地上天国第06号  妙智之光  講話集

昭和二十四年七月二十日

【問】原始時代と原子力時代とは文化の基礎は非常に異つておりますが、新時代への出発と言う意味に於て多くの共通点を有してゐる様に思はれますが、御教示をお願ひ致します。

【答】これも一理ある。今は新文化の原始時代である。以前のは人間の出来たての本当の原始時代であつたが、今度は人間が一大飛躍して高等動物となる。その原始時代で之からは今迄のように喧嘩したり噛み合ひしたり、するやうな動物性をなくし本当の平和時代になるのである。

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昭和二十四年七月二十日

【問】五六七時代に於ける易学の価値に就て御説明をお願ひ致します。

【答】易学などは殆んどなくなる、吉凶禍福は人間の霊が曇つてゐる為邪神邪霊に負けるからである。人間の霊が浄くなると霊力も強まり邪神に犯されなくなるから、凶禍はなくなる道理である。故にミロクの世は迷信的の事がなくなる。迷信が生れるのは精神的弱さからである。科学の教える通りにやつても凶事や禍がある。そこで恐怖を抱く、そこに迷信が発生する。その中一番怖いのは病気である。ミロクの世には恐怖心がなくなるから、迷信はなくなる。方位方角などもなくなる。これから本教も一切の迷信をなくするやうにする。世界で迷信の種類の一番多いのはドイツである。科学の一番発達した国に多いのも不思議だ、科学の中にも迷信の部分が沢山ある。科学よりも治る本教浄霊は実は真の科学であり、迷信打破である。治れば迷信ではない。治らなければ迷信である筈である。

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昭和二十四年七月二十日

【問】祝詞と御願事とは何れを先にすべきでせうか。

【答】祝詞の方を先にあげるのが本当で、お願事は私事であるから後にすべきである。祝詞を奏げる一番の目的は霊界を浄めるにある。又祝詞を奏げると霊が沢山来る。祝詞をきくと霊が向上するからである。又祝詞は神に対する感謝の意が中心になつてゐる。

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昭和二十四年七月二十日

【問】蚤や蚊に先天的に喰はれますと甚しく腫れ苦しむ人と左程苦痛を感じない人とあり、又負ける人の方へよく喰ひつきますが之は如何なる訳でせうか。

【答】普通虫に負けるといふのは毒素の多い人で刺された刺戟によつてそこへ毒が集まる。つまりそれは疥癬も同じである。然し毒が非常に多くても浄化力の弱い人は毒素が固まつてゐるから蚊も刺さないのである。

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昭和二十四年七月二十日

【問】稲荷大明神又○○明神等と明神なる言葉を用ひますが、明神に就て、又天王様、天神様とは如何なる御神格の神様でせうか。

【答】明神―最初は偉い神様などにつけてゐたが、それが段々出鱈目になつた。こういふ事が世の乱れる元になる。下の位の者が上の位の神の名を犯したりしてゐる。それが人間界へ移りて位の上の人が下へ落ちたり、下の人が僣上の位置になつたりいろいろ乱れた。

天王天神も同様尊んだ訳である。彼の菅原道真を天神などとつけたのは道真が死後讒者に対して憤り、龍神となり雷火によつてそれらを傷けた。ついに紫宸殿へまでも落雷したので慌てゝ祭つたので、そのため天神とつけたものであらう。

次に天王であるが天は印度名で、毘舎門天、弁財天などいひ王もやはり印度語であり、孔雀明王、愛染明王などと言うそれから起つたものであらう。

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昭和二十四年七月二十日

【問】毎年だんだん暖くなる様ですが、今年の稲作は早稲が宜敷いでせうか。奥稲が宜敷いでせうか。

【答】そんなに気候は違はない、どちらでもよい、その土地によりその気候の違いさに合せてやればよい、暖い所では二毛作でよい、だんだん暖くなるのは人間の住む場所が広がつてゆくからで、人間がふえると暖かくなる。北海道等も以前よりずつと暖かくなつてきた。之は人体から発散する熱の為で、之は大した物である。人間が住むようになるに従ひ暖くなる。今に南北極に人が住む様になる。陸地の発見は氷が溶けるためである。又地殻の収縮により海が深くなり、海が深くなると川が浅くなつてくる。然しいくら川は浅くなつても南極北極の氷がとけて海水になつてゆくから涸つきりにはならない。

