十一、 薬剤中毒

病気が、薬剤に依って治癒するものと一般は思ってゐるが、之が大変な謬りである。薬剤なる物の力は、苦痛を緩和させる丈の働きである。然るに実際の治癒から言へば、前項に述べたる如く、苦痛其物が病気治療の工作であるから、その苦痛を緩和するといふ事は治病の延期になる訳である。而もそれのみではない。苦痛を緩和した、薬剤その物は、血液中に混入するのである。元来、血液は、絶対的純潔を保たなければならない性質のものであって、人間は血液さへ純潔ならば、黴菌に対する殺菌力の強烈なるは之も、前項に述べた通りであるから、病魔には襲はれないのである。又血液純潔ならば、其人は外界に対する抵抗力が強きを以て、冬の寒さも、夏の暑さにも、割合耐え易く、常に朗らかにして、元気旺盛なのである。

現在非常に多い、神経衰弱等は、血液の溷濁(コンダク)が原因である。夫等の多くは、肉食及び薬剤服用、注射等の為が頗る多いのである。私が永い経験上、何年も薬剤を服用し、又は頻繁なる注射をなしたる人の皮膚をみれば能く判るのである。一見するに、皮膚は黄色を帯び、光沢なく、弾力も無く、三四十にして、已に老人の皮膚の如くである。斯の如き人は、常に憂欝にして元気なく、之と言ふ病気が無いに不拘、何となく優れず、随而、年が年中、薬餌に親しむといふ具合で、本人は飽迄、薬に依らざれば、健康は回復しないものと、信じ切ってゐるから、彼方此方の病院を彷ひ、又は種々の薬剤を物色しつゝ、年を経る毎に、漸次、衰弱の度を増し、終には、生命を失ふ迄に到るのである。嗚呼、斯の如き薬剤中毒者が、年々増加の傾向を認むるに於ては、結核や伝染病よりも恐るべきものがあるのであって、而も、何人も之に気が付かないといふに於ては、人類社会の大問題である。私は斯ういふ患者へ対して、薬剤中毒の如何に恐るべきかを教えるのである。幸にもそれを信じ、実行する人は、時日の経るに従ひ、薬剤中毒の自然消滅によって血行の循環は良くなり、胃腸は活力を益し、全体的健康は増進して来るのである。

特に注意すべきは、小児の発育不良、慢性下痢等である。是等は殆んど、薬剤中毒である事は勿論、も一つ恐るべき事は、嬰児の発育停止である。折々見る所であるが、非常に発育が悪く一年を経ても、歯が生えないとか、目方が増えないとか、殆んど発育停止の状態なのがある。此原因は医師に判らないといふ事をよく聞くが、私の診断では、矢張り、薬剤中毒である。生後間もない嬰児には、乳以外他の何物も不可なのである故に、薬剤服用が非常な悪作用をするのである。故に、そういふ嬰児に、薬剤使用を禁止するに於て、漸く普通の発育状態に還るにみても間違ひのない事である。

次に、面白いのは、多く足部であるが、豆粒大若しくは、梅干大の腫物が、能く出来るのを見るであらふ。之は未だ誰も気が付かないが、実は、各種の予防注射が原因であるのである。それは、注射薬が、一旦、血液へ混入するや、時日の経るに従ひ、血液自体の、不断の浄化作用に由って、血液中の不純物は局部的に集中せらるるのである。そして、尚益々、浄化せらるるに於て、遂に膿汁と化するのである。その膿汁が外に出でんとする、それが、前述の腫物の発生になるのである。故に此場合は、自然に放置してをけば、膿汁は皮膚を破って排出され、自然に治癒するのであるが、此理を知らざる故に、驚いて医療を受ける、医師も気が付かないから切開をする、其時、無痛等の注射をするに依って、其注射薬が又、いづれは再び、膿汁となるから腫物が出来る、再び切ると言ふ様な事を繰返すのである。然るに、不幸なる患者は、医師の誤診の犠牲となり、最後に医師は再々の腫物に依って梅毒の疑を起し、駆梅療法を行ふのである。例の六百六号や、水銀療法等で、夫等薬物が又、時日を経るに従ひ、膿汁に変化する。斯ういふ膿汁又は汚血は、普通肩胛部、頸部に集注する性質がある。常に肩が凝り、首筋が凝り、頭痛がするといふ人は、そういふ原因から来たのが多いのである。斯ういふ患者が、偶々心配や過激に頭脳使用するに於て、精神朦朧となったり、頭痛眩暈等を起すのである。そうなると、医師の診断は、往々、脳梅毒と誤診するのである。脳梅毒と宣告された患者は、発狂の前提と思ひ、恐怖心を起し、職業を抛(ナゲウ)ち、廃人の如き生活を送るものさへあるのである。嗚呼、諸君、之は架空の話や小説ではない。

実際である。私が、観音力に依って知り得た、多数患者の病気の本源である。即ち、始め単なる一本の予防注射が、遂に、廃人同様の脳梅毒患者に迄されて了ふのである。何と悲惨なる事ではないか。斯く、私が述べる事は、余りにも不思議と思ふであらふ。然し、事実であるに於て致し方がないのである。是等の真実を社会に覚醒さする運動こそ、人類救済の、根本的、緊要事であり、政治経済以上の大問題である。

(日本医術講義録 昭和十年)