昭和二十六年九月二十五日
【お伺】御神体、御屏風観音様の御働きの始まる時期はいつからでございますか。
【御垂示】之は変な質問である。どちらのお働きもその人が御受けした日からである。
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昭和二十六年九月二十五日
【お伺】大光明如来様を御奉斎致して居りますが、其他光明如来様、御姿も頂いて居ります。光明如来様、御姿は同一家屋の別部屋に御奉斎させて頂いて宜敷いもので御座居ましようか、又其部屋の順序は如何で御座居ましようか謹んで御伺い申上げます。
【御垂示】光明如来様は御神体だから、一番上座に御祀りし、御姿は次にされていいのである。右のようにすれば同一家屋内でも差支えないのである。
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昭和二十六年九月二十五日
【お伺】私の父方は神道で、母方は仏教(曹洞宗)でありますが、当教入信前、妹が死亡し、母里の方にて生活致して居ます都合上、本来は父の姓を名乗つて居る故にも神道の葬儀を行うべき所を、その様な深い考えも無く、曹洞宗の法名を付け、葬儀も仏式にて行い、そして、母方の墓地へ埋葬致しました。霊界にては、光明如来様の御加護を頂いて居るものとは思いますものの、父の籍にあつた者を母の方にて祀るのは、少々疑念が持たれてなりません。この儘の状態で良いものでしようか、それとも間違つて居ましたら方法を何卒御教示下さい。
【御垂示】厳密に言えば間違つているが、何事もなければ、そのままにしておいてもよろしい。
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昭和二十六年九月二十五日
【お伺】一、平屋の住宅に二階を建増すと、いろいろ災難が起ると申しますが、右は迷信でございましようか、お伺い申し上げます。
二、自然石の墓を人工石に造替え度いと存じますが、古い墓石の処分方法を御垂示の程お願い申し上げます。
【御垂示】一、勿論迷信である。
二、大きな石なら、文字を見えないように削つて了つて庭石などに使つてもよろしいが、小さい石ならその儘、墓の近くへ埋ればよろしい。
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昭和二十六年九月二十五日
【お伺】私事、七月の石田教会の御祭に参拝致しました留守に六歳になります子供(忠明)が御座敷に入り、御神体の光明如来様の字の一番下方の向つて右下の白い所に、鉛筆にて約一寸位の縦条を三つ書いて居りましたのを、帰宅致した翌朝気が付き、早速祝詞、善言讃詞を奏げてお詫び申し上げ、子供によく注意致しまして後、消ゴムに御浄霊して、謹んで消させて戴きました。誠に相済まぬ事を致させました。御許し下さいませ。又今後の御垂示を謹んで御願い致します。
【御垂示】それだけなら別に大した事はないからよろしいが、原因は御神体を敬う心に、些か隙があつた為である。
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昭和二十六年九月二十五日
【お伺】去る八月五日、信徒藤生米子(三十三歳)が右眼の御浄化を頂き(婚嫁先はお道に反対)生家に御浄霊を頂きに帰り、八月御浄霊中午後七時頃憑霊あり、家族全部の御浄霊を依頼致しましたので、七名の家族一同御浄霊をさせて頂き、約三時間位の御浄霊にて膿が排泄し、痛みも止まり、大いなる御守護を頂き、厚く御礼を申し上げます。尚、憑霊中、左記の如き事を口走りましたが、之は正しき事で御座いましようか、又、邪霊で御座いましようかお伺い申上げます。
左記
一、大浄化の際は御玉串を御供えし、尚、御守護の御礼をする事。
二、大浄化の際、御浄霊方法としては小乗的に一生懸命手を左右に振り、或は毒 素の排泄を容易になる様、頭部より下部へ掃き出す如く猛烈に御浄霊を施し、 小康を得るに従い、大乗的に力を抜いて最近の御教えにある如く応身の御浄霊 をなさい。
三、大浄化の際は、二、の要領にて被浄化者を御神体の前に寝かせ、御浄霊者は 少くとも一度に六人以上を必要とし、左右に順序よく位置し、頭部より上半 身、下半身へとリレー式に毒素を送り出して頂く気持ですること。
四、大浄化の際は水を御神体に御供えし、御浄霊をしている人にも水を与えて汗 を出し、御浄霊をする者が身代りになつて御浄化を軽くして頂く事になる。五、悪の言霊は脊骨に曇りがたまる。
六、正直で素直な人は充分お光が透る。
七、想念は高く清く持ち、発展すればするほど下座の行をする事。
八、私は地獄の霊ですが、此肉体(藤生米子)のこのお守りにて時々許されて出ます。
世界情勢の事をお尋ねしますと、私は地獄の霊ですからそんなことは判りません、と申しました。
【御垂示】之は邪霊ではない。大体は合つているが、少し違う所がある。それは小乗的云々という事と、六人で浄霊する事とである。
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昭和二十六年九月二十五日
