昭和二十五年十一月二十五日
【お伺】現在、アメリカで新興宗教として盛んに伝道されているときいております「バハイ教」は、光明世界建設の神様の御経綸と如何なる関係があるのでございましようか御伺い申し上げます。
【御垂示】之は新しい宗教で、或程度は本教に似ている。今春本教信者で渡米した際、本教の刊行物と、バハイ教のそれと交換した事がある。それを読んでみると立派な宗教ではあるが、世界的になる大宗教の素質はない。之は一世紀位前から興つたもので、教祖は兄弟であつたが、どちらも数十年前他界して、今はその後継者が経営してゐるが、近来相当認められるようになつたのである。
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昭和二十五年十一月二十五日
【お伺】一、星が地球を支えているという事は、所謂宇宙線の働きによるものでしようか。
二、天体の縮図は一原子に於ける内部構造に似ていると現代科学者が唱えつゝありますが、これは信じられるものでしようか。
信じられるとすれば、原子の構造を究明する事により宇宙の構造も判明する事になりましようか。
【御垂示】一、之は信仰雑話に詳しくかいてあるからよみなさい。
二、勿論そうである。原子核ばかりではない。大・中・小・一切がそうなつている。その中で特によく表はれているのは人間である。昔から人間を小宇宙というが全くその通りである。一切は無限大であり、無限小である事を知るべきである。
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昭和二十五年十一月二十五日
【お伺】御論文に観音信仰は大乗宗教なりと御座います。「光明世界とは善人が栄え悪人の亡びる世界である」とも御教え頂いております。大乗に則つて信仰致しますと悪にそまりやすい凡人の常として審判の時を乗り越えさせて頂くべく御布教の面と日常生活の両面におきまして、何を基準に善悪を判断致すべきで御座いましようか。御教をお願い申し上げます。
【御垂示】大乗には悪は決してない。小乗には往々悪があるから注意すべきだ。只大乗は一時的悪に見られ易いだけであるが、結局は善になる。大乗小乗に就ては、私の著書に随所にあるから、注意してよく見れば会得出来る筈である。
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昭和二十五年十一月二十五日
【お伺】以前「他に大乗であると同時に、自らにも大乗であらねばならぬ。自らに小乗的であると拘束されて働きが狭まり力が出ぬ」と御教えいたゞきましたが、自らに大乗といふ事につき、くわしく御おしえいたゞき度うございます。
【御垂示】大乗に偏つてもいけないと共に、小乗に偏つてもいけない。小乗は経で、大乗は緯であるから、十字に結ばれれば宜しいので、時所位に応じ、千変万化する事である。之が伊都能売の働きである。之は私の著書に色々かいてあるから、よく見れば判る筈である。
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昭和二十五年十一月二十五日
【お伺】昔から「神は愛也」と言いますが、我々が日常生活に於て感じる愛に、親子、兄弟の愛から、友人愛、隣人愛或いは異性を対象とする愛、自然界の些細な事象に迄及ぼす愛等種々あると思いますが、人間の愛には限りがあり、一つの愛を尊重しすぎると他の愛をうとんじ、或いは反対の結果に迄なる事があります、又二の愛の板ばさみになつて苦しむ事もありますが、神の愛はこれらのものに対し、如何なものでございましようか、又人間の愛の正しい在り方について御教示下さい。
【御垂示】此事に関しては、本教刊行物の随所に詳しく出ているから、それを読めばよく判る筈である。
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昭和二十五年十一月二十五日
【お伺】一、お道にある人で、治病力が素晴らしいのですが、どうしたことか、人格的にも、常識的にも優れていないと見受けられる節がよくあります。治病力が強いということは、その人の魂が清まつている証左であるとすれば、必ず人格的にも豊であるはずです。この様な場合、治病率は人格のバロメーターとなり得るでしようか。不遜ながらお伺い致します。
二、私共は、始め善いと思つて行動したことが結果に於て悪を招いて仕舞うことが屡々あります。私共の行動判断の規準は何に求むべきでしようか。
【御垂示】一、之は難しい問題で、一口にはいえない。古い人と新しい人では、治病力が違う。又うわ面ではよい人に見えるが、心が悪い人もある。上面は善く見えなくても、心に誠のつよい人もある。又治病力の多かつた人でも慢心したり、取違いしたりして薄くなる人もある。又その人の手柄によつて神様から御陰を頂く人もあり、よく見える人でも手柄のない人は御守護が薄い。
