地上天国第29号  妙智之光  講話集

昭和二十六年十月二十五日

【お伺】最近支部所在地の氏神様又は一之宮等に参拝致し、天津祝詞奏上して御協力を御願致しますと、支部の月並祭の節、信者又は資格者に祭神時には御使の方が憑依して参拝の御礼に出られます。又氏神様でも一之宮様でも邪魔しておられた祭神もあるらしく、一切をざんげして協力を誓つて帰られる事も御座居ます。

狐霊等の憑依とは全然違い、龍神にて威儀正しく出られます。尚参拝した附近の神社で残して来た処は「後から参拝に来て呉れ」と出られる事も有ります。右様致しますと必ず御礼に出られますし、中にはもう一度来て欲しいと云われる処も御座居ます。如何なる訳かと月並祭度に出られる兵庫県草山村本郷支部長の本守護霊の大峰山役之行者が出られた時聞きました処「神格のある神の方が人間より先ぢや」と申されました。中には度々出られて浄霊を受け、天津祝詞を聞き「主神の御許が出て元の神格に帰れた」と御礼に出られる祭神も御座居ます。  明主様より過日一切信じてやる様御言葉を戴きましたので、一応信じて色々聞いて見ますが、簡単にて言葉少き為め、信じて今後も続いて参拝致しても宜しいものでしようか、右謹んで御伺い申し上げます。

尚今日迄に出られた神社は京都にて吉田神社、今宮神社、伏見稲荷、及方々の稲荷、丹波にて梅田神社の天児屋根命(アメノコヤネノミコト)、大神い社(ミカゲ大神)、大川神社、因幡にて一之宮宇部神社の建内之宿彌(タケウチノスクネ)(武内の武は違うとの事です。建と書いてタケと読むのだそうです)長田神社の誉田別之命(ホマレダワケノミコト)、栗谷神社のオニハメノ命、聖神社の天児屋根命、加露神社の(吉備軍制(キビグンセイ))吉備真備命、ほおきの国にて一之宮の倭文(ヒトリ)神社下照姫(シモテルヒメ)命、出雲にて朝山八幡の応神天皇、大森神社の事代主命等々、其他各稲荷神社、稲荷は全部邪魔して居りました。右に対し宜しく御垂示の程御願い申し上げます。

【御垂示】私は以前から、其土地の産土神社へ御参りした方がいいと言つているので、それを事実で分らせる為に、神様がそうされたのである。右は悉く正しい神様であるから、今後も信じて続けるべきである。

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昭和二十六年十月二十五日

【お伺】龍神の憑依し易き文字はラリルレロと御開示頂いて居りますが、狐霊も憑依し易き文字及び行が有る様に思われますが如何で御座居ましようか御伺い申し上げます。

【御垂示】龍神と異つて狐霊の方は余りないものであると思えばいい。

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昭和二十六年十月二十五日

【お伺】本月八日に御開示頂きました。「貴い物程数が少くなる」との事、右は龍神にも当嵌る様に思われますが、如何で御座居ましようか。

金龍も銀龍も御一体だけで御座居ましようか、それ共金龍銀龍の内にも火龍水龍土龍と有るものでしようか、右謹んで御伺い申し上げます。

【御垂示】金龍、銀龍は一柱であつて、それ以外は下級になる程増えるのは、曩に説いた通りである。但し邪神の方も其点は同じである。

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昭和二十六年十月二十五日

【お伺】一、古事記に依れば大国主命には大己貴命(オホムナチノミコト)、葦原色許男命(アシハラシマヲノミコト)、八千矛(ヤチホコ)命、宇都志国玉(ウツシクニタマ)命と、五ツの御名が有りますが、或霊の申しますには、大国主命と大己貴命とは違うとの事ですが、右は如何で御座居ましようか御伺い申し上げます。

二、天象気象現象界等又は象に人べんを付けて尊像銅像等申しますが、象の文字の意義を御教示御願申し上げます。尚動物の象と何か関係が御座居ましようか御伺い申し上げます。

三、古事記に依る因幡(イナバ)の白うさぎは如何なる意味のもので御座居ましようか御伺い申し上げます。

【御垂示】一、それは違う。大己貴命の方が、大国主命より古い神様で、支那の磐古神王系の神様である。

二、之は判り切つた話である。人べんが付いているのだから人である。獣の象は百獣の王であつて、猛獣ではなく至極平和で感じもいいので人間も、それにならえという意味から用いたのであろう。

