昭和二十四年十月二十五日
【問】昭和二十四年六月九日の中部日本新聞に次の如き記事が掲載されましたが、文中脳波とありますのは如何なるものでせうか。
「脳波で交通安全」
何故かといふことはまだ判らないが、人間の脳から脳波(一種の電波)が外部に発散する。一秒間に二つ波うつのである。この波をしらべるとなにか考えごとをしてゐる時には波の高さが小さくなるし、眼をつぶつてボンヤリしてゐると波は大きい。しかも眠気をもようしかけると更に波は大きくなるのだ。そこで脳電流を特殊な電鈴に流れるようにしておけば眼ざめているときには電鈴がならないが眠くなるとなりだす。脳波が大きく波うつからだ。これだけの現象ではあるが、こんな電鈴を電車、バス、飛行機などの運転手の頭に取付けて、眠気による交通事故を防止する方法がすでにアメリカで実行に移されたと言はれる。
【答】人間の霊は外部へ発散したり集中したりする。仕事する時は集中し、眠る時は発散する。であるから生霊の憑く時など非常に眠いものである。神道の行事に、鎮魂といふ言葉があるが、之は霊が方々へ放射し分散されたのを(気のちつたのを)本元へ集めるのである。霊が還つてくると気が鎮まり、いい気持になるもので、其中頭の霊が一番よく出る。以上の如く霊が放射する。それが脳波であつて、特に頭だけ出るのではない。全身から放射するのだが頭からが一番余計に出る。
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昭和二十四年十月二十五日
【問】猶太教、仏教、キリスト教等所謂世界の大宗教と称せらるる宗教が今日の人心世相を已に二千三千年の昔に遺憾なく言ひ表はしております。此内最も重大と思はるる事で未だ実現しないものに最後の裁きで地球上の人類の三分の二は篩にかけられ、ピラミツドの王房に這入り得る者は残り三分の一であると謂はれております。今迄が大体当つておりますので、今後の事を疑ふよりも信ずる方が賢明であるかも知れませぬ。果して斯くの如くであるとすれば、その篩は病気、天変地変、戦争等のいろいろの種類がありませうが、その中尤もなるものはどんな型でせうか。又その時期はいつ頃でせうか。お話願ひます。
【答】三分の二滅び、三分の一助かるといふ予言は私は知らない。釈迦は仏滅の世が来るといつた。之は仏教が滅するとか物質界が滅するとか諸説はつきりしない。キリストは世の終りとか、最後の審判とか言つたが具体的にいつてゐない。その時期としては釈迦は五十六億七千万年後といひ、キリストは二千年後とかいてある。私も世の終りとか最後の審判とかかいてゐるが、之は聖書によつたまでである。こういふ事ははつきり時期が判つてもいえない。言はない所に価値がある。例えば人間の寿命が判つたら働かない事になる。私は予言しないやうにしてゐる。誤解され易いからである。詳しくいえば人心惑乱として法にふれる。ただ世の終りが近づいてゐる事は言える。之は浄霊が年々よく利くやうになるのでも判る。之は霊界に火素が増えたからで、火素が増える結果は浄化がつよくなる事である。浄化はひとり病気だけではなく、あらゆる面に及ぶから想像は出来る。
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昭和二十四年十月二十五日
【問】私は磐田市近在に住む者ですが、今年の正月元旦は雨と相当の雷鳴が轟きました。元旦に左様な事は私の数十年来経験しなかつた事です。若し一年の計にして元旦にありとすれば、この現象は何を暗示しておりませうか。
【答】元旦の事は一年の世の中の運命に関係あるから、今年も何かあるでせう。今年の十二月から浄化は烈しくなる。
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昭和二十四年十月二十五日