要するに、結果からみて、功績のある人は神様から力を与えられるが、立派に見えても功績のない人はその反対である。結局、人間の目で見ては判らない。心の底は神様より外に判る筈はないと思う人は、神様が判つた人である。
二、それは小乗の善だからである。どうしても大乗の善でなくては、結果はよくない、此大乗小乗の意味は、御神書の随所にかいてあるから充分よみなさい。
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昭和二十五年十一月二十五日
【お伺】颱風の発生地と被害地とは異りますが、霊主体従の法則により、霊界に先に起ると御教え頂いておりますが、発生地と被害地との関係につき御伺い申し上げます。
【御垂示】颱風は移動するものであり、而も発祥地は殆んど海であるから、上陸してその通路にあたる所は、被害を蒙る。之は霊界の曇つた所を、龍神が掃除するのである。従つて颱風は霊であるから、霊主体従とはいえない。
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昭和二十五年十一月二十五日
【お伺】一、本年に入つて印度に二度目の大地震が起りましたが、彼地は仏教の発祥地でもあり、何か霊的に意味があるのではないでせうか。
二、昔から頭の禿げた人間に悪人は無いと云い伝えられて居ますが、その理由に就いて具体的な御説明を御願いします。
三、九州から毎月御面会に上京した際、その前日或は当日必ず雨に見舞われるのです。これは霊的に意味があるのでしようか。
【御垂示】一、別段霊的に意味はないが、強いて言えば、神様が余り大きな地震だと、人口緻密の所では被害が大きいからああいう人間の居ない処を選ばれたものと察せられる。
二、そんな事はない、之は迷信である。
三、こういう人はよくあるが、之は守護神が龍神であつて、その人を守護するために働く場合、水気がないと思うように働けないから雨を降らすのである。
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昭和二十五年十一月二十五日
【お伺】或信者でございますが医者には小心恐怖症と言はれ、人に合う事を非常に嫌いますが、此様な状態は霊的に如何なる訳があるので御座いましようか。
【御垂示】之は、前生の死に再会した当時の事情がしみついていて、とり切れないまゝ生れて来たものである。又現実的に言えば霊の力が弱いので外界の事象が強く影響するのである。こういう人こそ本教の信仰を続ければ、必ず治るのである。こういうのは今迄にも沢山治つた例があるから、心配の必要はない。
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昭和二十五年十一月二十五日
【お伺】一、堀信夫(三十三)は八年前中国に出征中、糧秣運びに使つた中国人に酒を飲ませた処、言う事を聞かなくなり、激昂の余り左胸を銃剣で貫き、死体を池に蹴込みました。それより左肺の痛を覚え、内地に送還され、左右肺結核及喉頭結核になり、苦しんで居りました処、このお道を聞き、二十四年三月入信しましてからは声も出易くなり働いて居りましたが、最近、又左肺の痛みに苦しんで居ります。殺した中国人の姓名も、殺した日も場所も覚えて居ないそうですが、この様な人の供養は如何すればよいのでしようか、お教え下さいませ。
二、仏様の御線香は、どうして二本立てるのでございましようか。
三、十五年以前より咳をすると、三十分位い止らない程の喘息で苦しんで居た老母、本年八月より御浄霊を受けて居りますが、今では五分位で咳が止る様になりました。本人は生れつき、寺詣りと、仏様を拝むのが、嫌いでしたが、浄霊を受ける様になつてからは、仏壇に線香を立てる様になりましたが、その匂いだけではたまらなくなり、一日三本以上喰べないと気がすまないそうです。線香はもんで屑にして喰べて居りますが、如何なる訳でございましようか。
四、四十八歳の男、子供の頃から神仏に御参りするとアクビが出ます。二十三年入信以後、大光明如来様を御奉斎させて頂き、熱心に御手伝いして居りますが、今でも神仏に、祝詞、善言讃詞、御讃歌を御上げすると、アクビが出て、満足に御勤め出来ません。如何なる因縁でございましようか。
【御垂示】一、供養しなくてもよろしい。出来る丈御神書を拝読し浄霊を続ければ治る筈である。
二、線香は別に二本とは限らない、一人一本宛立てればよろしい。
三、之は副守護神が好むからで、よく子供に多い癖である。之も信仰が深くなれば自然と治るものである。
四、元来欠伸とは霊的浄化で、欠伸即ち、悪霊で霊の曇りがアクビによつて発散するのである。祖霊の内に力のあるものがいて、浄化をしてくれるのであろう。結構である。しかし之は、年限が経つと自然に治る。
