茲で特筆すべき事が起った。それはM氏とK氏との両氏から調べられた時の事である。此時は主にM氏が訊問に当ったが、昭和二十三年十一月八日に始まった脱税問題に対する運動費の件が主であった。私は全然記憶にないから答える事が出来ないと言うと、M氏はどうしても承知しない。例の記憶を呼び起せを繰返すのである。彼は時々用事の為席を外すが少時にして戻り『まだ記憶を呼び起せねえか』と催促する。私は例の如く捏造答弁をするが、何しろ数字の問題なので丸きり桁が違うとか、問題にならぬとか言っては撥ね返されて了ふ。彼は言う、『斯んな判り切った問題が記憶を呼び起せねえなんて事はあるもんか、正直に言えば何でもねえのに曲げて言はうとするから暇が掛かるんだ』などというので、私は腹が立って仕方がない。私は曲げたり嘘を言ったりする考えは毛頭ない。私も宗教家である以上、常に信徒に対って虚言を最も戒めてゐるにみて、自分から嘘を言う筈がないではないか、第一神様に対しても嘘偽りを言う事は出来ないと説明するが何の反響もない。丸で石地蔵に物を言ってるやうなものだ。然し彼は相変らず記憶を呼び起せの一点張りである。訊問が数字なので作為は実に困難だ。
私は焦慮、煩悶、憤怒、絶望等の感情が交錯し、頭脳は困難の極に達した。グラグラと周囲一面大きな渦巻となった。烈しい眩暈が起り、視覚はなくなり、意識は朦朧として気が狂ひそうだと思う一瞬、人事不省となって其場に昏倒して了った。幸ひ一、二分にして気がついたが、烈しい眩暈は耐えられない程で、嘔吐さえ催すのである。仕方なく彼等も取調べを止めた。一時間余経ってどうやら起上る事が出来たので、杖に縋って漸く留置所内に辿り入る事が出来た。入るや其刹那、留置所が天国のやうに思えた。普通ならアノ窓の小さな、薄暗い鉄の牢屋格子が嵌められてゐる留置所など想うさえゾッとするのに、それが天国に思えたのは如何に取調べが恐しかったかが判るであらう。すると数時間経った頃勾留後十日目の今日初めて弁護士が面会に来た、尤も最初から接見禁止であったからである。私がフラフラしてゐて顔色が悪いので質ねられたから、先刻昏倒した事など話すと、兎も角医師に診て貰ひなさいと言うので私も承知した。間もなく警察医が来て診断を受けたが、脳神経衰弱との事であった。
茲で特に言ひたい事は、勾留十日以上に及ぶと非常に衰弱するものである。何しろ食欲減退、運動不足、生活の激変、環境の不快感、取調べの苛烈による精神的苦悩等々、馴れないものは、誰しも極度の神経衰弱に陥って了うそうである。而も私は数え年六十九歳の高齢であり、平素から不自由のない生活をしてゐるので、弱り方も特に甚しいのである。
翌日、午後になって半分位恢復した時、再び呼び出され、取調べを受けたが此時は先方も加減したせいか、どうやら無事に済んだのである。処が其翌日は一層恢復したので呼び出され訊問を受けたが、此時又々一昨日の運動費の件が蒸し返された。私はまだ記憶は呼び起せないと言うと、彼等は承知せず相変らず記憶呼び起せの一点張りで責め立てる。余りの執拗さに私は憤怒、懊悩、焦慮などの感情が勃発しようとするのを一生懸命抑へつけやうとした。すると苦悩困惑は頭の中で又渦を巻き始めた。俄然一昨日通りの無意識となり昏倒してしまった。寧ろ前回よりもひどかった位である。気がついてから身体が痺れたやうで、立とうとするとどうしても立てない。一時間余経て漸く立つ事だけは出来たが歩行する事が出来ない。するとM氏は見兼ねて私を背負ひ、留置所内迄運んでくれたが、背負われ乍ら私は思はず叫んだ、『之は頭脳の拷問だ』と言った。拷問の言葉に彼等はギョッとしたらしい。
それ以来眩暈は一層甚しくなり、一寸何か考えようとするとグラグラとする私は確かに頭脳のどこかが壊れたやうな気がする。之は大変だ、といふのは、若し今一度例の運動費問題で攻められるとしたら、今度は完全に頭脳は破壊されて了ふだらう。其結果、発狂か痴呆症かどちらかは免れまい。或は一生涯廃人同様になるかも知れないといふ無気味な予感が襲って来て仕方がない。そこで翌日は取調べに呼び出されたが私は拒否したのである。と言ってグズグズしても居られない。一刻も早く取調べが済まなければ出る事が出来ないからである。絶体絶命とは之である。
すると天の助けか浮び出たのが昔旺んに行った事のある交霊術である。そうだ之より外に此難関を切抜ける手段はあり得ない。処で此難関の焦点は金銭の問題である。それは渋井哲夫氏が殆んど担当してゐたので同氏が詳しく知ってゐる筈だ。だから同氏の霊を呼び寄せればいいと思ひ、夜の静寂を機とし先づ哲夫氏の霊を呼び出して試みてみた。此様な霊術は昔から行者などがよくやる方法であるが、霊的智識の皆無な第三者には判りようがないので、認識させる事は絶対不可能である。然し兎も角霊から聞いてみると、スラスラと私の口から出てくるので、数字などもハッキリしたやうだ。寧ろ詳しすぎた位である。
(法難手記 昭和二十五年十月三十日)