三、之は色々な説があるが、古代に出来た譬え話で現実的の意味はないからかく必要はあるまい。

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昭和二十六年十月二十五日

【お伺】最近各支部の月並祭後信者を浄霊中自然に憑霊現象が起る様に成り、何かと色々霊界又は霊的の事を勉強させられて居ります。よく信者の御先祖が救いを求めて出られたり「位牌をつくつてくれとか、位牌の祀り方の順が違うから直してくれ」と出られますので、出来る限りの事はして居りますが、或る先生の御話等を聞く処に依れば「余り親切に霊の救いをすると、いくらでもたよつて来て限り無いしそうした事をしていると物質迄皆○(ゼロ)に成る」と言われます。私はたよつて来るからには皆霊線がつながつて居るからたよつて来るのであつて、無茶苦茶にたよる訳は無いと思います。尚霊を救つてやれば必ず感謝の想念はいつかは物質化するものと思われますが、如何なもので御座居ましようか。右に対し何卒宜しく御教示の程御願い申し上げます。

【御垂示】右のような或先生には困つたものである。○○の一つ覚えのように、融通が利かないのだから、斯ういう先生は、千変万化、自由無碍、応身の教に外れている。此意味によつて霊的事象も、人により処により、時によつて正邪、善悪色々ある。之を見分けて適当に処理する事が、出来るようになれば一人前の本教信者である。

従而、此人の憑霊は、此人には此御用があるのだから、何等心配なくやればいいのである。すべて人によりそれぞれ違つた御用があるのだから、単なる自己判断で決めるのは最も間違つているから、其点よく心得て貰いたいのである。恰度芝居に譬えればよく判る。色々な役があるから面白い芝居が出来るのと同じである。

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昭和二十六年十月二十五日

【お伺】本年二月に遡つて出雲地方に起きた霊的現象に就き御伺い申し上げます。

山内地理なる引揚未亡人教師に龍神憑依し、如何に聞いても「出雲地方にて三千年来神と祀られて居た者だ」と、「又八岐の大蛇の第一の眷族だ」とも言い、八岐の大蛇が「後は宜しく頼む」と言つて姿を消し、今はどこにいるやら「其時名前は絶対に言うなと言つたから言えぬ」とも言い、又奇稲田姫のお側におつた者だとも言いました。ついに三月の本部大祭の節「明主様に御面会してから名乗る」と約束して大祭の当日、余興の始まる前「気持が悪いから浄霊を頼む」と言うので浄霊致しますと龍神が憑依し、御面会させて貰つた御礼を言い、それより口はきかなくなり、畳に文字を書く様に成りました。約束通り名前を聞きますと「出雲の朝山八幡に来てくれればわかる」との事。其後四月に色々調べて米子の四月の月並祭後参拝に行きました。其時霊視能力者を連れて行きました処、祭神は応神天皇に成つて居りましたが、参拝終つて霊視者に聞いてみますと、我々が第一鳥居をくぐる時から、神殿正面に依冠束帯の顎鬚の長い、上衣は茶色下袴は白、冠は後に長くたれ、袖の上部は紐にてあんであり、少し頭を下げられた老貴人の姿が見え、側に女神で髪はおすべらかしで十二ひとへの御姿が見えた相です。(前に浄霊した時には龍神にて目は野球のボール位、角は短かくひげは片方一尺五寸位、胴全部がもしも見えたら室一杯に成る様な大きさで、私が天庭(額の中央)を浄霊する度に非常に苦しがり、実に物凄い形相だとの事でした)参拝終つて出雲今市市の山内宅に帰る途中、雨と成り、風も出て汽車より降りた時には突風が起り、雨もまじつて物凄いふき降りに成りました。さては龍神が来られたなと思い、早速山内宅にて浄霊致しました処、龍神憑依し、今日の参拝の御礼と名前を、涙を流し袖にて顔をかくし、いかにも残念相に応神天皇と書きました。尚、今日迄邪魔をしていた事をわび、今後の協力を誓つて帰りました。右の応神天皇と龍神との関係を如何に解釈させて頂きましたら宜しいでしようか、御垂示の程御願申し上げます。

女神は聞きましたる処、応神天皇のおきさきとの事でした。

【御垂示】応神天皇が或執着の為、龍神に墜ちていられたので、救われたい為私に面会を求めたのである。それによつて人間に救われ、元の応神天皇となつたので、知らせる事が出来たのである。其有難さにより、今後は大いに御手伝をされるから何れ現実に分る筈である。

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昭和二十六年十月二十五日

【お伺】明主様御伺い申し上げます。朝食卓に対い、ふとお茶碗の中を見ますと図の如き型をした金色が、無数に消えては写り、消えては写るのが見えました。其後幾日か過ごして、ふと電灯を見ますと、又右と同様なのが無数に見えるのであります。此事が二カ月程続きました。最後に見えなくなる四五日前よりは、教会で石井先生の御浄霊をさして戴いて居りますと、手先に右の物が見えますので、電灯を見ますと周囲が右の光にて見事に美しく右は教会か自宅より外では見たことがありません。右は祖霊の御知らせでありましようか、御伺い申し上げます。

【御垂示】それは家の形であつて、何れ結構な家に住めるようになるというお知らせである。

(地天二十九号  昭和二十六年十月二十五日)