【お伺】昭和二十五年一月以降七月迄に一家五名全員入信致し屏風観音様を奉斎し、妻と二人教師の御資格を、又浄力様も拝受し、今年五月十五日大光明如来様の御霊鎮も執行われ、出張所の御許しも頂いて居る一家で御座います。六、七月と心に懸り乍らも御祭も出来ず、八月十日漸く御祭の運びとなりました。この日甘木支部の金子先生は午前中から太刀洗へ来られる御心算の処、バスの時間が違つて実現出来ず、村上先生御随行にて御着きになつたのは午後一時半でした。御祭は順調に進み、甘木行の最終バス午後八時発で御帰りの御予定でしたが、六時半頃御浄霊は未だ十人余もあり、それに二十日以上一滴の雨を見ぬ空が急に暗雲重畳の有様。御まいりの人達は狼狽して帰り、七時半頃より篠つく夕立となり、雷鳴は物凄く稲光りは停電の屋内を幾度か昼の様に明るくしました。両先生と会員一名(資格者)家族五名(全員入信者)計八名、大光明如来様を御祭りしてある六畳の間にて夕食中、午後八時ピシツと言う様な異様な大音響と同時に、全身にビリビリツとする様な感電感が流れ、隅のメーターのヒユーズから白色の閃光が飛び、下の子二人(十二歳と十五歳)は頭が痛いと泣出し、お互の御浄霊で二十分位後には皆シヤンとなりました。再び大音響と閃光、震動、暗黒の中に、只御浄霊が笑声の中に続きました。家中キナ臭く、幾度か雨に濡れ家の周囲を見廻りましたが異状はみとめませんでした。只夕立が十時頃晴れ、他家の停電は復旧しましたが家は只暗闇でした。翌朝調べますと御神体御祭りしてある六畳の間と以前光明如来様を御祭りしてあつた三畳の間のみが異状なし。直ぐ横の玄関の土間の電球は真黒になつて断線、碍子は粉微塵に割れて飛び散り、其真上の屋根の棟瓦のみ約三十枚余割れて飛散し、炊事場の電球は微塵に砕けて、電球のかけてあつた柱には鋭利な大きな爪で引掻いた様な生々しい跡があり、それでも何処一つ焼けて居る所も無く、其他の損傷は何一つありませんでした。神の霊衣に包まれる身の幸の大きさを痛感すると共に、差別無くすがり付く者に垂れ給う大慈悲に感泣しました。此家は旧軍用建物の守衛所の増築であり、附近には爆撃に依る死傷者も相当出た由、尚、近頃学校の敷地拡張の為、移転を請求され、予算不足で行悩みの状態であります。
此落雷は何か意味のある霊的な現象でありましようか又は偶発した一自然現象でありましようか?誠に恐れ入りますが御教示御願い申し上げます。
【御垂示】之は決して偶発ではない。その家の霊界に非常な曇りがあつたので、それを雷火によつて浄められたのであるから大いに結構である。普通の落雷ならば誰かに傷害があるべき処を、御守護で除けて下さつたのであるから、大いに感謝すべきである。
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昭和二十六年九月二十五日
【お伺】キリスト教徒が教義の根本としての涜罪を強調して、イエスキリストの十字架上の受難像を信仰の対象として居ります事は、信徒の想念に依りて霊界に受難の想念像を像造る事に依り、何時迄もイエスキリストの霊を苦しめる事に成るのでは御座居ませんでしようか。
若しそうであると致しますと涜罪主を地獄に磔にして信ずる事に依り救われると云う教義の一大誤謬を思わしめるものであります。
右は転向者伊藤富貴子(教師)が去る十月十七日次女「明子」(カトリツクの熱心な信徒)が、「御心のイエス様」と云う胸にハート型を抱かれる御像を求めて帰つた事に依り、嘗て教会に於て聞かされた話、「約一世紀前或る国のキリスト者(マリヤ・マリと云う修道女)にイエス様が現れ給い、人類の為に血潮を流し尽したのに此苦しみを償つて呉れない、せめて月の始の金曜日に御ミサを受けて欲しい」との意味の言葉を想い浮べ、其日よりイエス様のために善言讃詞を奉唱し続けて居りました所、偶々十一月一日夕方、恒雄(昨年三月十三日帰幽其後本教への疑念の浮ぶ毎に、夢又は幻に依りて本教の正しさを強調して居ります)恒雄は観音の御使だ御使だと独言を言つて居る自分にハツト気付き、そんな勿体ない事を、と自ら否定とも肯定とも付かず居りますと、其夜の夢に恒雄は大国主命の御使いだという意味を見せられて居た想であります。其後十一月三日夕方、御不浄にて直観的に十字架の受難像の事が頭に閃いたとの事であります。このことは、明主様の御許し戴く日迄、口外する事は絶対許されない事でありますが、嘗てキリスト者であつた自分の心の中に丈け其真実を知り得て、今後キリスト者達への布教の信念と致し度いと願つて居ります。然り、否、の御言葉にても御垂示の御許しを賜わりたく伏して御願い申上げます。
【御垂示】キリストの涜罪は、万人の罪を一身に引受けて、償われたので、其大愛に対して感謝し礼拝し祈るのである。従而、今迄はそれでよかつたのである。処がメシヤ教の信者になれば、その必要はなくなつたのである。というのは最早キリストは再臨されたからである。之には深い神意があるが、何れ詳しく説くつもりである。
(地天二十八号 昭和二十六年九月二十五日)