昭和二十六年十一月二十五日
【お伺】謹みて御伺い申し上げます。私の家は昔庄屋と称え、相当古くから屋敷内に柿の大木がありまして、大人四人にて抱く位、幹太く、背丈も高く、一里半位遠くから見える大木で、其の中間位の高い所に、六寸乃至七寸位の洞穴があり、その中に水の絶ゆる事なく、如何に旱魃厳しくとも水があり、常に一尺位の蛇が二匹棲み(或る神憑りの人が通り合した時「オー、大きな蛇だ」と言つた事もあります)言い伝えには『屋敷の地主』だと言つて居りました。
今から三十五年程前に此柿の木を岐阜から買手が来て愈々木を伐る事になりました。恰度二月頃でしたが、伐ろうとすれば吹雪となり、三日間はどうしても伐れなかつたのですが、無理やりに伐り倒したそうでございます。此木を切つてから後、二番目の兄は頭が狂い、病院に入つてからも暴れるので、手足を縛つて置いたりしましたが、トウトウ狂い死しました。三番目の兄も頭が悪くなり、或日二階から顛落し、頭が割れて死にました。
最後に長兄は頭が狂いかけた時、日蓮宗を信仰しました。其の時、「之は地主の祟りだから祀らねばいかぬ」と言われましたが、真宗の信仰に熱心な母はどうしても承知せず、止むなく大阪在住の私の姉が、遠く大阪より祈念し、拝んで居りました処、一ケ月程で治りました。(その兄も五年前、脳溢血で死亡致しました)
柿の木を買取つた材木屋も段々家業は思わしくなく、落ぶれたそうです。 大阪の姉は大和三輪明神の信者であり、私も信仰して居りました。「元柿の木に居た『地主』を祀らなければならん」と三輪講の行者(井上先生)を連行し、私宅にて、昭和十七年三月十五日に祀り込み、御霊鎮めの式を致し、爾来、毎日家内中(私と子供三人)拝んで居りました。
其後、昭和二十年の一月か二月でした。岩松先生と牧野先生が私の家にお出でになりました。之が此の山奥の町に来られた最初で御座居ます。そうして尊き恵により昭和二十年三月入信、昭和二十四年四月光明如来様、屏風観音様御奉斎、昭和二十四年十月二十日大光明如来様御奉斎、入信以来不肖な私ですが、幾十人かの御導きをさせて戴き、目下教師の資格さへも附与され、実に勿体ない事と存じて居ります。
大阪の姉夫婦も入信して居り、本年五月七日、光明如来様を御奉斎させて戴きました。
姉夫婦も始め入信して居りましても、三輪様の信仰の方が熱心でしたが、昨年秋より段々本教に熱心となり、今日迄に十五人程お導きさせて戴きました。前に三輪講の行者により地主の神を祀りし宮(大光明如来様の次の部屋)も毎月十五日教会の先生に来て戴き、天津祝詞を奏上、お祭りして居りましたが、その当時、上の先生から「大神様をお祀りしてあるのだから、祭らなく共良い」と伺いましたので、昨年十月廿八日に良く御挨拶をしお祭りして宮じまいし、当地の氏神様にお預けしました。
併し私も地主と言う事で、なんだか心残りがあり、大阪の姉は凄い反対でした。最近又姉より再び祀るよう催促あり、私宅も此の頃色々と事情の浄化(特に屋敷の問題)がありますので、今になつて考えるにヤハリ祀るべきではなかろうか、と思われてなりません。再び祀るべきでしようか、それともその儘にしておくべきでしようか、御垂示御願い致します。
住居の西南に池を造り、松を植えると良いと伺いましたので、本年七月に池のかわりに甕を埋め、松を廻りに植えました。若し祀る可きでしたら、左記の点に就き御教示御願申し上げます。
一、祀るべき位置、及び小さき祠でよいでしようか。
二、憑依すべき形は何にすべきでしようか。
三、其後の祭りは如何様にすべきでしようか。
