳳、天平については御教えいただいてますが、弘仁、貞観時代につきましてはまだ御教えがありませんが、今度奈良に御出ましになられますについて、奈良の博物館で弘仁と貞観時代の国宝の展覧会がございます。あの時代の美術というのは主に仏教でございますが」
仏教です。
「仏像なども豊満な感じが致しますが」
割合に単純です。藤原の前だから、一時奈良朝仏は随分精巧になって来たが、弘仁に来てずっと型が単純になったのです。それから藤原になって又少し巧妙になって、それから鎌倉にいってずっと巧妙になったのです。だから弘仁は代り目です。しかしあんまり良い物が出来なかったです。
「去年の新薬師寺の本尊が貞観の代表作とかでございます」
そうでしょう。藤原の代表としては、何時か行った平等院の大仏さんです。あれは藤原の彫刻としては代表的なものです。
「明治時代に平等院の模型を作った人があり、三千万円で天理教に持って行って断わられたそうです」
天理教では仏教は駄目です。
「次には救世教に持って行くと言っております」
持って来ても、安ければよいです。仏は買手がないのです。私は仏は半分と、大抵そうなります。これは買手の多い少ないで相場が決まるのです。お寺では金が要るし、売れなければしようがないというわけです。
「それは模型でございます」
それなら尚安いです。模型というものは又安いものです。前に日光の模型といって、実際よく出来てました。かなり大きく出来てました。あの当時百万円とか言ってました。本当のとおりに出来ており、日光の御霊屋も大名行列もすっかりついているのです。だからすっかり並べると二間か三間になります。それからお宮も本当のとおりにやってありました。それでも買う気にはなれないです。一つの見世物ですから美術館には出せないです。今の平等院のそれも、美術館には出せないです。やはり一種の見世物です。それで、そういった美術品の良い物が安い代りに、茶の湯の茶碗などは、泥なのですが、それが何百万円といって売れるのです。
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「蒔絵というのは漆の上でなくても出来るものでしょうか」
蒔絵は漆よりしようがないです。
「尾形光琳が追放された時の事で、竹の皮に蒔絵を画いて、云々という事がございますが」
それは無論漆です。竹の皮に漆をしてやったのです。
「そんな贅沢をしていたものでございましょうか」
これは伝説になってますが、あの当時舟でお花見に行く人が贅沢を競っていたのです。それで光琳は“癪に障る、よし一つ人が出来ない事をしてやろう”というので、蒔絵がやれるため、竹の皮に蒔絵をして、それにおすしか何かを包んで、そうして舟が沢山出ている所で食べて、皮を捨てたのです。それで喫驚したのです。これは賀茂川の花見の最中の事です。それが当時の町奉行に知れて、金を使ってなければよいが、金を使ってあるので、金を使っているのはけしからんと言われ、京都をおかまいになって江戸に追放されたのです。四年間深川の大工の所に食客になっていたのです。その時に作ったのもあります。ですから江戸に元からある物はその時に作ったのです。それで相当な有力者が歎願して許されて、又京都に帰ったのです。東京に光琳が居る時に、それを慕って乾山が来たのです。それで乾山は下谷の根岸に住んで、窯を作りやったので、乾山には江戸で作ったのと京都で作ったのがあります。乾山もあれだけの名人だから大騒ぎをされて、京都に帰りたくなくなったので、だんだんやって、今は何代目かで、乾也という人です。それでイギリスのバーナード・リーチが乾也の弟子になって、要するに乾山風の陶器を習って、向うで焼いて、日本でも相当焼いてます。なかなか上手です。それでリーチが、私の所に乾山があるというので、是非見たいと申し込んで来てます。バーナード・リーチと、柳宗悦と、もう一人の、三人が是非見たいというので、美術館を開いたら五月あたりに来てよいという事に返事をしてあります。そのバーナード・リーチは乾山崇拝なのです。そのために日本で習ったのです。あれはイギリスの陶芸家です。そういうようで、光琳が追放されたという事により、乾山という名人が江戸に来る事になったという事も、やっぱり一つの功績です。乾山の陶器というのは大体江戸趣味です。仁清の方は京都趣味です。ですから乾山の方が渋いです。江戸芸術の香りが非常にあるわけです。前に乾也というのがカンザシを作って、明治十四年に乾也の玉と言って流行ったものです。
それから、今度の桃山展で光悦の硯筥が出てます。樵の図です。これは、桃山の一番の芸術家は光悦ですが、光悦の一番の傑作が樵の蒔絵の硯筥です。光悦の硯筥には二つあるのですが、樵と、博物館にある舟橋です。この二つの内で、私の方が少し古くなって、破損ではないが剥げた所があるのです。舟橋の方がきれいではあるが、樵の方が本当に傑作なのです。それが手に入ったのです。それで丁度桃山展に第一番の物として、そのつもりでいたのです。それは素晴しい物です。これを一つ見るだけに、それこそ大阪や京都から出て来てもよいです。知っている人はそういう人もあります。
(垂三十号 昭和二十九年四月十五日)