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昭和二十五年十一月二十五日
【お伺】私共は、昨年九月以来、生活の為喫茶店を経営致しましたが、開店と同時に余り丈夫でなかつた主人が寝ついてしまい、十一月入院しましてから八ケ月間、病状は悪化するばかりで、医者にも頼りきれ無くなつて居りました処、運良くこのお道を知り、退院しましてからは次第に回復に向つて居ります。
処が今度家を増築致します時、水道を引く迄使用して居りました井戸の上に食堂を作りまして、冬になると、鍋物料理の部屋に改造する事になつて居ります、申し遅れましたが、其の井戸は、先生方の御指導もあつて、水神様の供養もして戴いて居り、それ以来店の方もうまく行つて居ります。家族の者はこの様な事を話しましてもわかつて戴けませんし、それと言つて、井戸をその様に取り扱うと折角良く成つて参りました主人が、又悪くなる様な気がしてなりません。如何取計えば宜敷いでしようか御伺い致します。
【御垂示】それは井戸の代りとして庭か空地の隅の清い所へ、甕をいけるか、小さな池を作つて移転の御祭りをすればいい。
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昭和二十五年十一月二十五日
【お伺】戦時中、強制疎開により、家を取りこわしました際井戸を埋めましたが、その後同じ場所に家を建てました処便所が丁度その井戸を埋めました上に位置するやうになりました。入信後、色々と気になりますので、正しく処理いたしたく存じますが、如何いたしましたら宜しうございましようか。御教えを賜はりたく御願い申し上げます。井戸は埋める時、神官のお祓いをいたしました。
【御垂示】之は井戸を埋める時、龍神が離れて了えば差支えないが、中には執着のあるのもあるが、もしそうとすれば何か災ひで知らせるから、その時、庭でも空地でも井戸の代用として甕をいけるか、小さい池のやうなものを作ればよろしい。そうして龍神の移動鎮祭すればいい。
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昭和二十五年十一月二十五日
【お伺】一、私宅の食事場の床下に井戸が有りますが、其の上に押入が有り、何時も人が通つて居ります。井戸には蓋がして有り、息抜も明けてありますがこれはうめた方が宜敷いでしようか。現在は其の井戸から鉄管を引いて水を使用致して居りますが、如何致したら良いでしようか、御教示願います。
二、屋敷内にイチヾクの木があります。世間では縁起が悪いと言いますが、迷信でしようか。
【御垂示】一、井戸はそのままでよろしい。その処置は前項を参照されたい。
二、勿論迷信である。何故なれば神様は人間に食べさせん為に、美味しい果物を与へて下すつたのであるから、それをいけないなどというのは神様に対し勿体ない訳である。
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昭和二十五年十一月二十五日
【お伺】一家全部入信、御神体を御奉斎させて頂いております青物商の信者でございますが、私の家と隣の家と一つの地所内に井戸があり、その井戸は隣の家の台所の下で、その上を人が歩いております。現在、その井戸から鉄管をひいて、五・六戸で共同使用致しておりますが、その侭でよろしいものでございませうか。商売の方は次第に悪くなり、最近は非常に逼迫しておりますが、右と関係がございましようか。
【御垂示】大した関係はないから、気にしない方が宜敷い。商売がうまくゆかないのは信仰が間違つている点と、勉強が足りないからとである。
此事に就て、参考になる事がある。それは新潟の或八百屋さん自然農法で野菜を作つており、それを店で売ると非常によく売れる。何しろ、味がよいので遠くから買いに来るそうだ。それで他の八百屋は晩迄商売しているが、此八百屋さんは、明るい内に売切れて了う。お客さんがいうには斯んな美味しい野菜は他にないから、いくら高くてもいいからとつておいて貰いたいというそうである。
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昭和二十五年十一月二十五日
【お伺】最近の豪雨の為に、主人の亡兄の墓が崩れ流され跡形も全く無くなりました。掘つても墓石は出ないし、探しても見当らず、一体どうしたらよいのかと思案しています。
命日には御寺から毎月御坊さんをよんで、仏壇に御経を上げて頂いてゐますが、何だか気になりますので、御伺い致します。
【御垂示】何れは本教に於ても、葬儀や墓所に関しても、独特の形式を作るつもりであるから、それ迄の間、仮に作つておけばいい。全然作らないのはいけない。
(地天十八号 昭和二十五年十一月二十五日)