【御垂示】之は立派な龍神であつて、是非祀らなければいけない。祀る位置は前を池にして、二尺乃至三尺位の高さに、天然石を積み重ね、其上に御宮(屋根は雨の滲みないよう銅板を張る)を安置し、御神体は桧、剣尖形に造り、何々明神と書けばよろしい。大きさは其場所に恰度いい位にする。向きは光明如来様の方へ対うようにする。御祭は毎月、月並祭の後、光明如来様よりも簡単に、御祭りすればいい。御供え物は生米、塩、御水、其他魚、野菜乾物等、見計つて、お献げすればいい。
御名前は、光明如来様に御願いすると、心に浮ぶからそれでよろしい。
………………………………………………………………
昭和二十六年十一月二十五日
【お伺】(一)私は県農業協同組合連合会に奉職致して居ります。この連合会は主として農家の生産する農産物の集荷販売と、之を収穫するに必要な肥料、飼料、農薬、農機具の卸売を業としていますが、自然栽培に関する明主様の御論文や信者の文献を拝見するにつけ、この職場に勤めるのが苦痛となつて参りました。私の行くべき道について御教示をお願い申し上げます。
【御垂示】苦痛ならやめた方がいいが、知らなければやむを得ないとしても、肥料の害を知つた以上一日も早く転業した方がいいのである。
………………………………………………………………
昭和二十六年十一月二十五日
【お伺】終戦後農村の経済機関としての農業会が農業協同組合に改組されましたが、本教の否とする肥料、農薬を扱いこれが収入の大半を占めて居ります。将来の運営は如何になりましようかお伺い申し上げます。
【御垂示】肥料の害が分るにつれて、機構も変るのは勿論だが、そうなる迄にはまだ相当の時を要するであろう。
………………………………………………………………
昭和二十六年十一月二十五日
【お伺】温泉に長時間度々入湯すると、俗に湯中毒が生じますが、之は浄化を促進する現象でございましようか、お伺い申し上げます。
【御垂示】浄化促進ではない、反つて浄化停止である。温泉の湯によつては硫黄分が多い場合、皮膚から滲透して新陳代謝を停止する事と、病人などはそれによつて浄化作用を極度に停止するので、中毒や人によつては生命迄も危うくなる事がある。特に疥癬の時、硫黄分の多い温泉に入ると、湿疹を一時停めるので内攻し、死ぬ人がよくあるから注意すべきで、普通先づ一日二回位を限度とすれば間違いはない。
………………………………………………………………
昭和二十六年十一月二十五日
【お伺】私は十三年前、円導一心会と称する宗教団体に依つて仏に帰依し、本年八月本教に入信迄、其説く処の「南無阿彌陀仏」で仏前回向、日想観(太陽に向い合掌瞑目し「南無阿彌陀仏」を十遍唱え、呼気して徐々に開眼し、太陽をみつめるとまばゆくなく、週辺一帯の空に黄金色を拝する)、水想観(日想観と大同小異)をして参りましたが、天津祝詞、善言讃詞で日月を拝する事は支障ありませんでしようかお伺い申し上げます。
【御垂示】拝むべき神様の祀つてない場合はそれでもいいが、本教では光明如来様を御祀りしてあるのだから、それを拝んでいればいいのである。光明如来様は日と月の両方の御力を具えていられるからである。大体、太陽を拝むのは原始人の自然崇拝のやり方であるから、今日の文化人としたら相応しない訳である。廃めた方がいい、此人は御神書の読み方が足りない為、本教の本義が分らないからであるから、御神書を出来るだけ読んで、身魂を磨くようにしなさい。
………………………………………………………………
昭和二十六年十一月二十五日
【お伺】大船駅より見えます処に、露坐の大観音様が鎮座ましまして居られますが、之には何か意味があるものでございましようか、お伺い申し上げさせて戴きます。
【御垂示】之は別段意味はない、大体観音様はいつもいう通り、青空の下ではいけない。家の中へ御祀りするのが本当だからで、また大きさも出来るだけ小さい方がいいのである。
(地天三十号 昭和二十六年十一月二十五日)