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昭和二十四年七月二十日

【問】白血球と赤血球の関係に就て。

【答】血液の中に毒素があり、それが浄化によつて血液中の微粒子の毒分だけが白血球になる。それが膿である。

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昭和二十四年七月二十日

【問】或人の十一代前の方で納棺致しました処蘇され、そうして「私は薬師如来様の処へ行つて来ました。其処は現界でみられない何んとも言えない美しい処であり、お前は私の処へ来るのは未だ早い、もう一度現界に帰りなさい、向ふ三ケ年命を延ばしてやる。それまでは現界で医者をやり人を救ひなさい」と申されたと言ひました。その際証拠として仏像と巻物を出したとの事で、そのものは未だ仏壇に祀つてあるそうです。何か霊的関係がありませうか。

【答】霊界からかへされることは本当にあるが、薬師如来といふのは観音様の別名で観音様は薬をのまして病気を治された。これは霊界が夜だつたから溶かすより固めた方が早く効果があつたからで、昼の世界になると反対に火素の量が多くなるから溶かす方が早い、私の行わせる浄霊はそれである。釈迦も薬草為本という経文を作つて病気は薬で治せと説いたのである。

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昭和二十四年七月二十日

【問】四十一才の男子、太陽の直射は勿論、傘等で光線を避けても熱気のため全身が段々熱くなり苦痛が増し、特に直射の個所は腫れ後に薄皮と共に血の固まりがはげます。夏季は特に其症状が甚しく、又七八年前よりは火にあたりましても、寒さにあひましても身体が温まりますに従ひその症状を呈します。以上の症状は霊的に何か関係がありませうか。又治癒致しませうか。

【答】之は霊的ではない、何か特別の毒血の為で、親とかおじいさんなど変な薬を飲んだものであらう。よく鶴の紅点とか虎の爪猿の睾丸などのむといいなどといふが、そういふ変なものをのんだ毒素である。

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昭和二十四年七月二十日

【問】大阪市の或理髪店で奥の間の御神体に対し善言讃詞をお唱えしますと店の客が絶えます。或霊憑りが表を沢山の亡者がうろうろしてゐて、お唱えの声が聞えるとその家の前に立塞がり、現界人も出入が出来なくなる。入口の戸を開けお入りなさいと言ひお浄めをすれば亡者が救はれに家の内に入り、又お客も入ることが出来ると申し事実客が絶えます毎にその通り致しますとお客が参ります。他人に奇異の感を抱かせる事にもなりますので如何致しましたら宜敷いでせうか。

【答】これは本当である。善言讃詞を上げると亡者の霊が集まる。そしてそれを聞く毎に一段一段向上する。霊は有難いから外の霊を勧誘しつれてくる。そういふ事で本教は発展するので構はず続けてよい。亡者も無限ではない。又客の祖先など少しでも因縁のある人でなくては来れぬからである。その代り何れ霊はお礼するので繁昌する事となる。

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昭和二十四年七月二十日

【問】俗に福助、医学上では脳水腫と謂はれる者は霊的のものと存じますが如何なる原因によるのでせうか。

【答】霊的も少しはあるが大体体的である。頭へ水が溜つてゐるのである。浄霊で治る、霊的のものは治るのと治らぬのとある。これは前の世に頭をぶつて非常に内出血して死んだのと、今一つは水死の際水を呑み逆さになつたのと此二つの生れ代りである。霊の憑依ではない。

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昭和二十四年七月二十日

【問】憑依した霊は霊界を脱出するでせうか。又霊界に帰り神様に処罰されるでせうか。

【答】無論霊界を脱出する。霊が地獄を脱出する時は火の車に乗つて来る。火の車は地獄のバスのやうなもので、霊は既に死んでゐるからとても苦しいが苦痛だけで死ぬ事はない。

