昭和二十七年十二月二十五日
【お伺】御教えに精神病、癲癇、その他霊憑りの者は御神前に休ませるとよいとの事でございましたが、主人夫婦が階下に寝て、病人である子弟が二階の御神前に休ませて頂いてもよろしいのでございましょうか。
右謹んで御伺い申し上げます。
【御垂示】普通の場合はいけないが、病人の場合は差支えない。
………………………………………………………………
昭和二十七年十二月二十五日
【お伺】謹んで御伺い申し上げます。
再縁せる女の信者の場合でございますが、自分の実家の先祖代々の位牌と、亡くなった主人の先祖代々の位牌及びその主人自身の位牌の順序をどの様にしたら宜しいのでございましょうか。御教えの程御願い申し上げます。
【御垂示】その主人の先祖が一で、主人が二でよろしい。
………………………………………………………………
昭和二十七年十二月二十五日
【お伺】御仏壇の御位牌の位置について御伺い申し上げます。分家した兄弟の位牌と、自分の子供の位牌の順序。又嫁入りした姉妹の位牌と自分の子供の位牌の順序を御伺い申し上げます。
【御垂示】両方共その家の子供の方が上でよい。理由はその家の家族は主であり、他の家は凡て従であるからである。
………………………………………………………………
昭和二十七年十二月二十五日
【お伺】私の親友故中川みつ子(釈恵啓信女)は、昭和二十三年十一月一日に二十一才にて死亡致しました。肺病の為感染するのを恐れてか、死亡致しました事を一切私達に知らせて下さいませんでしたが、一日午前三時に夢にて私が神社の鳥居を潜ろうとした折に魂にぶつかりました。振返ってみますと、その魂は中川さんの後姿でして、夢を見終って気がつきますと枕元が涙で濡れて居りましたが、その時はまだ変だなと思っただけでしたが、その翌日より毎晩十六日の朝迄「浅野さん寂しいから来て欲しいのに、今日も来てくれない、今日も来てくれない」と夢をみせますので十六日御徒町のお宅へ伺いました処、夢の通り一日に亡くなって居りました。このことによって私は霊の存在を知りました。その後一カ月位して午後九時頃床に入りますとすぐ枕元左側に薄黒く「ボーッ」としたものが立ちました。私は中川さんであることがすぐ分りました。中川「生前浅野さんに逢いたくてたまらなかったが、逢えずに別れてしまいこんな寂しいことはない」と申しますので私は良く言いきかせました処、喜んで帰りました。
(この頃天国の福音を拝読致して居りました)
余り良い処へ行ってないのだと思って居りました処、昭和二十三年十二月末の午後九時に床についてすぐ、左側に歴然と聖観音の御姿を拝しました。御姿は七分位にて天井にとどく位の大きさにてベールを冠って居られました。私の顔を見てだまって笑って居られました。私はびっくりすると共になんとも言えない陶酔感に打たれ、暫くして良く見ますと観音様は中川さんなのです。そして観音様は「何をその様に悲しむのか。悲しむことはない、必ず貴女の望み通り一週間後実現します」と申されて消えました。その後は何とも云えない良い気持でした。この頃私はお友達と洋裁店を開こうと思いまして母親に相談致しました処、反対されましたのであきらめて居りました。それが霊の通り実現致しました。この時側に寝て居ります妹二人は床の中へ入ったばかりでしたので話をして居りました。それより三カ月位して又同じ時刻に現れました。この時は第一回よりお姿からは一層強いお光が拝見致されました。そしてその時の言葉通り一週間後に私の有利なことが実現致しました。又私は好きで古流のお花も習って居りました。その時観音様は「お花をやるのもある時期まで許す」と申され「その時期は“カイトウ”を取るまでである」との御言葉でした。私は“カイトウ”とは何のことか分りませんでした。それから四カ月位して又同時刻に現れました。その折は第二回より更にお光が強く拝されました。この時も色々教えて下さいました。