【問】私は昨年九月迄長年医薬の厄介になつておりました。喘息も御浄霊により楽にさせて頂き、主人は昨年十一月、私は同年十二月入信致しました。未だ御神体はお祭りしてありません。今年三月頃から再び御浄化を頂き、四月頃は一時大変痩せましたが、五月頃よりは午後になると熱が出て、四時五時頃迄は激しく頭痛発汗があります。翌日朝は気分がよいのですが、膝のあたりが震えて悪道路を馬車に揺られる様に震え、約四十分程四回に亘つて震えが来ると言ふ状態が一日置きに来るのでありますが、何か霊的な関係がありませうか。又今後如何にしたらお救ひが頂けませうかお教え下さい。
【答】震えが来るのは寒気で、つまり浄化熱で結構である。病気は凡て一日おきによいわるいがある。光明如来様をお祭りするとよい。早く治るには信仰に入れば神様がよくして下さる。よくして下さるのは、「ない命をやるから世の人を救え。」といふ意味であるから、ただ治つただけではいけない。多くの人を救えば益々早く治して下さる。神様は人間が役に立てば出来るだけよくなるようにして下さるし、又悪くならない様にして下さる。
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昭和二十四年十月二十五日
【問】人間は姓名の良悪にて幸不幸があるそうですが、その良悪を正しく知るにはどうすればよいでせうか。
【答】名前で運命が決るとはいえない。大いに影響はあるが絶対ではない。善い名のつくのも悪い名のつくのも、その人の運勢によるのである。私など頼れてもすらすらとつけられる時とつけられない時がある。名前をかへるにも時期がある。いくら名前をかえても、その時その人の霊的状態によつて善い悪いがある。又名は時代に合はなくてはいけない。今木下藤吉郎とつけても天下は取れない。以前加藤高明の総理大臣の時、その頃上野で乞食を検挙して名を査べると、同じ名で当時の新聞に出ていた事がある。よく教導所で名前をかえて急に発展するのがある。名のつけ方に就ては何れ本に書く。
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昭和二十四年十月二十五日
【問】私は自動車のタイヤ修理工場を経営してゐる者であります。去る五月二十七日午前十時頃丁度私が浄霊に出掛けた後でしたが、階下より突然発火し、ガソリンタンクに引火して手のつけ様もなく、五分間ばかりの間に建坪四十二坪を全焼し、畏多い事で御座ゐますが階上の光明如来様も御写真も其他お額も焼失致しました。心よりお詫び申上ます。火災の二三日前長女和子が家の内外が、「キナ臭い。」と申しておりましたが、斯くの如き結果になるとは思ひませんでした。然し不意の事で、且私の不在中にも拘らず一人の怪我人もなく、家内一同無事でありました事は御守護の賜と厚く御礼申上ます。右の内長女が、「キナ臭い。」と申したのは如何なる理由でせうか。
【答】キナ臭いといふのは霊界で二三日前に既に火事になつてしまつた。それで臭つた。理由として斯ういう事がある。この人の財産に汚れがあるため浄化された。斯ういふ浄化はよくある。例えば祖先が道に外れた事によつて、即ち払ふべきものを払はなかつたり、出すべきものを出さなかつたり、人を苦しめたりして金を貯めたのがよくあるが、その人が信仰に入つて大きな御神徳を与えて下さるのに、過去の不純な財産が邪魔になる。即ち嚢の中が汚れてゐては好いものが入れられぬので、その嚢を綺麗にするのである。又こういふ事もある。火事などで焼けるのは汚れを非常に早くとられる訳である。普通相場に手を出したり息子が道楽したりしてなくす事もあるが、其浄化が済むと屹度あといい事になる。よく道楽息子が金を湯水の如く使ふのは祖霊がするので、それをしないと一家断絶するので、それを救うためで、これは割合長くかかる。然し霊的の事を人間は知らないから怒つたり悲観したりするのであるが、後はきつとよくなる。或は入信した人は或程度不純なものがとれてからはウンと神様から結構な御神徳を下さるもので、此人もそれである。勿論うんと財物を下さる。普通は御神徳で火事を免れるものだが、此人は不純物が沢山あつた訳だ。又浄化にも時期があつて、私など二十年位借金で苦しみぬいた。今にうんと金が入ると人に話してから十年位たつて、昭和十六年に借金を全部すませた。それから予想外に金が入るやうになつた。金が欲しい欲しいと思ふ時には仲々入らなかつたが、諦めて神様任せにしたらそれからどんどん入る事になつた。面白いものである。