憑依の目的が良ければ大した事はないが、ただ無断脱出の罪は問はれる。

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昭和二十四年七月二十日

【問】神経痛、頭痛及び尿量が天候に左右される理由。

【答】これは確に関係はあるが大した事はない。元来汗は小便と同じものであつて、寒い時には冷えるので汗になつて排泄されぬ為に小便が頻繁に出るのである。女学生には太つてゐるのが多いがそれは学校へ行つて小便を我慢する癖がついてゐる。そのため尿が腎臓から外部へ滲出してそれが身体へ溜る。それで身体が太るので之が健康体と誤れ易いが、実は俗にいう小便太りであつて、之が病気の原因になる。こんなのは固太りで一見丈夫そうにみえるが、一度病気が起ると悪性である。この好例として或娘が固太りで神奈川で三人の優良健康女学生が表彰された一人であつたが、浄化が起り終に死亡した。余剰尿は腎部から背中を伝つて背部に溜り諸病の原因となる。よく背部張りきつて筋肉隆々とみゆる人があるが、これが実は尿毒である。小便を我慢するのは右の如く不可であるが頻繁に尿するのも本当ではない。之は腹膜のため膀胱が圧迫され萎縮してゐる処である。

神経痛、頭痛等が天候に左右されるのは、天気の悪い時は太陽の光線が少く霊界に火素が少いから毒が固まり、その圧迫で痛むのである。天候に左右されるのは固まる痛さである。

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昭和二十四年七月二十日

【問】昔から火柱が立つと火事があり、その倒れた方向に燃えると言ひ、又それをみた人も相当ありますが如何なる理由によるのでせうか。

【答】先に霊界で火事が発こる、霊が体にうつる法則により現界で火事となる。然し入信した人は大丈夫である。未信の人であれば祝詞を上げ光明如来様にお願ひすれば火事にならずそれですむ。

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昭和二十四年七月二十日

【問】珠数は如何なる意味が御座居ませうか。

【答】数は百八つある。百八煩悩といつて、人間の煩悩は百八あるといふ。その煩悩を絶つといふ意がある。霊統が絶えないよう繋がるといふ意味もある。

除夜の鐘も百八つ打つが、百八は非常に意味がある。百といふ字は十を十集めると百、即ち十十で十十を合すと井の字の形になる。即ちミロクの世の形になる。又十字架の形にもなり、経緯結んでいづのめという意味である。八は開く形で、無数の数を表はす。

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昭和二十四年七月二十日

【問】人の生れ代りにつき、或霊の申すのに「前生の人の性格中数種の特質(例えば十の特質ありとせばその中の五乃至六種)を具えて生れる場合もある」と申しますが右は本当なので御座ゐませうか。此場合に霊の分霊と憑依に就て。

【答】確かに多くなつたり少くなつたりすることはある。人間の霊には分霊といふ事はない。神様は高級になる程、いくらでも分霊が出来る、狐などは狐の眷族が方々へ憑るので、丁度分霊のやうにみえる。又霊は一瞬にしてどんな遠方でも行くから、分霊された様に思えるのである。

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昭和二十四年七月二十日

【問】人間が再生した場合、副守護神は前生と同じものがつくでせうか。又変るとすれば如何なる意味にて変りますか。

【答】再生の場合死後副守護神は必ず放れ再生の場合副守護神は変る。又死後副守護神は暫らく憑いてる場合もあるが、結局は放れる。再生の時その人に憑く副守護神は必ず何等かの因縁がある。

副守護神は人間が動物霊になつたのや、その土地にゐた狐とか狸とか、いくらか因縁のあるものが副守護神になる。決して出鱈目ではない。何等かの繋りがあるのである。生れる子供が霊的階級の低い時は低い霊がつく、それは祖先の罪穢の多少による。罪の多いのは低いとその低さに相当した副霊がつく。

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昭和二十四年七月二十日

【問】神様の鳥居は何の役目ですか、又賽の河原とは如何なるものでせうか。

【答】之は鳥が止つたので鳥居といふ事になつたもので、その鳥は鶏になつてゐるが実は烏の様である。大した意味のあるものではないと思ふ。之は神社の簡略な門になつてゐる、神々しい感じを起さすものである。

賽の河原は仏界にあつて子供の地獄で、子供が石を積むとくづされ積んではくづされるといはれてゐる。

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昭和二十四年七月二十日

【問】尾張地方に農作物を荒す野鼠が日に増へて居りますが如何にしたらよろしいでせう。

【答】その地方の霊界が曇つてゐるから、相応の理によつてそういふものに荒される事になる。入信をしておかげをいただけばその人の個所だけはその被害を免れる例はよくある。

(地天六号  昭和二十四年七月二十日)