昭和二十四年十月の或晩午前二時に目が覚め階下の御手洗へ行こうと起き上りましたが、なんとなくシンとしていて急にこわい様な気が致しましたので、床の上に坐り掛蒲団を肩にかけて居りました処(十分位)、欄間の所より何かヒラヒラ落ちて参りました(丁度昼間明るい所で空間のゴミが見える様に)。まわりはみな板戸を閉めて電燈は消してありますので見える筈がないのに、と思った瞬間、そのゴミの如きものは黄金色もまばゆい聖観音で、御身体より黄金の光りを長く引いてゆるやかに降りて参りまして、私の眼前で止りました(大きさは一寸八分位)。観音様「奇なる縁によりて汝の身体を私の永遠の安住の地と定める。よろしく肝に銘じよ」と申されまして私の咽喉に鎮座致しました。
私「入られたのは大変嬉しいが、咽喉の処に観音様の御姿が見えるのでは世間の人に笑われ、見世物にされてしまうので困る」と申しますと、
観音様「汝に見えても、他の者は霊眼開けぬ故見えぬから安心せよ」と申されると、私の目が開き御姿は見えませんでした。気がつきますと、まだ床の上に居りました。(私の感じました点は、各回とも御姿拝見までは目を開いて居りますが、会話中は目を閉じているらしくお話が終りますとパッと目があきます) 私は二十二年九月より上村さん(只今は信仰をやめて居ります)に毎日かかさず御浄霊を戴いて居りましたがお守様は拝受致して居りませんでした。中川さんに最後に逢った折(死ぬ一月前)お道のお話を致しました処大変喜んで「是非一日も早く御守様を戴いて多くの人を救って欲しい」と云われましたが、もしほんとに病気がなおせなかったら困る等考え、約束はしたものの一周忌を迎えてもまだお守様を戴かずに居りましたが、最早、神の存在を否定することは出来なくなりましたので、二十四年十一月二十八日お守様を拝受致しました。(これまでは神仏を拝んだことなどありませんでした)
教修後は地獄の霊が救って欲しいと二十名位参りました。又救われて霊界にてお光りを戴き、働いて居る霊が四名参りました。その他狐霊等も来て邪魔をしたりするので悲観して居りました処、中川さんのお母さん(生霊)が参りまして「この度みつ子が床の間の上に行かれる様になった。家でもお祀りして有るが是非浅野さんと栄子さん(お光拝受した友達)に祀って貰いたい」といって位牌を床の間に置き、「お宅に有難いお軸が有るから是非それを床の間に掛けてその脇に位牌を置いて欲しい」と云って帰りました。そう云うものは家には有りません。両親が理解有りませんので、七月十三日に御屏風観音様は御祀りさせて戴きましたが、御神体はまだ御祀り致して御座いません。その後すぐ中川さんが現われました。御姿はベールをぬいだ観音様でした。
中川「床の間に大光明如来様をお祀りしてお道の為もっと協力して下さい。そうすれば私は貴女のことを一生守護します」と申されました。それから二カ月位して地上天国の御神書を拝見致しまして驚きました。表紙のメシヤ観音と全く同じ御姿でした。その他大型トラックに二度ひかれる所を目前に御姿現れ、私をさえぎりましたので、すれすれの所を助かりました。この時もメシヤ観音の御姿でした。
二十七年八月十七日初めて箱根に御参拝の折、御神前を見てびっくり致しました。それは去年あと五年後には私の家がこうなるからと知らされました。私の家の御神前と同じだったからです。(その時は身魂が磨かれればもっと先のことを知らせるとのことでした)。ただ右側に有りました立像が夢の中では、メシヤ観音様でありまして、純金で出来て居りました(その観音様が中川さん)早速お参りを済ませ、更にびっくり致しましたことは、その立像の観音様が非常に喜ばれ、お笑になったと見るや私に霊波が感じられました。