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昭和二十四年十月二十五日
【問】生後六ケ月の幼児、御浄霊により高熱が続き発汗甚しく、全身粟粒大の発疹をし疥癬の様になり、元気もよく食欲もあり、便通、発汗、順調になりましたけれ共、夜になると四十度以上の熱が出ては汗を非常にかいております。母親は是非入信させて頂き、自ら浄霊の希望でありますが家の都合でまだ入信しておりません。私が総本部へ伺ふので此病人の浄霊が出来なくなりましたので、母親も非常に心配しております。入信者でない家族の御浄霊は、特にこの様な場合は御浄霊を断はつた方が宜敷いでせうか。
【答】断らなくてもよい。やつてやるべきだ。汗かいたりなど非常によい。症状からみて順調な浄化である。ほんとうは病気が治つてから入信するのが本当で、病気が治つて有難く、やむにやまれぬ気持で入信するのが本当である。例えばもし治らない中に入信して死ぬ場合がある。入信してから死ぬなんてあんな信仰は駄目だといふ事になる。すると怨まれる。特に肺病などは余計にそうで、入信すると余計に浄化が強くなる。肺病は医者に散々かかつて、もういけなくなつてから本教へ来るので、薬毒がうんと溜つてる。それの浄化が起り、浄霊すると反つて死ぬ場合があるから、特に肺病は治つてから入信するようにしなくてはいけない。ただ生命に関係のない病気は病気の治らぬ中に入信してもよいが、生命に関はるのは治つてから入信すべきである。これなど順調だから屹度治る。そうすれば家の人も判る。又入信してすぐに又光明如来様を祀らせたりせず、段々本人が判つて信仰が進み、拝みたくなり是非といふ時になつてから祀るべきである。すべて物事は漸次進んでゆく事がよくそれが順序である。突然に変るのは本当でない。例えば新しく教導所をひらく場合、最初は出来るだけ小さくする。人間が赤ン坊から育ち一人前になる如く、又草木の種子が段々二葉から大きく育つ。それなら根が張り枯れたりなどしない。之が大自然の実相だ。私など此仕事は六畳一間から始めた。信仰も最初は種蒔であるから話すだけにしておく。それが育つに従ひ先方が耳を傾ける程度になつたら雑誌新聞をみせる。その中に教修を受けたくなり教修を受けさす。そのうち病気が治つたりなどして光明如来様お祭りする。此様なやり方で入つたのは信仰に動揺がない。急いで入信したのは所謂根が固つていないから動きやすい。之は如何なる事でもそうである。面白いもので最近新興宗教といふと本教が一番目指されるが、決して一番にならうと思つた訳ではない。之も最初は目立たぬよう出来るだけ大きく見せないようにした。此点世間とアベコベでその結果一番拡がつたやうだ。
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昭和二十四年十月二十五日
【問】三日月が下弦型になると、物価が下落すると謂はれてゐますが真実でせうか。
【答】之は相場師がよく言ふ事で、物価にはあまり関係はない。物価の動き、ツマリ上り下りは十年に一遍位に変る。然し月の変化もいくらかは関係があるやうだ。
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昭和二十四年十月二十五日
【問】言葉と言霊に就て。
(一)こちらの発する言葉が相手を益する場合には嘘、怒り、泣言の相槌等の言 葉を発してもよろしいのでせうか。
(二)神様から御覧になつた場合の良否は判らなくても、自己の所信を表現する 場合の言霊はどうなりませうか。
(三)お世辞の言葉、虚勢を張るための言葉、或は自己を卑下する言葉等は如何 なものでせうか。
(四)言葉は簡潔な方が宜しいと存じますが、時と場合により 空気を和げるた めに、雑談冗談等を言ふ場合の言霊はどの様なものでせうか。
