病気の原因は、霊体の曇りであり、曇りの原因は罪穢であるといふ事は、各項に於て述べた通りであるが、今一つ、茲に、科学的に電子説を藉りて述べる事にする。凡ゆる物質は、陰電子と陽電子、即ちミクルトンとエレクトンとの両電子の運動に由って原子が生れ、その原子の集合体が分子であり、それが物質の原素であるといふ所迄は、科学に依って明らかになったのであるが、此病気の元素も同一の理に依って説明が出来るのである。某ドクトルが、万病はすべて梅毒が原因であるといふ説を称えてゐるが、是等も一理あるのである。
抑々、病気一切は、霊の方面から言へば、曇であり、体の方面から言へば膿である。今、霊の方面より述べんに、電子説が称える陽電子エレクトン一個へ対し、陰電子ミクルトンが八つの数を以て、非常な速度で、左進右退しつつ廻転してをるといふのであるが、それは、全く事実であって、凡ゆる森羅万象は、結成の場合の活動は左進右退であり、解体のそれは右進左退である。此理を以て、光のリズムは左進右退にして、暗黒のそれは右進左退である。善は左進右退にして、悪は右進左退である。太陽の光は、熱にして左進右退であり、月光は冷にして、右進左退である。故に、森羅万象は左進右退と右進左退との、交互錯綜に依って明暗熱冷、陽陰、火水、男女、其他、凡ゆる形体が結成と解体、創造と破壊を繰返されつつ、進化しつつあるのである。
爰に、霊体の一部に、曇が生ずるとする。霊体全部は左進右退に係はらず、曇の部分は右進左退のリズムに変化するのである。即ち、右進左退は破壊であり、暗黒であるから、その部分は潰滅運動を起すのである。言ひ換へれば、一部分が潰(ツイ)えの道程を辿り始めるのである。それが、全身的に拡充されたる暁が死である。故に、曇が部分的の時に、霊光に照らされれば、容易に潰滅して、健康は恢復するのである。此曇にも、濃淡、種別、形状の、千差万別あるは勿論である。恰度、大空に漂ふ雲の変化と、或意味に於て、同じ点もあるのである。
次に、体的方面を説かんに、曇の物質化は膿である。此膿は、恰度、物質を形成する電子でもあるが、唯違ふのは、電子は左進右退に由って、無から有を生ずるに反し、之は、有を無に変ぜしむるのである。人体を構成してゐる物質は有である。其筋肉臓器骨等を無に還元する処の右進左退の破壊作用が行はれるのである。即ち、膿其物は、肉体を潰溶すべき性能の物質である。それは、霊体の曇の右進左退に追随するのであるから、病気治癒の原則は、霊体の曇の解消より外には、断じて無いのである。序に曰はんに、曇の根元は、度々言ふ通り、罪穢であるから、其罪穢なるものは悪であり、悪は、右進左退のリズムであるから、相応の理に由って、終局に於て、其儘のリズムが、病気となって現はるるのである。
故に、膿にも、各種の段階があって、稀薄にして、弱勢なる物は普通の膿であるが、それが濃度を益す場合、結核であり、一層濃度を増し、頑固性になった物が癌である。併し、之は、別の方面から言はなければ徹底しないのである。即ち、膿の弱勢といふ事は、肉体の方の活力の強い為であり、膿の強性となるのは、肉体の活力が衰へてゐる訳になる。此理を以て、最初、弱性であった膿も、永い病気の裡に、肉体の衰弱を来し、終に強性に変化するといふ事が少くないのである。此理を、医家は知らざるが故、腫物の発生するや其腫物を散らさんと、氷で冷し、又は、散らす性能の薬剤塗布を行ふのである。然るに、之が恐るべき誤法にして、折角、自然に腫れて、膿汁が排出すれば、容易に治癒すべき腫物を、此誤法の結果、腫るる機会を失ふを以て、其膿汁は、他の方面を求めて腫るるのである。斯の如くなれば、其腫物は、大抵の場合、数ケ所に現はるるのである。然るに、此際は、患者は、相当の衰弱状態になるを以て、膿汁を出す程に腫るる勢なく、荏苒(ジンゼン)日を経るに従ひ、漸次、衰弱の度を増し、生命を失ふ迄に到るのである。
斯の如く薬剤の如何に恐るべきかを説いたのである。故に人間の肉体的に絶対薬剤を入れざれば、血液は純潔なるを以て頗る健康を保持さるるのである。私の説を聴いて覚醒し薬剤から全く離れたる人が時日の経るに従ひ年々健康を増進する事実は例外がないといっても宜いのである。百の理論よりも一の事実に如かず。国民の保健上到底黙視する事は出来ないのである。若し統計が作られるならば、結核よりも伝染病よりも、此薬剤中毒の為に仆れる者の数の方が幾層倍多い事であらう事は私は断言し得らるるのである。
(日本医術講義録 昭和十年)
十二、 万病一元論
日本医術講義録