「浅野さん私は長い間貴女の来るのを待っていました。今日こうして逢えたことは実に嬉しい。是非一切を捨ててお道の為に協力して下さい」と涙を流さんばかりに喜ばれました。この日は御明主様より御浄霊を戴きました際、御光を良く拝見させて戴きました。
又三年前に観音様が申されました通り、十月一日に古流家元より華務会頭に任ぜられました。そして最近も度々メシヤ観音様がお出ましになられまして「一年も二年も考えて居る場合ではない。時期が切迫して居るから早くすべてを投げ打って御神業に入りなさい」と申されました。すると今度は狐霊、狸、龍神等の邪神が無数に押寄せて参り「御神業に入れば取り殺してやる。最後迄邪魔してやる」と申します。
右に関しまして他の救われた霊等は人間と同じ姿ですが、中川さんのみはどうして観音様の御姿なので御座いましようか。天国にお救い戴きますと、観音様の様なお姿になれるので御座いましようか。それとも狐霊のいたづらで御座いましようか。何か観音様と御関係が有るので御座いましようか。
謹んで御伺い申し上げます。
【御垂示】中川さんは、元々聖観音の御魂であり、人間となって救いをされようとした処、誤れる医学の為に生命を失くしたので、貴女に自分の代りとなって、救世の業をして貰いたいので、色々不思議を見せたのだから一日も早く熱心な信者になって働きなさい。
………………………………………………………………
昭和二十七年十二月二十五日
【お伺】私の妻、定恵(五十三才未入信)本年春頃より食欲進まず、一日二、三回嘔吐(黄色い液)をなし、四月初めに医師の診断を受けました処、胃下垂と言われ服薬(水薬は大変強く畳の上等に附くと薄黒色に変色する薬)十日間程致しましたが良くならず、五月十九日に近くの病院に入院(一カ月)、その間新薬ナイトロミン注射四回、葡萄糖注射約三十回、輸血七回、リンゲル注射三回を致しましたが、余り効果なく食欲も余り進まず、時々嘔吐(黄色の液)をなし便通もなく、その為に浣腸(十数回)にて排便をして居りました。レントゲン写真の結果胃癌と診断され、手術をしても覚束無いとの事にて、病院を退院し自宅にて静養(退院後は油瀧大神の信仰にて小康を得ました)致し、食欲は少しずつ出る様になりました。八月に至り食欲も不良となり時々嘔吐致し、その為体は大変衰弱致し困って居りました処、知人から本教の有難い事を知らされ、早速近くの片上支部に御願いに行き、御浄霊を頂きました処大変気持もよく、浣腸もやめて続けて御浄霊を頂きます内、今迄浣腸して排便して居りましたのが、数日後排便(黒色の粉の固ようのもの)あり本人も大変喜び、初めて御神力の偉大さを知り支部へも二回お参り出来る様になり、先生から色々お話も承り九月二十二日に大垣の中教会本部で、私と娘(府子)二人入信さして頂き、その上、有難き光明如来様も拝受し、二十五日の箱根の大祭にもお参りさせて頂きました。十月五日には光明如来様を御奉斎さして頂くことになって居り、一同余りの御蔭に喜んで居ります。現在の病状は、右側延髄部と右頸部に特に固結があり、頭は絶えずはっきりせず、何か被った様な感じでございます。又腹部、特に胃部は全体に固く、少し腫上って居り、直腸の辺も固く押すと少し痛みがあります。御守護により食事も果物等も少量ずつ頂ける様になり、又夜は大変楽に寝られる様になり、本人も非常に喜んで居ります。
時々嘔吐致しますのと、食後胸の下辺りが苦しみますが、暫くすると楽にして頂けます。大変衰弱して居りますが、お蔭で散歩も出来る状態でございます。 右胃部の固いのは薬毒の為でございましょうか。又霊的でございましょうか。 御浄霊は何処が一番大切でございましょうか。今後如何致しましたら早くお救い頂けますでしょうか。