【答】(一)嘘はいけないが止むを得ない嘘もある。又昔から天下国家のために怒る のは善いが、個人的の怒りはいけないとしてゐる。怒りを行動にうつすことは勿論 いけない。そうかといつて怒りを抑えて精神病になる人もある。怒り、嘘もすべて 臨機応変である。嘘にも善悪があつていゝ嘘はよい。よく入信しないと救はれぬと 言うような嘘はいけない。神様の事はどこまでも真実でなくてはいけない。目的の ために手段を選ばぬといふ事は非常に悪い。泣言に対する相槌はうたなければなら ない。慰める訳だからで、然しそれには限度がある。早く泣言を打切るやう智慧を 働かせるべきだ。
(二)神様の御覧になつた場合といつても程度問題である。誠のある程いい智慧が出 る。大抵は誠の心をもつて、常識的に考えれば善悪は大抵判る。たゞ大乗と小乗は 逆の場合があるから注意すべきだ。戒律宗教は小乗で、戒律によつて悪い事を防ぐ のは本当ではない。戒律がなくても悪い事をしないのが本当である。要するに之も 臨機応変である。
(三)之も程度問題で表面だけじや反つて不快を与える。相手に快感を与える程度に するのが原則である。よく喋舌のが下手で、信者が出来ないと言ふ人があるが、話 がうまくて信者が出来るものなら講釈師でも頼んだ方がよい。寧ろ喋舌るのが下手 な人に多く信者が出来る。私は常に思ふがユスリなどは実に話がうまい。それで功 を奏するから益々弁舌が発達する。嘘が進歩する。誠の人はどうしても実行的で話 は下手である。虚勢は嫌味である。人間はアク抜けなくてはならない。自己を卑下 するのは下座の行で或程度はよいが、卑下し過ぎる事はあまり感心出来ない。
(四)冗談もうまいのは大いによい。場面を和げる。人間は人を笑はす位に話術がうまくならなくてはならない。事務的な事は無論簡潔がよい。
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昭和二十四年十月二十五日
【問】動植物の病気も矢張りそれぞれの霊の曇りの浄化作用なのでせうか。又動物の霊界に於ては霊の向上等により変動があるものでせうか。
【答】此場合獣類、学問上は人間も動物にしてゐるが、動物と植物とは違ふ。植物には浄化はない。何故かといえば罪を犯す事はないからである。下等動物程罪はなく、罪は人間だけである。人間は自由を与えられてゐる。自由があるから地上の経綸が出来る。獣類とても人間は自由に使える。植物には浄化作用がないが、黴菌や害虫が発生するのは何故かといふと、植物は人間に支配されてゐるから人間の罪が植物に反映し、害虫等が発生する。松食虫なども人間が霊界を曇らすからである。すべて地球上凡ゆるものは人間本位である。一家が栄える場合とか徳を積んでる人の庭先の樹木は勢がよい。であるからその屋敷の樹によつてその一家の盛衰が判る。松は一番感受性がつよい。従而木には霊の向上などない。一切人間次第である。
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昭和二十四年十月二十五日
【問】狐や狸や猫の霊は多く憑依しますが、犬や猿の霊は如何でせうか。
【答】狐や狸は人間に憑き易い。中でも狐は一番憑き易く、性格からいつても人間に一番似てゐる。祖霊が何か知らせる場合よく狐が代りになつていふ。そういふ場合本当の事も嘘の事も言ふが、それは狐の性格である。然しそれを一概に祖霊と決めても狐霊と決めても間違ふ。その話の中で真面目な事は祖霊の言とみてよく、変な話は狐と思えばいい。狐は人間の言葉を聞く性能を持つてゐる。次は狸で猫は少ない。犬、馬、猿といふ順である。鼠や豚はあまりない。豚は人間に肉を供するのが使命である。天理教では牛肉はいけないが豚肉はよいとしてゐる。
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昭和二十四年十月二十五日
【問】 四十手、五十手とは。
【答】四十手、五十手、六十手といふが、年をとるに従つて毒素が手に集り固まる。それが痛むのである。之は浄霊によれば簡単に治る。
(地天九号 昭和二十四年十月二十五日)