御垂示の程謹んで御願い申し上げます。
尚本人は三十才の時、産褥熱にて八カ月注射療養を致し、三十二、三才の頃喘息にてエフエドリン錠剤約五十錠、三十六、七才頃子宮筋腫にて手術し二十日程入院加療して居ります。
【御垂示】この人は薬毒被害者の見本みたいなもので、病気全部は薬毒の固まりであるから、種々の排泄物によって段々良くなるのである。従つて長くは掛るが必ず治る。浄霊は薬毒の固まった所をすればよい。無論出来るだけ力を抜いて浄霊すれば、早く溶けるし、回数も多い方が早く治る。
………………………………………………………………
昭和二十七年十二月二十五日
【お伺】是安利章(三十三才)昭和二十七年二月入信させて戴き、三月御屏風観音様を御奉斎させて戴いて居ります。昭和二十四年五月頃より腰が痛み初め、医師に診断を受けました処が坐骨神経痛とのこと、注射は局部へ二十本位打ちました。漢方薬も一カ月位続けてのみました。鍼灸も五、六回やりました。昭和十八年に盲腸を手術致しました。
本年一月三日に親戚の者より本教を教えて戴き早速支部に参り御浄霊をして戴き、十日目頃に少し良くなったと思って居りましたが、又、次第に痛みが元の様になって、現在両足も痛む様になりました。続けて六カ月位御浄霊を受けました。その後は二日に一回位して戴いて居りますが別に変化が御座いません。現在御浄霊は腎臓と局部を主として戴いて居ります。因みに四代前の先祖に男が神経痛で病死して居ます。三代前の男当時二十三才は海に落ちて死んで居ります。三代前には男が男女の折合悪くなり、子供のある仲を結婚せず別れて、その後女は非常に恨んで死んだそうです。私は最近分家致しましたが、本家ではその後より山林や畠は次第に売り払うようになり、現在は親も私達兄弟も皆経済的に非常に困って居る次第でございます。妹(長女)は三年前に結婚致しましたが昨年離婚して帰って居ります。何か霊的関係でございましょうか。その他御浄霊個所の御教示の程御願い申し上げます。
【御垂示】これは霊的関係はなく、薬毒の為である。神経痛の時薬を用いると共に、よく固めたので治るにも暇が掛かるのである。しかも痛みは浄化の為であるから結構で、辛いだろうが痛めば痛む程早く治るから、我慢しなさい。
………………………………………………………………
昭和二十七年十二月二十五日
【お伺】昭和二十四年二月入信致しました山崎敬市二十六才でございます。二十六年十一月頃より腰痛の御浄化を頂き、その都度御守護頂き、二十七年六月頃より発熱、咳嗽、喀痰の御浄化が加わりましたが、父がお道に反対の為無理に仕事を続けて居りましたので、段々衰弱致しました。九月十五日頃より激しい腰痛(臍の右横一寸五分の処の奥)と発熱、咳嗽、扁桃腺との御浄化を頂き、現在は左頸部淋巴腺が腫れ歯が痛み、左耳は全然聞えなく、肩、右耳下腺、延髄にかけて頭部全体は重圧感有り、咳嗽と発熱の御浄化にて食欲は粥食を二杯位頂いて居りますが衰弱が加わりつつあります。尚先妻は二十四年四月結核にて帰幽致し、二十五年十月再婚致しました。御屏風観音様は二十四年四月に御奉斎致し、御神体は本部に御願い中でございます。十月一日親戚の光明如来様をお借り致しお奉斎させて頂いて居ります。御浄霊は毎日母と妻、又教会からは隔日に来て頂いて居りますが、御浄霊の急所について、又、先妻との関係等有りますものか、謹みて御教え賜り度くお願い申し上げます。
【御垂示】これは霊的関係はない。全部薬毒であるから浄霊によって、気長に排泄するより治しようがない。浄霊の急所は苦痛のある所、熱のある所、固まりのある所を見付けてすればいい。
(地天四十三号 昭和二十七年十二月二十五日)